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スレッドNo.3730

三浦志郎様 評のお礼です 上田一眞

こんばんは。上田です。

現在から過去を振り返るとき、一つの作品の中に複数の人間と時制がある、これをどのように整理して詩として纏め上げるか、今回の課題でした。ご指摘のようにスマートに纏めることができず、ゴリゴリした印象を与えてしまいました。

今後見直して行くにしても、当面ご指摘頂いた点を考慮して修正を加えてみました。些か長くて恐縮ですが、修正しますと非常にスッキリしましたので全文を表示したいと思います。

毎度のことながら拙作を丁寧にお読み頂き感謝しております。


「二人の零戦搭乗員」

私が高校で「倫理・社会」を教わった
K先生
なんと右腕がなかった

何か深刻な理由があったに違いない
しかしそれは
絶対聞けないことだった
誰もそのことは触れなかった
当然なことだった

ギリシャ人を思わせる彫りの深い顔立ち
縦に割れた眉間の傷跡 二筋
焦点を結ばないドスの効いたまなこ
ひと目見たら忘れがたい風貌だ

只者ではない雰囲気を漂わせながら
ギリシャ哲学者からサイバネティストまで
古今東西の哲学者や思想家について
饒舌に語るK先生

私にとって
「リバイアサン」を記したホッブスや
ベンサム J・S・ミル など
イギリス功利主義の哲学・倫理学者たちを
知る切っ掛けとなった

文学にも造詣が深く
ショートの名手
山川方夫について話しが及ぶと
K先生の相好が崩れた

私は週一回の「倫理・社会」が
待ち遠しくてしかたなく
教養溢れる先生の授業に
非常な感銘を受けた 


**

太平洋戦争末期 慶應義塾から
学徒出陣
その男は零式艦上戦闘機の搭乗員
台湾にある
海軍航空隊に属していた

ある日 バシー海峡方面に出撃して
索敵するも発見できず
基地に帰投しようとしたときだ
着陸態勢に入ったとき
後方から 突然
敵戦闘機グラマンの銃撃を受けた

左に旋回して
回避しょうとしたが遅かった
防弾装甲のない零戦は受け身になったら
頗る付きの脆弱さだ
一二・七ミリ焼夷徹甲弾に
羊羹を串刺しにする如く撃ち抜かれて
あえなく 炎上

機体だけでなく
自分の身体も弾丸が貫いた
気がついたときは野戦病院の寝台の上だった
右肩を砕かれ右腕を失った


このとき上空から一部始終を見ていた
味方の零戦搭乗員がいた

彼は広島の師範系大学を繰り上げ卒業して
海軍に入り
台湾の航空隊で零戦の戦士として鳴らした
猛者だ

その日出撃して
丁度基地に帰投したとき会敵
乱戦となった

グラマンを一機屠って戦闘を終えたとき
彼は事態に気づいたが
掩護に行くにはすでに遅い
上空から見守るしかなかった
着陸時に狙われ
火だるまになりながら横転する零戦

あの様子では
とても搭乗員は助かるまいと思った
帰投して
やられたのが同郷の戦友だと知り
彼は見舞いに行った

幸いなことに一命を取り留めたその戦友
見舞った彼は戦友の頑強な身体と
強運を嘉(よみ)した

この二人こそが私の恩師
K先生であり Y先生*だったのだ


**

私は大学三年時 母校で教育実習をした
「倫理・社会」の実習だ

改めて
K先生のお世話になった
伯母の親しい友人でもあるK先生
その縁もあって
親身な指導を授かった

二週間の実習 最後の日
お別れ懇親会でK先生と膝を交えて
語りあった 
軍国少年であったことなど
今では想像つかない少年時代を送っていた

そして
最前線に赴いたときの心情
実際に体感した戦場について語られた
三つのエピソードが印象に残った
それは
私の帝国海軍に対する認識を一変するにたる
インパクトを有していた


**

K先生は戦争とは何かを噛み締めながら
淡々と語った

(エピソード1)
 
 燃料も満足にないことから
 金属製の重い戦闘機は飛ばせられない

 だから上層部は
 軽くて燃料が少なくて済む
 複葉の練習機「赤トンボ」を爆装して
 体当たりさせようと
 企図した

 自分は重症を負ったため
 配属されることはなかったが
 「赤トンボ」での
 特攻要員候補となっていた
 そのように聞いた

 二五〇キロ爆弾を抱える必要があり
 それだけの重量物を装備したとき
 弱い発動機推力からして
 満足に飛べるかどうかさえ分からない

 発案者は「赤トンボ」は布張りだから
 米軍のレーダーに映らない 
 そこに依拠して
 特攻が成功する確率が高いと
 踏んでいたようだ

 特攻を阻止する米軍艦艇の凄まじい
 弾幕
 統計学に基づいた
 対空戦闘能力の高さを
 全く理解していなかったか
 無視していた
 
 実際 上層部は部隊を編成し 
 台湾と先島諸島に 
 「赤トンボ」部隊を配備した
 お偉いさんたちの狂気 
 頭の螺子がぶっ飛んでる様子が分かる
 

(エピソード2)

 ある特攻兵が
 低速のゲタバキ水上機で米艦に突っ込んだ
 体当りしたとき 
 大型の八〇〇キロ爆弾が機体からはずれ
 しかも爆発しなかった
 不発弾だ

 艦船の土手っ腹にカエルの死骸のような
 飛行機の跡だけがクッキリと残った
 搭乗員は投げ出され
 甲板に叩きつけられて絶命した

 決死で突っ込んた戦友の無念の死
 せめて飛行機だけでも
 まともなものであれば…
 本当に浮かばれなかったであろう
 犬死だ

 これが僕らのいくさだ


(エピソード3)

 台湾は当時日本の統治下にあった
 内地と一緒だ
 だから比較的兵站には恵まれていたが
 終戦間際は目茶苦茶だった

 あっちこっちの機体や部品を繋ぎ合わせ
 でっちあげたエセ零戦
 発動機がやたら振動して
 ボッボッと息をつく
 しかし 部隊に
 飛ばせる機体はこれ一機しかなかった

 オクタン価の高い航空機用燃料は
 底をつき
 発動機がかかるかどうかもわからない
 怪しげな
 松根油(代用燃料)を使おうとした
 燃料欠乏もここまで来たか!
 と情けなかった

 芋の蔓しかない乏しい食料事情
 毎日 芋の蔓や葉っぱではいくさにならん
 まあ米があるから
 飢え死することはなかろうが
 まともなものが食いたい
 空きっ腹を抱えながら空襲を警戒した


**

K先生は少し酔っていたように思う
呑まずには語れない
苦々しい思い出だったのだろう

これら苦境に耐えながら
なお国のため
徒手空拳に近い状態で戦った二人の戦士 
K先生とY先生

台湾の美しい群青の空を翔け
傷を負い
ぼろぼろになって
成し遂げた事跡は大きい

二人の零戦搭乗員の知られざる敢闘は
戦史の中に埋もれている






*Y先生 生物の教師で私の高校一年時
 のクラス担任
 夏休みに先生の自宅に招かれ
 零戦の搭乗員であったこと
 台湾でのK先生との係わりを話された

編集・削除(編集済: 2024年03月29日 22:07)

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