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スレッドNo.3947

感想と評 4/30~5/2ご投稿分  水無川 渉

お待たせいたしました。4/30~5/2ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。

なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。

●益山弘太郎さん「春」
 益山さん、こんにちは。初めての方ですので感想を書かせていただきます。
 古来、春の訪れを歌った詩は多いですが、この作品からも春の開放感や生命の芽吹き、光といったイメージがよく伝わってきます。同時に、語り手は春の喜びに完全に没入しているわけではなく、どこか一歩引いた視点から春の情景を眺めているように思います。語り手は眼前の春の情景の向こうに、見知らぬ土地の春を想い、また次の冬の訪れを早くも考えています。このような視点の設定が、この詩の叙情を抑制の効いたものにしていると思います。好き嫌いは分かれるかもしれませんが、個人的にはとても良いと思いました。特に最初と最後に冬のイメージを持ってくることで、春の儚さや季節の移り変わりが意識させられ、東洋的無常観のようなものさえ感じられます。
 一点だけコメントしますと、3連の「友達も これから 知り合う人も」は文法的にどこにもつながらない、宙ぶらりんの表現であるように思いました。他の部分とのつながりを明確化するか、あるいは削除することをおすすめします。
 とても味わい深い詩でした。またのご投稿をお待ちしています。

●喜太郎さん「逆算人生」
 喜太郎さん、こんにちは。人生の中で自分に残された時間はあとどれくらいか……この作品は、私のように人生の半ばを越えた人間としてはとても共感できる詩でした。自分の残り時間を計算したところで、その計算が正確である保証はないし、詩の中で書かれているように、「明日さえも生きられない可能性もある」。そうと分かっていてもついつい気になって計算してしまう、その気持はよく分かります。
 この作品はそのようにして落ち込みがちな自分に対して、もっと前向きに生きていこうと自ら励ましている詩ですね。最終行の「花の命は結構長いもんさ」は、林芙美子の有名な「花の命は短くて……」を裏返したものでしょうが、図太く生き抜いていこうとする語り手のしたたかさやユーモアを感じました。
 少し気になったのは、最後から2行目の「やりたい事を減らしていこうよ」でした。これはそれまでの部分で書かれていた内容とうまく繋がらないような気がするのですが、いかがでしょうか。それから、全体的に連分けをした方がより読みやすくなると思います。評価は佳作一歩前です。

●司 龍之介さん「家出」
 司さん、こんにちは。初めての方ですので感想を書かせていただきます。この作品は語り手の「俺」の家出体験を綴ったものですが、冒頭に書きましたように、詩中の「俺」と作者の司さんとは区別して書かせていただきますので、ご了承ください。
 さてこの詩は「俺」が父親と喧嘩をして家を飛び出し、冬の街を彷徨ったあげく、母親の車に拾われて祖母の家に行き、そこで祖母と二人暮らしを始めるまでを描いた作品ですが、その中で様々な思い出がフラッシュバックしていきます。そして「俺」はこの家出の出来事全体を、祖母と二人暮らしを始めて平穏を取り戻した現在の時点から振り返っています。この出来事が「俺」の人生の中で大きな意味を持っていることが伝わってきます。けれども、その出来事やその時の「俺」の心情をことさらに美化することなく淡々と描いているのが、かえってリアリティを感じさせて良かったです。
 あえてコメントしますと、ところどころ日本語の表現として意味が繋がりにくい部分が見受けられました。たとえば6連9行目「暫く説教を食らって警察にも電話したそうだ」は前半と後半で主語が違う文章が結合されて分かりにくくなっています(説教を食らったのは「俺」、警察に電話したのは「お袋」でしょう)。こういった箇所を推敲して練り上げていけば、さらに良い詩になっていくと思います。次回の投稿も楽しみにしています。

●森山 遼さん「永遠の影」
 森山さん、こんにちは。これは森山さんらしい、一語一語噛みしめるような静謐で透明感のある文体ですね。同じ語が繰り返されていく表現は、人によって評価が分かれるかもしれませんが、私は肯定的に受け止めたいと思います。
 この詩に登場する「あなた」がどのような存在なのか、よく分かりませんが、語り手の「わたし」にとって大切な存在だったようです。けれどもその「あなた」は「飛んで」行った。これは「わたし」の元から去っていった、おそらく亡くなったことを表しているのだと思います。あとに残ったのはその影のみ。しかしその美しい影は永遠に残る。この「影」は「あなた」の思い出でしょうか。
 抽象度の高い作品で、様々な解釈ができるかもしれませんが、具体的な事情は分からなくても、失われたものに対する切ない思いが感じられる詩で、不思議と心に響いてきました。評価は佳作です。

●大杉 司さん「仕事」
 大杉さん、こんにちは。初めての方ですので感想を書かせていただきます。
 この詩は勤め人にはおなじみの、朝の通勤ラッシュを描いたものですね。おそらく作者が実際に通勤途中に周囲を観察して書かれたであろう具体的な描写がリアリティを感じさせます。こうした日常の些細なディテールに注意を向けていくことは、詩作をする上でとても大切なことだと思います。そのことを申し上げた上であえて指摘しますと、例えば5連:

