雨の物語 あこ
もう ずっとずっとずっと 前
深夜に息子がビショビショで帰ってきた
最寄り駅から電話をかけてきたとき
自転車で帰ると言うから
「傘持ってるの?」
「うん」
なのに ずぶぬれで帰ってきた
「傘は?」
「ずぶぬれの傘のない人が居たから貸した」
(貸したんじゃなく それは あげちゃったんだろが
まぁいいか。。)
あのねぇ その人もずぶぬれだろうけど
お前だって ずぶぬれやぁん
「だって 僕は帰ってすぐ風呂へ入れるから」
あのなぁ・・
その人だって帰ってすぐ風呂へ・・
ま・・・ いいかぁ
深夜遅く帰ってきたこと
連絡が かなり遅くなってから来たこと
怒りました 当然
昨今の日本が わけのわからん
理解できない事件がやたら起きていて
そんな時期に 深夜まで連絡無しで子供が帰らなかったら
どれだけ心配するか どれだけ探し回るか
怒ったし 胃の痛む思いを訴えたし
そこへ 「傘 あげました」
「びしょぬれで可哀想で・・・」
これは・・・
怒れません
文句も言えません
お前なぁ 傘だって無料じゃねーんだぞ
・・・なぁんて
思っても 言いません
そかぁ その人は助かったねぇ
早く お風呂入って 風邪ひかないよう寝るんだよぉ
息子が寝た後 ふと 思いました
思ってしまいました
深夜の駅
傘を差した男の子
「ど-ぞー」 傘を差し出す
「え? だって 君は?」
「私はありがたいけど 君だって濡れるでしょう?」
そんな想像
そうして
「ありがとうね」
「君の気持ちはすごく嬉しい」
「でも 君も濡れちゃうんだから」
「気持ちだけありがたく貰うね」
あたしの中の 想像
あたしの中の実際怒り得る現象
でも・・
それはなにもなかったらしい
「あ ありがとう」
傘を貰った(借りた?)人はそのまま
当たり前のように走り去る
それが 現実
それが これから
この息子達が生き抜いてゆく 現実の社会
ねじくれたメビウスの輪は
それでも ちゃんと 輪になって繋がってはいるけれど
もう ねじれた輪すら ここにはないのだろうか
この子達は どこに行くのだろう
私たちは どこに 連れていこうとするのだろう
傘をさして帰った人の心に
その傘はずっと さされ続けるのだろうか・・
雨が上がると同時に
全ては 消え去ってしまうのだろうか
なにもわからないまま
それでも私はやっぱり
「その人は 濡れなくて良かったねぇ」
きっとそうしか言わない
言えない
そんな 我が家の
雨の 物語・・・