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スレッドNo.3935

評、4/26~4/29、ご投稿分。  島 秀生

*評、たいへん遅くなり、すみませんでした。お待たせしました。

*いつも不思議に思うことですが、鉄道マニアの人っていっぱいいると思うのに、
 何故だか廃線が止まらない。両者は関係がないのかしら? 


●akkoさん「テネシーワルツ」

うむ、今回もいい場面を捉えていますね。やっぱり着眼がいい。エッセイ風なことは全然ないですよ。ステキな詩だと思います。
この詩、とてもステキなことを書いてるんですが、1~2連凄くわかりにくいので、私は何回か読み返してわかったけど、フツウの読者にはたぶん誤読されてしまいそうです。
どうわかりにくいかというと、

まず、最初の「初めて」は自分のことなんですね。
そして聴きに来たのではなく、自分も弾きに来た。それが「初めて」ってことですよね。

この詩は初連の「華麗に弾く女性」が主語として目立っているので、この人がなんなのか、この人の話が2連以降もまだ続いているのかがわかりにくいことと、
2連の終行、

 おお、聞いたことのある曲、やってるね!

の、このセリフを誰が言ってるのかがわかりにくい。

そうした人の関係性と、どれが誰の言葉かわかりにくいところがあることと、
そもそも2連がなんのために出てきたのかも、少し不明瞭です。

そこをちょっとクリアーにしましょう。

 初めての超高層ビルの街角ピアノ
 黒いグランドピアノをとり囲むように
 広場いっぱいにテーブルと椅子が置かれ
 先に弾くのは
 ショパンのエチュードを華麗に弾く女性

 とてもじゃないけれど気後れして弾けないわ
 そう思ったけれど

 生前あなたは言っていた
 「たまには外で弾いたら・・?」
 そう言われていたからここに来た
 遠くのあなた
 いま弾いている音が聞こえていますか?
 「おお、聞いたことのある曲、やってるね!」

 弾き終えてボーっとしている私の背後でいきなり
 (以下略)

1~2連はこのように整理すると、原文の3連にきちんと繋がってくるのではないでしょうか? ご一考下さい。

こういう話がややこしくなるところというのは、推敲の折、一度、平文でだらだらだらっと書いてみて、話を整理してから、詩行に再度反映してみるというのも手ですよ。

うむ、そこから後ろは問題ないですね。コーヒー店の男性はうまく書けていますし、叙景も上手です。場所としての位置関係もよくわかります。

今回ちょっとミスが多かったんで、現状、秀作プラスにしますが、指摘したところ直してもらったら、名作にも代表作にもなれる作です。お話自体は、とてもいいお話です。


●温泉郷さん「塗りつぶされたバス」

大人になってもそうですけど、笑ってほしくない時に笑われるのは傷つきますよね。子供ごころであれば、なおのことだと思う。そんな少年時代の、絵を描く時間に受けた傷つきをストーリーにしてくれています。
しかも、その時、周りの子に笑われただけでなく、塗りつぶした絵がさらに授業参観で親たちにまで笑われるハメとなり、ダブルパンチです。サイアクの事態と言うほかない。少年の深く傷ついてゆく様子が巧みに表現されています。
絵を描いて笑われて、塗りつぶしたい気持ちも。塗りつぶして、別の物だと言い張りたい気持ちも。よくわかりますね、子供にも意地があるから。というか、なんか私も身に覚えがある感じがする。
ただ、それで終わらず、授業参観にまで及んだのは、計算外のことでしょうね。

ちょっとややこしいのが4連の「もう絶対走らせない」で、
これはもう二度と緑のバスの絵を書かないくらいの意で使ってるのでしょうが、「もう絶対走らせない」という言い方で、バスを第4連でころしてしまうと、後ろから3連目の

 みんなには見えへんかもしれんけどな
 本当は緑のバスが走ってるんやで

の詩行の意と相反してきてしまうので、話をややこしくします。
「本当は走ってる」の気持ちで、話をずっと通した方がいいと思いますよ。
だから、第4連の方は、「もう二度と緑のバスの絵を書かない」くらいの素直な言い方にして、「走る・走らない」の言葉は第4連では使わない方がいいと私は思います。

終盤。
少年にぐっと感情移入してしゃべりますと、絵を否定されたことで、少年が本当の緑のバスまでキライにならなくて良かったな、という気持ちになりました。また、剣道をしてるところを見ると、少年の癇癪持ちも、きっと治ったのでしょう。ハッピーエンドといいましょうか、読んでいて、気持ちが明るくなる方のエンディングが用意されてて良かったです。

