モノクロ 静間安夫
W:「この前のことですが、五歳になる娘に古いアルバムを見せてやっていたら『ねぇ、むかしは おようふくとか おうちとか みんな いろ がなかったの?』って聞いてくるんですよ。そのアルバムに貼ってある写真がみんな白黒だったから、そう思ったんでしょう。それにしても、あまりにも率直な感想なので、ちょっと驚きました。子供は見たまま、ありのままに世界を受け容れる、というのは本当ですね」
B:「いや、きみの娘さんに限った話じゃないさ。わたしだって、似たような錯覚を起こしたことがない、と言えば嘘になる。もちろん、昔の世界には色彩がなかった、などと本気で思ったことはないけれど」
W:「なるほど、繰り返し繰り返し、過去の人々や事物を、白黒写真と白黒映像を通して見てきたために、モノクロがいわば過去のデフォルトであるかのような錯覚に陥る、ということですね?」
B:「まさにそういうことさ。こうした錯覚というか習慣のせいだろう。最近、流行りの『白黒映像のカラー化技術』なるものに対しても、さっぱり馴染めない。明治・大正時代の世相や19世紀ヨーロッパの繁栄の様子など、モノクロフィルムに後から色彩を施した映像を見る機会が増えたけれど、その度にわたしは何とも居心地の悪い気分になる。色合いが不自然だとか、派手だとか、そういうことじゃない。ただひたすらに違和感を感じてしまうんだ。どうやら、わたしの脳内には『過去=モノクロ』という固定観念がしみついているようだ」
W:「でも、そうした固定観念は、案外みんなが持っているかもしれません。なぜってモノクロは、過去への郷愁を呼び起こすために、けっこう広く利用されていますから。例えば、レストランや喫茶店で、街角や人物のセピア色の写真を客席の壁にかけて、古風な情緒を醸し出そうとしているのを、よく見かけます。映画の世界でも、あえて白黒で撮影することで、懐旧の念に訴えようとするのは、おなじみの手です」
B:「確かにそうだね。ところが、だ。こうしてつらつらモノクロの利用について考えていくうちに、必ずしも『過去=モノクロ』の図式に当てはまらないものに突き当たるんだが、何だと思う?」
W:「え-っと何だろう?わかった!『今このとき』を伝える報道写真ですね。カラ-写真が一般に普及した後でさえ、ごく最近まで報道写真と言えばまず白黒写真が思い浮かびましたから」
B:「報道写真だけじゃない。肖像写真でも白黒で撮影されたものは多い。何しろ、モノクロ写真にしぼったコンテストだってあるくらいだ」
W:「意外にもモノクロの世界は広いということか…なぜだろう?コスト上のメリットとは別の理由がありそうですね」
B:「一言で説明するのは難しいけれど、まず、報道写真の場合には、あえて色彩のない世界で表現することによって余分な修飾を排し、写真で切り取られた一瞬の事実の重みに観る者の注意を引きつけようとするねらいがあるだろう。また、日常的な現実には基本的にあり得ない、色のない世界で表現することで、日常とは隔絶された非日常的な事態が生じたことを強調する意味もあると思う」
W:「なるほど。『事実の重みに観る者の注意を引きつける』ねらいがあるということですね...写真ではなくて絵画ですけど、ピカソの『ゲルニカ』がモノクロであることを思い出しました」
B:「そうだね。戦争の惨禍を告発するあの作品では、白と黒のそれぞれで生と死を象徴させながら、ゲルニカで何が起きたか、ということを観る者に訴えかけているんだよ。」
W:「どうやら、白と黒が暗示するイメ-ジの根底には、日常からはっきりと区別された非日常性の雰囲気があるようですね。劇的な演出と言ったらいいか…」
B:「確かにそう思う。肖像写真の場合にも、モノクロにして『余分な修飾』を取り去り、被写体である人物の内面にまなざしを向けさせる、という点に加えて、白と黒が織りなす陰影が、その肖像にドラマチックな印象を与えるのをねらっているのかもしれない」
W:「だいぶ、モノクロの世界の多様な姿が見えてきましたね」
B:「いやいや、まだまだ。もう一つ、おろそかにしてはならないことがある。」
W:「えっ、それはいったい?」
B:「灰色の部分をどう表現するか、言い換えれば白から黒にいたる諧調をいかに表現するか、ということなんだ。水墨画を思い起こしてみれば、きっとわかりやすいだろう。純白と漆黒の両極の間を多彩に描き分けることで、あの精妙な世界が生れてくるんだ。それが表現できないと、モノクロはいかにも平板なものになってしまう。さっき言ったモノクロ写真のコンテストでも、その点は重要な評価の対象であるらしい」
W:「水墨画とモノクロ写真の比較ですか…おもしろいですね。ジャンルを超えた比較と言えば、先日、ある作曲家が、弦楽四重奏曲を作曲するのは、黒鉛筆でデッサンを描くようなもの、と例えていました。両者とも使える手段は限られているにもかかわらず、思いもかけないほど豊かな作品を生み出すことができるから、というのがその理由です。
B:「なるほど。因みに文学の世界で、水墨画やモノクロ写真と比較できるジャンルは何だろう。詩だろうか?俳句だろうか?そうしたアナロジーを考えてみるのも、文学を味わうときの楽しみ方の一つかもしれないね」(了)