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スレッドNo.3721

◎2024年3月19日~3月21日ご投稿分 評と感想です。(青島江里)

2024年3月19日~3月21日ご投稿分 評と感想です。

◎「本当の悲しみ」 森山 遼さん

本当の悲しみとは何か?哲学的なテーマ。こういうことを書いてみようかと思う機会にはあまり巡り合うことはないと思います。詩を書いている……そういう日常の一幕があって巡り合えた機会であるようにも思えました。考えてみれば、とてもラッキーなことかもしれません。

一連目。よそへ行ってほしいとハブられた悲しみなのか。君の悲しみは大変だからとは、めんどうだから関わりたくないよと思われることからくる悲しみなのか、或いはもっと大きな意味で違うことを言っているのか。そのようなことがはっきりしないので、個人的には入りにくいで出だしとなってしまいました。どちらかといえば、二連目を先頭に持って行った方が入りやすくなるような気もしました。

一連目が入りにくかったので、三連目からの宇宙的なものモチーフに掲げた展開、想像のつかない世界を広げることで、はっきりとメッセージ的なものが読み手側からとしては、つかみにくいものになってしまっていると感じました。しかしながら、悲しみというものが得体のしれないものであったり、かたちのない、つかみようのない存在であることは、伝わってきました。

悲しみについてのアプローチの方法ですが、今回はかなりテーマが大きくなりすぎているので、宇宙のような世界を詩の中に展開したいのなら、最初に抽象的な世界を表現して徐々に日常の想像しやすいあれこれの様子につなげていくか、逆に日常のありふれた光景から徐々に宇宙のような広大な世界に広げてゆくという感じにすれば、表現しやすくなると思いました。

どちらかといえば、今回はどちらかといえば、漠然とした「悲しみ」となっていて、かなり難しいテーマになっていると思いました。書きやすくなる一例としては、「本当の悲しみ」を頭に置きつつ、それはどんな悲しみを思い浮かべるかと考えて思い浮かんできた様子を詩にして広げていくと更に表現しやすくなるかもしれないと思いました。

読後感。印象に残ったことは、次のような感じです。ちっぽけな僕と広い宇宙の対比。宇宙の広さと「僕」を思い浮かべることで読み手側の心には、真剣に思い悩んでいるとしても、宇宙の広さにはかなわない。そのような、そこはかとなく滲んでくる、広い世界の中で気づかれることのない置き去りのような悲しみを感じました。

詩を書いていないと出会わなかったかもしれないテーマ。これからも詩生活特有の体験をいかして、世界を広げていくことができますように。今回は佳作二歩手前で。


◎あの海まで 紫陽花さん

暮らしていく中で、いろいろとあるはずなのに、一瞬みたものだけが頭の中を巡ってしまう。そのような感覚。特別に突起しているもののようにみえるけれど、実はそうではなく、自身の中にある何かのどこかに繋がっているからなのではないのかと、ふと思ってしまいます。バシロザウルス。拝見したことはないのですが、その生命の姿の中に、作者さんの生命の中の何かが反応したのかもしれない。そんな風に感じました。

一連目の私の空を覆う黒い雲とは、将来に対する不安、暗雲をさすのだなとわかりました。不安になって考えれば考えるほど不安に。そして、悲しみが広がってゆくということがわかる土砂降りの雨という言葉。この先を生きていくという不安な気持ちが伝わってきました。後半の方では、暗雲について考えた不安な日々がきっかけで海を目指すことができたという前向きな姿が描かれていますね。

気になった部分は中盤でした。

土砂降りの雨になる
雨粒が私をたたく
私はたたかれて たたかれて
雨粒ほどの小魚になる

土砂降りの雨から小魚の私につながる部分ですが、たたかれて小魚になるということですが、読み手側から感じたのは、すぐに小魚になる様子へと移行できなかったということでした。「私はたたかれて たたかれて」と雨粒ほどの小魚になる」の間にあと少しクッション的な言葉を添えるとよいのかなと思いました。「雨粒みたいになってゆく/やがて」を加えるような感じで。この作品の流れの中で、繋がっていく部分はけっこう重要な位置になると思うので、作者さんの納得のいく言葉の表現が見つかればいいなと思いました。小さな魚が泳ぐ広大な水辺。思い浮かべると、どこまでも泳いでいけるという本当の自由への希望を感じることができました。

注釈を入れてくれたおかげでバシロサウルスがどのようなものかということがわかりました。ありがとうございます。もしも、注釈なしを想定するのなら「遠い昔バシロサウルスが/海を目指したように」→「クジラの祖先/バシロサウルスが/遠い昔に海を目指したように」にすることも可能だと思います。なんなら、バシロサウルスはこの作品の主役的存在なので、こちらを独立一連にして強調してもロマンがあっていいかなと感じました。

あと、注釈にいれてくれた「1週間いろいろ心に残る出来事があったのに、なぜか一瞬テレビで見たバシロサウルスが頭から
離れず」この感覚も注釈にしておくのはもったいない感覚なので、作品の中の一部分に取り入れてもおもしろいかもって思いました。今回は佳作半歩手前で。


◎涙 喜太郎さん

涙には大きく分けて2種類の涙がありますよね。嬉しい涙と悲しい涙。この二種類をもっと深堀しつつ表現してくださいましたね。

自己の成長とともにある涙を時系列にそって表現してくださいました。幼子の時代から受験生、社会人、結婚、出産、子供の成長、パートナーとの別れ。詩の中で連呼される「その時に流した 涙」は、一行、一行重ねるごとに、人の一生という時を表現する役割を果たしていると思いました。一行単独、ひとマスあけて涙とした記述方法は、涙という言葉が強調されていて、読み手にズシリズシリと生きてゆくという時間の重みを感じさせてくれました。