終連なんですが、面手拭いは、頭に巻いて使うものですからねえー 汗止めだったり、面を受けた時の衝撃を和らげるために。それに面の後ろ側から見えていて、人から見られる部分でもあるものなので、皆、白く清潔に保ってますよね。その面手拭いを、泥を拭くために使いたいと思うかなあー ちょっと不自然が過ぎないでしょうか?
たぶん剣道をやってる様子を出すことで、少年はいま中学生以上になっているという、数年の時の流れを表現したかったんでしょうけど、面手拭いを泥の汚れを拭くために使用するなんてのは、まずあり得ない気がします。それほどに不自然です。
単に時間経過を表わすためであれば、ちょっと他の手を考えた方がいいと思いますよ。あるいは剣道はそのままで、別に拭こうとしなくても、他に言いようはあるような気がします。

あと、終連時点(その時点で現在)の天候がそもそもわかっているわけではないので、「乾いた泥」のひとことだけで、今が「晴れ」とイメージさせるのはちと厳しいです。ついては、3行目も、

 まだタイヤにへばりついている

と、「まだ」のひとことを添えて補強した方がいいです。

うむ、若干ありましたが、少年の心の動きがつぶさに書けてて良かったです。いい詩でした。
指摘した点については、自分で一考してみてもらうということで、その条件で、秀作プラスを。


●あこさん「7を引く」

患者になった脳外科医が自身を書き留めた話、患者になってみて患者の不安がよくわかったという話は、どこかで読んだ記憶があるんですが、
そうでしたか。100から7を引いていくんでしたか。
そこだけ聞くと不思議に思うけど、脳外科医ならでは確認手法だったわけですね。

詩に、そういう興味深い知識の引用部分があるのはいいと思います。話が深まります。また、実際、作者が自身を確認するのにも、有効な手段であるようです。(いや、実際、私も集中しないと最後までいけない。1回途中で間違えた)

また、後ろから2連目で、

 それが早いか遅いか いつなのか
 分かっている人いない人は様々だけど

と、自分一人の問題でなく、皆に関わる問題だと、話を広げてくれているのがいい。
そういえば、知人のケアマネジャーが、「年取ったら、誰でもみんな障碍者!!」と極論(暴言?)を吐いていたのを思い出しました。おっしゃるとおり、誰でもいつかは来ますね。

それにしても、100から7を引く話に注目したのは、この詩をとてもおもしろく興味深いものにしています。ここに着目した時点で、これはもう詩だ!って感じです。いい着眼でした。

つけ加えてこの詩が優れていると思ったのは、3連ですね。

 一日中PCにほぼ触れずにいると
 軟弱な自分が他にすることがないのが良く分かる
 インターネットに触れるまでって
 自分ってなにをしていたんだろう?

PCなりスマホなりを取り上げられるとすると、自分の手持ち無沙汰が露わになる。PCやスマホがない時代、自分は何をしてたんだろう???ってなる。これは現代人が共通して抱く自問でしょうね。真理を突いてました。

また、初連初行、

 外出すると 翌日たいてい熱が出る

これで始まるのが凄く良い。
この人はなにか病気なり障碍なりをお持ちの人なのだなと、この出だしの行で察しがつきます。それによって、読者が、作者についてのそういった前提を置いて読む、前フリとなってる効果があります。
いい出だしだということです。

うむ、いい詩でした。あこさんは私は初めてなので、今回は感想のみなりますが、この詩は二重丸だと思いますよ。とてもよく書けていますし、おもしろい。


●相野零次さん「議論」

この粘り強い考察は、まずもって努力賞ですね。
それに、

 神自ら手は出せない。
 祈るしかない。
 そうさ、神頼みという言葉は神のためにあるのだ。

というオチつきです。うむ、秀作を。

ここにオチをもってくるのに構成は図っているようですが、もう少し議論の流れがクリアになった方がいいですね。今、話がこっちに行った。次は話がそっちに行った。てな、感じで、都度都度の方向が見えた方が良い。そして「人間の愛」の部分以外は、話が往復しない方がいいですね。

それと、全体的に「 」で括るのではなく、神様A、神様B、神様C みたいに(あるいはゼウス太郎、ゼウス次郎、ゼウス三郎みたいな名前をつけてもいいけど)、複数人の会話形式で、意見一つずつを「 」で分けられるといいですね。
で、できれば過激な意見はこの神、穏健派はこの神、みたいにキャラ分けまでできればベストです。

というわけで、この詩は、現状、秀作ですが、もうちょっと整理すれば、まだ上に行ける作ですよ。ご自分でもうちょっとやられればいいと思います。

たしかに今の世界情勢は、神様も困ってるだろうなあーと思いました。


●秋さやかさん「おぼろづきよ」

それぞれが美しいパーツで構成されているんですが、
秋さん、これ、自分で声に出して読んで、本当に読みやすいですか???
私、これ、4連と6連が、連内でつかえて、凄く読みにくかったんですが、秋さんはこれ、スルッと読めるんですかね? 元がバラバラのものを繋いでいるからか、なにかギクシャクするんですが。

