楽団 理蝶
指揮者が右手を 挙げた
指揮棒の切先に引っ掛けた
透明のベールがするするとずれ落ち
楽団があらわになる
いそいそと準備していた
先ほどまでの彼らとはまるで違う
華やかに張り詰めた楽団
彼らのまなざしは
切先 ただ一点へ向かい
その切先は
この舞台の明かりをきゅっと集めた
小さな恒星のようにかがやいている
無音の域に潜みつつも
たしかにそこにある和音が
艶やかなフローリングや分厚い絨毯から
底鳴りして 聴衆の心を静かに高めてゆく
指揮者が右手を 振った
一点にあった 小さな恒星が分かれて
奏者ひとりひとりに降り注ぎ
万感の第一音と共に
舞台は金色の小銀河へと 様変わってゆく
ひとの息が 金管の回路を抜けて
肉々しい花びらのように 放たれ
ひとの弾みが 音板の芯まで響いて
晴れ空の果実のように 実る
小銀河に浮かぶ 桃源の見晴らし
絢爛に飾られた 法悦へのくだり坂
目を閉じて
結んだ口をゆるめて 浮かぶ
重力も音におぼれて
皆が皆今をわすれて 浮かぶ
奏者の首筋に汗が はしる
指揮者の創意と駆け引きが ひらめく
壮大なフィナーレに向かって
楽団は はち切れん力にふくらむ
ついに
フィナーレへ駆け込んだ楽団は
あるだけをすべて置いてゆくように
最後の音を鳴らした
指揮者が拳を 止めた
広がっていた音の物語は
一気に彼の拳に吸い込まれ
会場は呆けた息に包まれた
一つ間を置いて
割れんばかりの拍手、歓声
立ち上がり声を上げる人もいた
僕も思わず立ち上がって
いっぱいの拍手をしていた
拍手は鳴り止まなかった
つめたい今が この場所に帰り来るのを
必死に拒むように
皆 拍手をやめなかった
しばらくすれば
重たいドアのすきまから
容赦なく今は訪れて
再びこの場所を満たすのだろう
長い拍手も むなしいまま
青く萎えてしまうのだろう
けれど
かがやく音像と胸底の熱は
つめたい今に負けることなく
ひとの内に
いつまでも残ってゆくのだった