コップの中の音 三浦志郎 4/5
”コップの中の嵐“とはよく言われるが、音はどうだろう?
これは自慢だが、我が家のコップたちは飲ませる役割も果
たすが、妙なるサウンド発生にも良い使命を果たしている。
無作法ながら、箸でもペンでもいい。私はコップをよく叩
く。そして深く思う。打つ、叩く、その音生まれの崇高さ。
その行為こそが楽器の原初のはずだ。
(なぜコップはコップであって楽器ではないのだろう?)
(なぜ奏でる、でなく、飲ませる道を選んだのだろう?)
教会の鐘のミニチュア。TINYな音の姿。心惹かれる単音の
SIMPLE、SAMPLE。サウンド表情を聴きながら、私は夢
想する。
♪キンキン カキンカキン♪
今此処にあるコップを楽器と見做すには?手立てはひとつ
しかない。スティックで強打することだ。コップにシンバ
ルほどの強度は望めない。結果は明白である。
グワッシャ~ン―シンバルに近いサウンドを挙げながらコ
ップの粉々。悲鳴のような楽器達成。そして瞬時の破滅。
不憫だが仕方がない。音の恨みのような破片が手首に食い
入った。
血の色をした音の痕跡。残りの水割りが遺言となって流れ
て行く。私はそれでいっこうにかまわない。次のコップを
台所に取りに行く。すでに架空の“独りセッション”が始ま
っている。かくして我が家からコップが全て消えて行く。
もう一度言おう、夢想である。だいぶ酔ったようだ。