◎2024/5/14~5/16ご投稿分 評と感想です。 (青島江里)
☆2024/5/14~5/16ご投稿分 評と感想です。
☆Uターン あこさん
作者さん的Uターン持論。Uターン考。楽しく拝見させていただきました。口語的な作風。ラジオなどで朗読されたら面白そうだなとも感じました。
〇私の人生なんてホボ全部Uターンだ
〇Uターンはある程度間違いに気付いて それを正すためにUターンするんだ
〇(人生のUターンは) 車と違って 標識は出てない
行きどまって初めて気付き Uターンも出来ない事に気付く
などなど、真剣に人生について考える場面や……他にも、人生の免許証だとか、人にもナビがあったらいいのにという、ありそうでないことまで、いろんなことが登場します。とても楽しまれて書いているという雰囲気が伝わってきました。
ところで、作品全体を見まわして気になったことがいくつかありました。一つ目は絵文字です。仮に、友人のメールがこんな感じできましたと、そのまま描写する意味で使用するのは、それでよいと思うのですが、個人的には、絵文字というのは、メールなど、そのままでは伝わりにくいものを補助する役割のものだと思っています。なので、詩は、省略したものを空白の一行の中に感じてもらうということも楽しみの一つだと思うので、もったいないと思うのです。同じように(笑)や(爆)など、()文字の連発ももったいないなぁって思ってしまいます。絵文字や()文字に頼らず、独自の表現や描写を考えて、それが誰か伝わった時の喜びを体験してもらいたいです。絶対、有意義な詩作タイムになると思いますよ。書きたいことを自由に書いて楽しむっていうことが、たくさん伝わってきた作品でした。今回は佳作三歩手前で。
☆想い 喜太郎さん
出会いがあれば別れがある。ずっと続きそうな間柄だと信じていても、何かの拍子でうまくいかないことがある。初めの頃に戻りたくても戻れない。会わなければよかった。そのような切なくてどうしようもない想いを描いてくれている。そのようなことが頭の中に浮かびました。詩の連分けや、組み立て方など、一般的な面からみて、詩ってこのようなかたちをしているということについては、充分に素養を持たれている方だなぁと思いました。
全体的に見て、個人的に今回の作品で気になったところは次のようなところです。言葉の選択についてです。前六連の中にある「会いたい」「抱きしめて」などの言葉です。詩の中によく似た言葉も含めて非常にたくさんの数が散りばめられています。これがどういう風に気になったのかと言いますと、こちらの言葉は、歌によく出てくる言葉たちだからです。これらの言葉たちが繰り返されたりする歌、作者さんも、なじみの曲からでも、すぐに思い浮かべることができるのではないでしょうか。こちらの言葉はメロディーにのせやすく、音の強弱で色々なイメージをつけやすい性質をもつ言葉のように思えます。特に二連目の「強く強く抱きしめて」などは、この作品の流れからみても、歌詞になりそうな言葉の並びになっていると思えました。
このような言葉を使ってはいけないということではなく、頼りすぎず、ここぞという場面に使って描きたいことを印象付ける役割を持たせるようにすると、また感じの違った風合いの作品になると思いました。
いつも選ばない未来にばかり
美しい花は咲きほこるのに
歩む道には棘が心に突き刺さる
今回の作品の中で一番いいなぁと感じたのはこの表現でした。明るい未来というイメージ。美しい花。かがやかしく映る未来。その道を自ら踏み間違えた思ったこと、違う道を選択すればよかったと思えること。この連の中にある「棘」という言葉が、薔薇の花を彷彿させ、華やかさとは180度違うと感じる当人の暗さを伴う痛み、後悔や失望を表に押し出している役割を果たしていると感じました。今回は佳作二歩手前で。
☆翡翠の季節 理蝶さん
翡翠と言われて思い浮かぶのは、あの緑色。若葉や美しい水の色を感じさせてくれますね。新緑の季節の様子にあてがった「翡翠」という言葉。ぴったりだと思いました。
一連目の「後部座席で」これ重要ですよね。どこが?と思うかもしれませんが、この言葉、真ん中あたりで取り入れたとして、それを読み逃していた場合、「僕はまた眠ってしまうだろう……100キロを越える時速も忘れて」で「え?居眠り運転?!」ってなってしまいそうですから。笑わせようとして言っているのではなくてねぇ、ああ、そうだなぁって。こういう丁寧さのおかげで、読み手は快適に読ませてもらっていることもあるよなぁって思わせてもらったということなのです。
目覚めというスロースタートからの、ハイウェイでの車のスピード感。目覚めた時の、トンネルを抜けた時に感じるような、まぶしい季節感あふれる風景の美しさ。その流れの速度とは180度かわるような、ルームミラーからの静かな父の存在と、のんびりしたラジオのオールデイズ。車の内側と外側の時間とスピード。二つの場面を表現することで、より一層、今ここにしかないものを感じさせてくれていると思いました。五連目の「さわやかな胸さ」はどこか違和感を感じたので、上の行の「翡翠感!」に似せて「胸の爽快感!」あたりはどうでしょうか。
この作品の中で一番印象に残った表現は次です。
流れるは
神様が雑にちぎって浮かべた雲
陽の端をつかまえて 内側から光っている
神様が雑にちぎって浮かべた雲って、とてもユニークな表現ですね。感じ方ひとつで、どこにでもある雲の様子も神秘的だとか、違って見えてきますね。詩の楽しいところだと思わせてくれた一連でした。身をゆだねることのできるドライバーがいて。今の季節を感じながら心地よく眠りにつける幸福感。「翡翠がとろけてゆくだろう」という一言に凝縮されているように思えました。今回はふんわりあまめの佳作を。
