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スレッドNo.3832

☆2024/4/16~4/18 ご投稿分、評と感想です。    (青島江里)

 2024/4/16~4/18 ご投稿分、評と感想です。

☆さくら 喜太郎さん

この作品を書かれた頃は、まさにお花見シーズンでしたね。お花見に来ている人それぞれに、個々の物語がある、そんなことを感じさせてもらいました。

失恋された一人の女性。去年は彼氏さんと二人で見たのに今年は一人。思い悩みながら歩くけれど、きれいな桜を見ているうちに和やかな気持ちになれたというところは、深くは書いていませんが、気持ちを察すると、枝が揺れそうなくらいに満開の桜があるのかを想像させてくれました。そして、歩いていくうちにブルーシートの上に集う女友達の見つけるところ、失恋した彼女をあたたかく迎え入れる友達との再会のシーンは、彼女たちは気心の知れた間柄だということを思わせてくれました。

詩のメインは、まさしく、失恋した彼女と気心の知れた仲間が出会うシーンだと思いました。せっかくですから、このシーンをもっと強調されてはどうでしょう。彼女が一番心配していたことは何か?そしてホッとしてジーンとしたことは何か?と考えると、それは仲間の一言なのかなって私は思いました。

少し先に広がるブルーシート
友達の姿
女だけの花見の会
独り身達の花見の会

『ただいま』
『お帰りなさい』

大きめの声で言えた
桜のような和やかな笑い声
かわらない
私の友達の声

もしも私が彼女だとしたら、失恋した私を、腫れものを触るようにせず、いつもと同じように受け入れてくれたことがとても嬉しいと思うので、こんな風にそのシーンを強調してみました。あくまで一案です。作者さんの良いと思う方法で強調してみてくださいね。桜のはなびらのようにやわらかな友達の優しさが感じられる作品。今回は佳作一歩手前で。



☆雨の物語  あこさん

深夜に雨。家族の帰りが遅いと心配ですね。「今から帰る」って電話をくれた時って、ちょっとホッとしますよね。お話の内容は、とてもよいお話。暗い夜道の冷たい雨の中に、ぽっと灯されたあかりを感じるようなお話になっているなぁって感じました。

全体的に見てみると、①改行や空白、②「」を使った会話、③…の使用が多くみられます。書きたいことはたくさんあると思います。一から十まで全部書きたいという気持ちもとてもわかります。ですが、あまり詰め込みすぎると、一番部分が、他の色々な表現に隠れてしまう可能性が高まりそうですね。上記の①から③について、ある程度の整理をしてみてもいいのではないかなって思いました。

連分け、改行については、特に決まりはないのですが、一番参考になるのは、読んでいて気持ちいいなぁって思う詩人さんの作品を、何度も読んで参考にしたりすると、自分なりの丁度いい連分けの方法がつかめるのではないかと思います。

今回の作品の中で一番心にきた表現は、こちらでした。

傘をさして帰った人の心に
その傘はずっと さされ続けるのだろうか・・

雨が上がると同時に
全ては  消え去ってしまうのだろうか

個人的には、詩的だなぁって思った言葉たちでした。傘をさすっていうことだけでなく、雨に濡れて不安だった人に届けられた思い。その思いが雨の日が過ぎても、ずっとその人のどこかに残ってほしいなぁって、祈るように伝わってきたからです。

それでも私はやっぱり
「その人は 濡れなくて良かったねぇ」

きっとそうしか言わない
言えない

終盤の部分もよかったです。親心といいますか、余計なことを言わず、子供の純粋な優しさのそばにいてあげよう、守ってあげたいという包容力を感じたからです。優しい人が優しいままでいられますように。そのようなことを思わせてくれる作品でした。


☆最期  紫陽花さん

生きていると、数々の出会いとお別れがありますね。いつかは来るとわかっていても、寂しさでいっぱいになるのは、身内とのお別れの場面ですね。

作品を拝見していると、二つの寂しさを感じました。一つ目は、もうすぐきてしまう、危篤になった義父との永遠の別れ。二つ目は、血のつながった孫のように、最期の近づくその時までしっかりと覚えてもらえていないような所作、いくらきっちりとお世話をしても、私は嫁という立場。本当の娘のような関係にはなれないという寂しさです。