このままでもいいのですが、一案をお伝えしたい行がありました。最後の方の「愛する人と再会した」という部分です。どうしてかというと、この再会どういう意味かと思うことは、読み手それぞれになると思いますが、自らもいつか旅立った時という意味とも捉えられますよね。仮にそうだとしたら、この一行に辿り着くまでに重ねられてきた現実の数々。重みのある時間を重ねてきて、ラストがいきなり天国で再会ってなると、これまでの現実の重みを描いた表現が作中にいかしきれないような気がしたのです。

天国というのは、あの人は、きっとあそこにいるのだと、かなしみにくれる人間の救いとなる場所でもありますが、実際にあるとは証明されていないところ。これは私のものすごく勝手な思いなのですが、私がもし、この作品のラストを描くなら、まだ現実の世界でどうにかふんばって生きている私を書きたいなと。だから再会は、いつか愛する人と天国で再会できると信じている私の、今生きる現実の場所で、その人と再会したいなと。具体的というか、実際に体験したのは、夢の中とか、空を見ていたら急にその人の顔が浮かんだとか。応援してくれているのだなという嬉し涙でした。こうでなきゃダメという決まりは勿論ありません。天国で会いたいというのは多くの方が思われると思います。ただ、今回の作品の流れの中、丁寧に現実の時間を積み重ねられていかれた、その作品の組み立て自体がとてもよかったので、こういう感想に辿り着いたのだと思います。

どの涙にも感謝しかないと理解した時
愛する人と再会した

作中でのこの表現。涙は人生そのものという表現。すごく胸にしみてきました。涙と人生について語られた一作。今回はふんわりあまめの佳作で。


◎その時に備えている  荒木章太郎さん

近頃は、楽しいニュースが少ないと感じる人も多いと思います。反対に、戦争だとか、災害だとか、そのようなニュースが多いのは不安ですよね。人間の出すぎた行動が、お天道さまを怒らせているんだという高齢者の方の声を耳にすることもありました。「大地は何に怒っているのだろう」という一行で、そのことを思い出しました。

二連目から三連目の書き手の持論。「はやる気持ちで/人を突き飛ばさぬように/その時に備えている」……日頃からいつか誰かに役立てるようにという想像力を働かせることが準備になるということ。口だけではない思いやりを持ちたいという気持ちが伝わってきました。

風で作られたセメントを壊すため
幻想で作られた壁を壊すため
僕はきみと旅に出ることにした

ラストの連の現実の行に添えられた、少し別の次元よりの表現は、どことなく詩的な香りがして印象的でした。お金に関する表現について露骨になりすぎない役割を果たしているとも思いました。ラストの連の4行目の「寄付」ですが、ちょっとストレートすぎるかなとも感じたので、「愛を育むために、この手で稼いだお金を使いたい 届けたい」くらいの表現の方がよいかなとも思いました。お金に関する表現って本当に難しいですよね。また、ラスト二行で急に出てくる「あなたがた」という言葉。意味は分からなくないですが、あなた方をはずし「互いの復興を創造する」とする方が「僕ときみ」の周辺や関係性ということに焦点を合わせやすい気がしました。「きみ」という単独に発しているのか、大勢の「あなたがた」に発しているのかということをわかりやすくするための一案でした。

自分なりに考えている想いも難しくなりすぎず、ほどよいやわらかさで読みやすく、独自の表現も盛り込まれている作品になっていると感じました。今回は佳作一歩手前で。


◎スギを訴える  温泉郷さん

身内の一人が花粉症です。目のかゆみに始まり、くしゃみ、鼻水、喉の不調。ひどくなれば咳も。時期がきたら耳鼻科に通いで本当に大変そうです。そして、作中に書かれていた通り、医者に行ってもお薬で眠くなったり、何も手付かずになるということでした。

花粉症を題材にされた作品ということで、どんな内容になるのだろうと思いました。辛い→国の植林政策を訴える……までのことは、なんとなく想像できましたが、その後は全くの予想外の展開でした。スギを擬人化するまでのスライド的な表現がとても自然でした。まさか、スギを訴えるっていうタイトルの意味が、スギの国の植林政策について訴えるではなく、自然法廷という場所で、擬人化したスギを訴えるシーンがあるなんて。樹木、草花、昆虫、環境破壊……にまで話が及んでいます。でも、とってつけた感0%。見事な流れで、興味深く拝読させていただきました。

これはあくまでも空想をふくらませた世界。我に返る時の小道具的な目薬の使い方もよかったです。スギの花粉についてやっかいなものと思いつつも、スギに罪はないのだとする作者さんの心。最終連にある「この痒さをがまんするだけで許してもらっている」という一行には、愚かな人間を許してねという気持ちと、自然の抱擁力に感謝している、自然への愛を感じさせてくれました。辛いことを書いているはずなのに、あたたかい空気さえも感じさせてくれる独特な空気感のある作品でした。


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肌寒く雨の日が多い今年の三月。日頃の青空のありがたみをひしひしと感じつつ、まだ咲きそうにない公園の桜の様子を見ながら通勤するこのごろです。さよならとはじめましてが、いつもより多く混在する春。慣れないことで疲弊することもあると思いますが、せめて一日の終わりは、静かにすごせますように。

みなさま、今日も一日おつかれさまでした。

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