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スレッドNo.3922

5/7〜5/9 ご投稿分の感想です  荻座利守

皆さん、はじめまして。
今回は初めてとなりますので、感想のみとさせていただきます。
宜しくお願い致します。


5/7 「鳥」 喜太郎さん

優しく語りかける感じの詩ですね。どなたか親しい方へのメッセージでしょうか。
確かに様々な鳥は、羽ばたかずに風に乗って滑空していることがよくあるようですね。特に燕の滑空する姿は見事で美しいと思います。
鳥の飛ぶ姿と人の生き方とを比べるときのよくあるパターンは、「鳥のように自由になりたい」みたいなものですが、羽ばたかずに滑空する姿に喩えるところには新しさを感じます。
無理して羽ばたかずに世の中の風に乗れば、新たな自分が見えてくる。そこには何か「自分探し疲れ」のような感覚が背景にあるのかな、という印象も受けました。そんなところへの気遣いも窺えます。
また、はじめは「?」が少し多いかなと思ったのですが、話し言葉で書かれていて「?」がないと意味が伝わらないのであれば、それもアリですね。
ただ、一つだけ「争うのではなくて」というところが気になりました。「争う」という言葉には「敵対する」とか「諍いをする」という意味もありますので、この詩に込められたメッセージから観て、ここは「競う」とか「競争する」とか言った言葉のほうがニュアンスが合っているような気もしました。
でも、全体的に語りかける文体できちんと統一されていて、重たい感じにもならず、冗長なところもなく、読みやすいいい作品だと思います。


5/7 「だから」 あこさん

「自分が一番大事」、所謂「自己愛」ですね。健全な自己愛を持てないと、きちんと他者を愛せないという話を聞いたことがあります。
この詩の語り口はいい意味で軽く、読み手が構えずに詩の中にスッと入り込める感じがします。
また、「理屈にもならないような理屈」や「偉そうな母」や「自分に言いたかったんだろうか」といった表現に、悩みながら子育てする母親の姿がうまく表されていて、ここを読んだら共感する人は沢山いるだろうなと思いました。
ただ、これは個人的な印象なのですが、自分を愛するということを通して、一番伝えたいことは何なのか、その焦点がぼやけているように感じました。
母親としての自信のなさなのか、「あの凄く嫌な奴」のことなのか、それと息子さんへの想いなのか、訴えたいことの標準がブレているような気がしました。
その焦点を定めれば、日常生活の中に埋もれている大切なもの、美しいものを拾い上げた、とても良い作品になると思います。
また書いてみてください。


5/7 「町に下りたバーバ・ヤーガ」 紫陽花さん

現代では魔女は恐ろしい存在ではなくなってしましましたね。様々なメディアが恐ろしい姿で描かなくなっているからなのでしょう。
1連目の「勿論これからも子供を食べるつもりだが」というところを読んで、これは恐ろしい魔女の話なのかと思いましたが、最後まで読むと、何だかこの魔女が憐れに思えてきました。
3連目では小学校や児童の様子が具体的にいきいきと描かれていて、子どもたち様子がありありと目に浮かぶようです。
また2連目の
「5歳くらいのこどもが一番美味しいが
 贅沢なんて言ってられない」
という細かい設定や
「その上モンスターペアレントなんかが
 いるようで働く人が不足らしい」
といった描写がいいアクセントになっています。
特に直したほうがいいと思う点はありませんが、妖怪が怖がられなくなって、つまらなくなった森や、子どもたちからエネルギーを受け取る魔女というところが、どこかディズニーの「モンスターズインク」にも似ているような気もします。
そして最後には、元気な子どもたちのエネルギーをもらって孤独な魔女が癒やされてゆく、そんなふうにも受け取れましたが、魔女の孤独についての記述は末尾の4行のみで、ここは抑えが効いていていいですね。
読んでいて思わず微笑んでしまうような作品ですね。


5/7 「落雷のゆくえ」 理蝶さん

雷や稲妻は、詩人にとって魅力的な題材のようですね。
この詩では、触れるものすべてを焼き尽くす激しさと、刹那のからだが故のさみしさとの対比が素晴らしいです。また、
「暗い地の網目に
 ほどかれゆく高圧の束」
「密かな地下水脈を痺れさせて」
といった比喩表現も巧みだと思います。
ですがなんといっても、1連目の表現が最も美しく、特に冒頭の「大空の消失点」が秀逸だと感じました。
しかし2連目の「レイ・コンマ」という表現には少々違和感を感じました。
これは「0,」の読み方をそのままカタカナ表記にしたものだと思いますが、1連目の表現が秀逸である分、その後にこのような表現が置かれるとチグハグな感じがするのです。
優れた表現を冒頭に置くことには、読み手の目を引き付けるというメリットがありますが、その反面、その後の表現のハードルを上げてしまうというデメリットもあります。
そのような表現を詩のどこに配置するかは、なかなか悩ましいところなのですが、この場合は後半部分、落雷のさみしさを表した後に持ってきてはどうでしょうか。
「大空の消失点」は「さみしさ」とどこかつながるところがあるように感じます。ですから例えば、
「大空の消失点より生まれたが故に
 稲妻は生来のさみしさを背負っていた」
みたいな感じで表してみるのもひとつの方法かと思います。
優れた表現を生み出したり、落雷の中に孤独を観たりすることのできる鋭い感性をお持ちのようです。その感性を詩の構成にも用いてみてください。
期待しています。


5/8 「首筋の虫」 秋乃 夕陽さん

何やら得体の知れない不気味な感覚にとらわれたときの様子を描いた詩ですね。
理由のない漠然とした不安や正体のわからない不快感や嫌悪感にとらわれることが、人にはしばしばあるようです。私にも似たような経験がありますが、私の場合は大抵は体調の悪さに起因しているようです。
あるいは、この詩に描かれている不快感も身体的なもののことでしょうか。
1連目の
「左首筋に喰らいつく
 ドンとした重さ感じ」
2連目の
「まるで虫が
 しゃぶりつくような」
というところに、具体的な感覚をが上手く表されていると思いました。
ただ個人的な印象としては、全体として漠然としすぎていて、詩としては物足りなさを感じます。
その不気味な感じを通してさらに何かを伝えたり、表現により工夫を加えたりしてほしいところです。
自分でも漠然としか捉えられない感覚を、言葉にして表すことはとても難しいことだと思います。
ここは焦らずに、じっくり考えてみてはいかがでしょうか。
また書いてみてください。


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この掲示板に投稿された詩に感想を書くのはこれが始めてとなります。そのため作者の方々が伝えたかったこととは異なった捉え方をしているかもしれませんが、その場合はそのような受け取り方もあるのだと思っていただければ幸いです。

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