目的地につくと
我先に群がるサラリーマンや
自信家のOL達が
一斉に出て来た

前の連からすると語り手の「僕」は車内にいて、サラリーマンやOL達と一緒に降りようとしているところだと思いますが、最後の行の「出て来た」はホームからの視点の書き方になっていますので、車内からの視点で書き直した方が良いと思います。
 もう一つ、この詩は通勤ラッシュを抜けてこれから仕事にとりかかろうと自分を励ますところで終わっています。とすると、タイトルの「仕事」はこの詩の内容と微妙にずれているように思います。もっとぴったりくるタイトルがないか、考えてみてください。
 初めての方にしてはいろいろと注文をつけてしまいましたが、良い観察眼を持った書き手さんだとお見受けしますので、これからもぜひ詩作を続けていって頂きたいと思います。またのご投稿をお待ちしています。

●秋乃 夕陽さん「母」
 秋乃さん、こんにちは。初めての方ですので感想を書かせていただきます。この作品も、冒頭に申し上げた通り、作中の「私」と作者である秋乃さんとは区別して読ませていただいていますので、ご了承ください。
 作中で明言されているわけではありませんが、おそらく「私」は女性と思われます。この作品では母親が主題になっていますが、「私」にとって「母」は母親であると同時に姉妹であり親友であると言います。母と娘というのは独特の親密な関係性を育むことが多いようですね。そして様々な苦難を乗り越えて自分を育ててくれた「母」を「私」は尊敬し、その姿を見習って生きていきたいと願う……「私」の「母」に対する温かな思いが伝わってくる作品でした。
 主題についてコメントすることは何もないのですが、あえて言えば、全体的に抽象的で説明的な内容になっていますので、「私」と「母」の日常のやり取りや、「母」が通ってきた苦難について、より具体的な描写を含めるともっと訴える力が強まるかと思いました。おそらく秋乃さんにとってこの主題はとても大切なものと思われますので、「母」をテーマにした連作に発展させていくことさえ可能かもしれません。……と、ここまで書いたところで、最近の投稿では「母」について書かれていることに気が付きました。これからが楽しみです。またのご投稿をお待ちしています。

●じじいじじいさん「みているよ」
 じじいじじいさん、こんにちは。この詩にある「おおきい ちいさい そんなことはかんけいないね」は、じじいじじいさんの詩作を貫く重要なテーマの一つであると思います。今回はその主題をタンポポとヒマワリという2つの花に託して描いておられます。どちらも身近にある黄色い花ですが、大きさがかなり違いますね。この2つの組み合わせを取り上げたのは良かったと思います。
 内容的にはおっしゃる通りで、特にコメントすることはないのですが、今回の詩はいつものじじいじじいさんの詩と比べて、行分けしない散文詩的な段落が多いように思います。どのような理由でそうされたのか分かりませんが、私にはあまり効果が上がっているようには思えませんでした。たとえば4連2~3行目で「あなたはいろんなところにタネを/りょこうさせて」と改行しているのはなぜでしょうか。また、じじいじじいさんのひらがなを多用したスタイルで(これはこれで良いと思うのですが)行分けしないというのは、読者としては正直かなり読みづらかったです。
 新しい文体を求めて試行錯誤しておられるのかもしれませんが、今回はまだ方向性が定まっていられないように思いました。今後に期待したいと思います。評価は佳作一歩前となります。

●巣本趣味さん「完璧なる日々」
 巣本さん、こんにちは。初めての方なので、感想を書かせていただきます。
 さて、この作品は4行1連で4連構成、しかも全行が「注意せよ」で終わるという、とても緊密な構成を持っていますね。そこで注意を向けるように促されている対象は、日常生活でよく見かけるけれども普通は見過ごしてしまいがちな世界のディテールが取り上げられています。それぞれ、どのような意味を持っているのか、なぜそこに注意を向けなければならないのか、にわかに理解しがたいものであり、しかもそれらがランダムに取り上げられているようにも思えます。
 しかし、これらのイメージは全体として何かしらの不具合や異常性を感じさせるものが取り上げられています。特に3連では身体の不調が取り上げられ、終連では死を連想させるイメージでまとめられており、連が進むにつれて不穏な雰囲気が増していって終わっています。語り手は科学者のような冷徹な目でこれらを淡々と描写し、読み手の注意を促していきます。これら全体をまとめる「完璧なる日々」というタイトルは、おそらくアイロニーとしてつけられているのでしょう。
 非常に面白い作品だと思いましたし、硬質でキレのある文体にも好感を持ちました。ぜひまた書いてみてください。

●紫陽花さん「希望」
 紫陽花さん、こんにちは。紫陽花さんは以前にも、水槽の魚に仮託した詩を書かれたことがありましたが、今回は実際に水槽で飼われているめだかについての作品ですね。
 動物や植物を育てていて感動することの一つは、新しい命が生み出されていく神秘的な場面に立ち会うことだと思いますが、この詩の前半ではめだかの産卵について描かれています。希望を表しているかのような美しい卵……そんなほのぼのした雰囲気で終わるのかと思いきや、そこで話が急展開してめだかが卵を食べてしまうというシビアな話になり、しかもその姿を、せっかく抱いた希望を自ら壊してしまう自分自身に重ねていく……この構成は実にお見事です。
 けれども否定的なまま終わるのではなく、最後に登場する、めだかの口の端に一粒残った卵に、「私」はかすかな救いを見出しているようです。めだかに「もうそろそろ希望を大事に育ててもいいよ」と語りかける「私」は、きっと自分自身に語りかけているのでしょう。
一点だけコメントすれば、3連初行の「めだかは自分の卵を食べてしまうから」は2連の終わりに移した方が良いように思いました。ご一考ください。
 評価は文句なしの佳作です。



以上、9篇でした。今回は初めて作品を拝読させていただく方々も多くて、とても新鮮な詩体験をさせていただきました。ありがとうございます。

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