おば様の歴史 上田一眞
キャスリンおば様が
サンフランシスコに住む親戚
ユウセン・シミズと彼の姪クララに伴われ
初めて
わが家にやって来たのは
昭和五十七年の夏
ぼくが結婚し
新生活を始めたときだった
日系二世のおば様
銀色の髪
高齢だが 気品のある美しい人だ
生まれはサクラメント
フィラデルフィアに在住で
父上は和歌山・雑賀の出身
ご先祖は紀州藩の御徒侍だったという
流暢な日本語で
優しくつぶやくように話す
婉然とした挙措は
米国人でありながら
大和撫子と呼ぶに相応しい
日舞の師範でもしてるんじゃないか
そう思わせる立ち居振る舞い
洗練された所作に
今の日本女性が失くしたものを
おば様は持っていた
姿かたちは大和撫子でも
行動力は男並だ
終戦後まもなく 米陸軍に入隊し
来日
しばらく東京にいた
GHQで通訳をした経験がある
マッカーサーの担当もしていたというから
優秀だったのだろう
**
おば様は辛い過去を背負っていた
戦争未亡人だったのだ
ご主人はドイツ系の米国人で
海兵隊の下士官
職業軍人だ
ホノルルのとあるパーティで知り合い
互いに魅かれあって
結ばれた
ドイツ系らしく謹厳実直な人柄だった
サンディエゴの新居で
二人は新婚生活をスタートさせたが
時代のうねりの中で
ゆっくり新婚を味わう間もなく
戦争が始まり
ご主人は新兵の訓練所(教官)から
太平洋の戦域に赴いた
ガダルカナル島など
ソロモン諸島各地を転戦した後
勲功あって士官に昇格
ソロモンを離れタラワに異動した
米国でも名を馳せた地獄の島 タラワ
激闘の末にご主人は
この島で
あえなく最後を遂げられた
愛する人が南海の孤島で
戦死したとの報知を受けたときは
驚きと悲しみで
血液が逆流し 家の入口に崩れ落ち
気を失った
おば様いわく
主人を殺した日本軍の将兵を呪った
憎しみの感情がたぎった
しかし 来日した後は
見る目が少しづづ変わってきた
日本兵の姿はすでになく
国敗れた直後の日本ではあったが
父祖の地の山河は美しかった
特に蜜柑の花咲く紀州の山野は水清く
豊饒の大地だった
おば様の琴線に触れる感動があったようだ
出自を顧みたとき
日本人でよかった
ただ 彼女の眼には
深い湖のような哀しみの色があった
日本兵を憎む心と
同じ日本人であるルーツを嘉(よみ)す心
二つの心を繋ぐ糸
撚れる糸
縺れる糸
引合う糸
切れる糸
このアンビヴァレンツな心理
ぼくには
複雑過ぎて理解不能
説明できるほどの語彙を持たない
小説など及びもつかぬほどラディカルで
奥深い
歴史の厳しい洗礼を受けた人の感慨は
海原のように広くて
海淵のように深いと知った
日本人の血が色濃く流れる米国人
和魂(わぎみたま)を持つ
才女
フィラデルフィアのキャスリンおば様
興味津々のぼくは
それから暫く文通を続けた
**
翌年の春
短冊に書かれた短歌とともに
一枚の写真が添えられ
送られて来た
満開の桜並木を背景にして微笑む
おば様が写っていた
ご主人の眠るアーリントン墓地を訪ねた際
桜並木を歩いたそうだ
ポトマック河の河畔に咲く花の群れ
仄聞するに この桜 米国の花水木と交換に
日米友好の印に
日本から贈られ植えられたとか
おば様は
桜の花がよく似合う
河面を染める花筏
柔らかなポトマック河の風に
その美しい銀髪が輝くように靡いていた