義父は 危篤状態になり私を忘れてしまった

この一行の胸の内を物語る三連目と四連目の、一本の糸が張られたような切迫と、辛さの度合いの強い寂しさの表現には迫りくるものがありました。読み手の私は、いつのまにか、まるで現場にいるように、そのシーンに入り込んでいました。そこからの五連目なのですが、あまりにも三連目から四連目のインパクトが大きすぎて(とてもとてもいい意味で)、入り込みすぎたため、目の前にある砂嵐の画面が……となった時、病室の携帯の目覚ましだったの?と、錯覚を起こしてしまったのです。

何故なんだろう?そこで気になったのは、五連目の先頭行の「そんな事を思い出しながら」の「そんな」です。三連目から四連目のインパクト大を場面転換にするにあたって、「そんな事」だけで受け止めるのは、ちょっと受け止めきれないのではというように思いました。五連目の初めに「我に返った」というような言葉や内容を追加することで、三連目、四連の続きではないのだなと、読み手も我に返ることができると思いました。また「顔つきやら仕草やら似てないということだ 1ミリも義父ではない」の一行についてですが、本来なら二文でできている行。「だ1ミリ」の部分は読みにくいこともあり、個人的には強調の意味もかねて「1ミリも義父ではない」の部分で改行される方がよいかなと思いました。

大丈夫 私はあなたの最期を見届ける

この一行は見事だと思いました。私のことを思えていようがなかろうが、最期までそばにいるという気持ち。きっぱりと言い切ることで、嫁として、身内としての確固たる決心と覚悟が響いてきました。今回は佳作半歩手前で。



☆慟哭 秋乃 夕陽さん

慟哭とは、声をあげて激しく嘆き泣くことですね。一連目、そして二連目も、比喩を使って表現されているように感じました。何の比喩であるか。おそらく「慟哭」という言葉のイメージについての比喩になっているのかな。そのようなことを想定しつつ読ませていただきました。

一行ずつの単位で注目していて、美しい言葉だなと感じたのは「波にゆらめく生命線」や、
「不確かで確固たる/鼓動の果て」でした。

ただ、この作品を読み通して、私の読み込む力が足りなくて申し訳ないのです。「泣き叫ぶ」という空気を感じることができませんでした。言葉単体を比喩していったり、作品全体を比喩で固めてしまうと、響きのいい言葉の存在感も薄まったりする可能性も高まると思います。比喩は窓辺のカーテンのようなもので、どこまで読み手に部屋の中身をみせてよいか、分厚い遮光カーテンにしちゃうのか、うす手のレースのカーテンまでにしてもよいか、という感じで調節することで変わってくると思います。個人的には、もう少し比喩の度合いを、解放してくれたらいいなぁって思いました。

語彙については、どんな言葉を使ったらいいのかなぁって、勉強されているように思いました。ご自身の出会った、いいなと思う言葉が書きたいことに結びつき、こんな風に表現したかったんだ!という気持ちに、いつか出会えたらいいですね。これからもいろんなアプローチに挑戦してみてくださいね。



☆春のうた  理蝶さん

ここちよい春の風景と、新生活をスタートさせる青年の様子を描いた作品。春の包み込むようなやわらかさと、青年のガラスのような繊細で不安な気持ちを、うまく一つの景色に溶け合わせている作品になっていると思いました。

呼吸するということ。通常なら「春の空気をいっぱい吸い込んだ」という感じにされることが多いのだと思いますが、作者さんは、あえて逆の路線でいきましたね。色々書きたいことが多くなって、かえって膨らみすぎてしまうことが多い、難しい方法になるところを、うまくまとめていられると思いました。春の空気を吸い込むという表現、その吸い込んだ空気が体中にしみて、自身も春になじんでいくという表現は、人間のあたたかい血潮を感じさせてくれるようにも思えました。

指の先まで春が行き届く瞬間
その一瞬を忘れないで

印象的なフレーズでした。また、トラックのシーンからの心臓の音を感じる表現。自身の血の流れや鼓動を感じる方へ持っていった表現は、現実にありそうなシーン。

こめかみを叩く度
毛穴から昇るかぐわしさに気づくだろう

このこめかみの痛みからの深呼吸。終盤にある「こめかみから花が香ってくる」というかけかた。季節感をふんだんに使った表現。読み手にもひとはだと同じような春の温みを感じさせてくれました。

全体的にこのままでも何の支障もないと思うのですが、全体的に見渡してみると、五連目の最後の行だけが、かなり突出したような感じになっているのですね。一案として、こんな風にしてみてもいいのかなと思いました。

