評の御礼 Osada
齋藤純二様
拙作「かなしみを知らない」に、ご批評をありがとうございました。
毎回たいていは自分なりの懸念点を持ったまま投稿することになってしまうのですが、本作では、「ぼくはトーイチになっていた」という表現が、あまりに直截で都合よく安易ではないか?という疑問がありました。しかし許容範囲内ではあったようで、まあよかったなと思っています。
お尋ねの「じゃが」は方言です。こちらは瀬戸内海沿岸の某県ですが、恐らく逆接の接続詞「だが」の訛ったものだと思います。
実は本文の「じゃがの」は、「じゃが」だけにしたり、「じゃがのう」にしてみたりしました。
特に「~のう」は何処かの方言として聞いたことのある人は多いのではないかと思います。それもあって本来的には「じゃがのう」にするところだろうと思うのですが、耳に馴染みのある音から少しズレた感じ、あるいは舌足らずな感じにしてみたいという気持があったのと、会話においては「じゃがの、」としか聞こえない場合が多いこともあり、「じゃがの」にすることに自分では抵抗がありませんでした。
ちなみに標準語では「じゃがのう」は「でもねえ/しかしねえ/だけどねえ/けれどもねえ」等となるのだろうと思います。
しかし、恐らく「じゃがのう」を「じゃがの」にしたことも原因の一つとなって、もともと分かり難さのある方言に益々分かり難さが生じ、「じゃが」の意味の分からなさも増してくるということが、今回のご批評によって分かったように思います。方言の使用は変えないとしても、ここはやはり「じゃがのう」にした方がいいのでは?という気持に今はなっています。このこと一つ挙げても大きな収穫です。批評していただいて感謝しております。
では、またよろしくお願いいたします。