またこの詩は、基本的には、連ごとに主語が違う、並列型の並びなんですが、そうかと思うと3~5連だけは話が繋がってるから、そこがまた読みにくいんですよね。
詩って、やっぱり第一には、全体で何が言えているか、なので、全体の連係と流れの呼吸感は大事なわけです。そこをもうちょっと考えてほしい気がします。
ちょっと例を。


おぼろづきよに口笛ふけば
雲はほろほろ解けていき
あなたの寝顔を象ってゆく

歌詞を忘れた子守唄
あなたの夢に届くだろうか


木々はざわめきながら
根元に溜まる月光を吸いあげている

枝先で開かれた羽が
ゆらめく夜の
出口となって

寄るべないものたちを眠らせる

羽ばたきからこぼれ落ちたわたしは
ただひたすらに
螺旋階段を降りてゆく

昏い体内に棲まう星たちが
張り巡らされた静脈の分け目で
蒼白く瞬く

祈りの言葉を語るように

そうしていつしか
靡くカーテンの緩やかな襞が
月明かりを透かしながら
夢とうつつの波打ち際へと溶けてゆく

変わらない景色
変わらない夜空

けれどたしかに終わってゆく
冷たく滑らかな手すりの
始まりで解かれた
あなたのか細い指先

底に沈んだ夕日を求め
澄んだ足音だけが続いてゆく
明るすぎず暗すぎない
春の宵を


ニュアンスを拾いきれてなかったら、ごめんなさい。
ともかく連ごとに1つのイメージを。
そして連から連へのイマジネーションの橋渡しをスムーズに。
スムーズに行ってないから、各連が並列に見えてしまうんだと思う。

部分であまり欲張りすぎると、それが足を引っ張って、全体を崩しますよ。それは避けるべきかと思います。
そういう意味でちょっと整理が足りない気がします。また、全体として何を伝えたいのかの、目的意識も少し足りない気がする。一考下さい。

うーーん、ステキな表現が断片的にいっぱいあるんですけどね。秀作にとどめます。

それから、いろいろ書き方を試される&楽しまれるのもいいけれど、まずは自分のこれっていう得意技の書き方を一つ確立されることをオススメします。もうちょっと繰り返し続けられれば完成するのになあというところで、何故か毎回変えられるのが、よくわからない。
まずは一刀流の確立を、次に二刀流を会得する。それが近道です。詩って、二刀流あればたいていのテーマに対応できるのです。
秋さんはいろんな書き方ができるけど、現状、どれも練度が最後まで達してない気がします。遠回りしてると思いますよ。
素材によって書き方を変えなきゃいけないんじゃなくて、一つの書き方を極めてると、その応用でかなりのテーマに対応ができるのです。
この詩についても、秋さんは自分のもっと得手な書き方で、詩にできた気がしてるのだけど。


●上田一眞さん「マロニエは咲かない」

昭和初期に渡仏した有名な画家の、名画にからむ恋物語というふうなムードで読みました。パリの街とロマンスがよく似合います。
知人の詩人は、パリの街とシャンソンなんですが、このお話で登場するのはファド。ファドが登場するのは珍しい気がします。特徴的ですね。
想像ですが、彼女はファドの歌手で、アルバイトでモデルをしてたのでしょう。彼は帰国にあたり、彼女に結婚を迫りますが、彼女が選んだのは、彼ではなく、ファドの歌手としての道。それだから終連で、「ファドに敗れた」の詩行があるのでしょう。
昔も今も、ヨーロッパの芸術の中心はパリであるようで、絵画に限らず、音楽関係でも、一旗揚げようとする人はEU各国からパリに集結するようです。ひと花咲かせられなかった人は、当然ながら、それぞれの自国に戻ってゆきます。彼女に関して、そういう背景も感じます。想像ではありますが。

パリの街に似合うロマンスで、とても雰囲気ある世界を味わわせて頂きました。これはこれでいいと思う。秀作を。
設定自体は大きな物語なんですが、読んだ感じは小さくまとめられた物語で、雰囲気は良いものの小品の感なのです。ちょっと出来すぎ感があるのかもしれません。結果として、あまり迫ってくる感じはないのです。小さな恋の物語を聞かせて頂いた、そんな印象です。

あと、これは個人的な感慨になりますが、冬の比喩にユトリロを使われるのは、ちょっと。
たしかに冬の絵もままありますが、特徴は白壁の白にあり、それは雪のせいではないので。
ユトリロは生活環境に恵まれなかったとはいえ、元々パリ生まれの人なので、通りに対する見方が、よそから来た人とは違うようです。彼の哀愁の眼から見ると、生まれ故郷の街が、ああ見えるというか。当然ながら、いろんな通りにも詳しいし。

編集・削除(編集済: 2024年05月14日 18:22)

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