その時はじめて立ちはだかるだろう
春はやわらかく君に

あと、とても細かいことを申し上げますと、三連目の一行目の「歩く彼」なのですが、作中全体でこの「彼」を使っているのはこの部分だけなので、「青年」にする方が自然だと思いました。

終盤では人生の先輩として、遠くもなく、近すぎることのない距離から、そっと青年を見守り、思いやる言葉を、そっと心の中で送っています。

なあ青年、その痛みを愛せよ
大丈夫さ 君が今からゆく先は 
君の人生で一番きれいな、春 

詩のエンディング。歩き出す青年の不安を、人と春の温みが一体となって、あたたかく包み込んでゆこうとする美しい景色が浮かんできました。ふんわりあまめの秀作を。



☆「永遠の通る並木道」 森山 遼さん

春ですね。並木道の美しさに魅かれるこの頃ですね。嬉しい偶然!私も今、個人のノートに並木道の詩を書いています。一本の並木道。様々な人の影が行き過ぎる。ある日は一人の。またある日は誰かとの。ある日は悩みながら、ある日は笑いながら。道には過去から現在に通じるものがある。そして、現在から未来へ通じるものがある。そして過去から未来へを繰り返す。すなわち永遠。私の中には、そのような気持ちが伝わってきました。

今回は、歌のような詩の運びですね。全体を見渡してみると、今回はちょっと言葉が窮屈な思いをしているようにも思えました。単語と単語の間に息継ぎのような空白が多いせいなのかな?こちらは歌詞のように字数のリズムをそろえるためなのかな?特に気になったのは三連目の「私 去る」ですね。耳だけで聞いていれば「渡し去る」や、「私、猿」と空耳してしまいそうですね。「私もゆく」というような感じにしてみるのもいいかなと思いました。もう一つ。作中に「私」と「わたし」の二種類の表記がありました。特にこうでなければということでないのでしたら、どちらかに統一することをおすすめします。空白ありや文末のかたちなどにこだわらず、自由にできるのだとしたら、さらにのびのびとした作品になると思いました。具体的にどういうふうに文章にしてお伝えしてよいかわからなかったので、私ならこうしているかなという一案を添えることにしました。何かお役に立てれば嬉しいです。

時間の影
静かに移り行きます
昨日の悲しみ
昨日の喜び

そして影
定めもなくとまどう影
私の影
移り行く影

時間とともに私は去ります
どこまでが
悲しみの向こうでしょう
静かなる場所
陽の当たるあなたの影

共に移り行く
明日の幸せ
あなたが笑っています

満面の笑顔
私のしあわせ
あなたとともに
生きる幸せ

今日も明日も
私たち
手をつなぎ
静かに歩いて行きます
永遠の通る並木道

静かに静かに
緑が光ります

静けさの中に数々の淡い光と影が感じられる美しい作品だと思いました。今回は佳作一歩手前を。



☆魔法のチョコ  温泉郷さん

とても読みやすい作品。滞りなく読み終えることができました。
そして、本当にそうだったらいいのになって思いました。

詩の組み立て方も上手にされていて、ひっかかることもありませんでした。なのですが、戦争がテーマという点で、考えてしまうことがありました。読む人の立場や年齢によって、かなり意見が分かれてしまうことが予測される点です。残虐な映像を見たり、情報を取得して知っている大人が、そのあとでこの作品を読むと、どう感じるか?そのようなことも頭の中を通過しました。

ただ、戦争をしないようにするにはどうすればよいですか?と、子供たちに問いかけするというようなところで、子供たちに作品を読んで、こうだったらいいのにね。他にいい名案はないですか?というようなことだったら、この作品は活かされるのだろうなと感じました。仮に、子供向けに特化するのだとしたら、子供さんを作中に登場させることも必要となってくるかもと思いました。

もうひとつの案としては、戦争ではなく、五連目の人を傷つけたり、見下したりという部分に焦点をあて、戦争ではなく、「けんか」や「仲直り」にしてみることもいいかとも思いました。今回は感想のみにすることにしました。ところで前回も思いましたが、温泉郷さんの作風は、独自の世界観があって、かなり印象深いです。これからも、色んな感じたことを、言葉にして生き生きと詩生活を楽しんでほしいなぁって思いました。

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道行く先の街の花壇で、花がたくさん咲いています。時々、お世話されている方々をおみかけします。仕事がものすごく忙しかった帰り道、続く花壇を見ると、力が抜けるようにほっとします。花をみながら帰れるなんてありがたいことだよな……などと、今更ながら思うこの頃です。

みなさま、今日も一日おつかれさまでした。

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