☆呪物になったかかし 紫陽花さん
タイトル的には「かかし」なのですが、「呪」という漢字が藁人形も彷彿させます。タイトルにしっかりと「かかし」が記されていたため、顔は白い布でという表現は、白い布で覆われたかかしの顔を想像することができました。そして、「多分息はしていない」の「多分」の使い方。生きていないと思うけど、生きているかもしれないというようなことを感じさせる部分。どこか生々しいものが伝わってきました。「誰もいない畑にずっと立った~忘れられた」の部分は、異分子としての私という、ぞっとするような孤独が伝わってきました。また、三連目からの息をつかせないほどの自己嫌悪の連打は、かき消したいしまいたいほどの苦しみが伝わってきました。
頭の中は藁だから心臓だって藁だから
いきいき見える周りのみんなが妬ましい
かかしがだんだん藁人形に見えてくる表現。藁人形は誰かが誰かを呪う人形ですが、この場合は、自分で自分を呪っている感が迫ってきます。どうしようもない苦しみを感じました。誰かのせいだと連打しているけれど、実際は「誰かのせいにしたい」と思っているような部分が見え隠れしてくるところが切ないです。異分子的に扱われる存在としての孤独がひしひしと感じられた作品でした。佳作を。
☆日向ぼっこ 温泉郷さん
日曜日の朝の親子のワンシーン。とてもあたたかな風景でした。
全体的にみて、ちょっと迷われているのかなと思ったのは、一連目や四連目あたりですね。会話の部分です。この作品は、親子の会話が軸になっていると思うので、会話の部分がピックアップされるようなかたちに整えるのもいいかもしれませんね。十一連目のように、一行空け、会話の部分を字下げして、そのあと再び一行空けにして、会話の部分が独立したような感じするとわかりやすくなるかなぁと。この連を参考に揃えるとすると、一連目、四連目あたりは、私ならこんな感じかな。更に他の会話の部分も揃えてみると、この作品の良い部分の親子の会話が、今以上にいい味をだしてくれると思いました。
天気がいいと母はいう
行儀悪いよ わたしは
パジャマの両足をたくし上げて
床にぺたんと座り……
以前わたしが
行儀悪いと言ったときは
恥ずかしそうだったのに
いまでは平気な顔
行儀悪いよ わたしは
細くなって皺の増えた脚……
母と子の日向ぼっこのやり取り。どちらかが上からものを言うわけでもなく、会話のあちらこちらに、どちらもお互いを少しずつ尊重する気持ちが感じられ、そんなおだやかな時間を感じさせてくれる流れが心地よい作品だと思いました。最終連の「ぼやっと暖かい」の「ぼやっと」ですが、これだと、座っていた誰かが立ち去ったあと、次の人が座った時に感じる椅子の生ぬるさのような暖かさになる感じがしたので、「ほわっと」あたりはどうでしょうか。最終連のおちのような着地もまた、ほのぼの感たっぷりで「ああ、日向ぼっこしたい」って思わせてくれるような、そんなあたたかさがありました。今回は佳作半歩手前で。
☆慣性の法則 荒木章太郎さん
慣性の法則。止まったものは止まったまま。その慣性を感性に置き替えての展開ですね。はい。よいアイデアだと思います。けれど、タイトルが慣性の法則とあって、作中の一行目にいきなり「感性」としてしまうと誤字?と思われてしまうこともありますので、思い切ってタイトルを「感性の法則」としてしまっても、読み手は「あぁ~慣性の法則にひっかけているんだなぁ。」と推測してくれるように思えました。そうですね。現在のタイトルに従順になるなら、一行目を、いきなり感性の法則とするのではなくて、「慣性の法則のごとく」にするのも一つの方法だと思います。そのあとの一例にあげられている数々は「なるほど!」と思わせてくれるような事柄の数々でした。
次に場面の設定ですが、黒い傘をさした君が現れたのは海沿いのとある場所でいいのかな。個人的には、そこがさっと浮かんでこなかったです。理由は、最終連。君は傘を閉じるということはわかるのですが、僕の方は傷んだ服を洗い出すとなっているからです。海沿いで急に服を洗い出すということ。現実に洗い出すのではなくて気持ちのことですよとされたとしても、それが一体どういうことを指すのかということがはっきりとしなかったので、言葉を置きかえたり、表現を変えてみるなど、もう一歩踏み込まれて書かれるといいのではないかと思いました。あと最終連の、底の方からラストまでですが、底にかけた言葉遊びのようなアイデアが見受けられるのですが、服を洗うからの「底」とラストの「距離」という言葉が繋がりにくくなっているように思えました。作品の貴重な着地点ということもあり、こちらも、僕と君の距離に重きをおくのか、それとも「底」に注目するのなら、深さに重きを置きたいのか。どちらに重きを置きたいのかを考えた上で、あと一歩踏み込まれてみることをおすすめしたいです。
今回の作品の中で一番よかったなぁと思った連は、三連目と四連目。多数決で決まってしまうような周辺の白黒のアンサーに戸惑う人間社会の窮屈さがよく表現できていると思いました。特に、「白と黒の葛藤の狭間にある/吊り革のような思想に/しがみついていて/身動きができない」がよかったです。吊り革にしがみつくという表現より、通勤電車の満員の車中のイメージが浮かんできて、拝見しながら、同時に窮屈さを重ねることができました。また、電車が揺れるたびに吊り革も揺れるので、その体感を人の意見に左右される気持ちに重ねることもできました。
「慣性の法則」という言葉から思い浮かんだ世界を広げてゆくアイデアは、よいと思います。私もやったことがあるのですが、片っ端から、その場でぱっと思い浮かんだり、周辺で見えた言葉のイメージを一日一詩にしている時期がありました。「スリッパ」「ゴミ箱」などなど。今はできそうにありませんが、結構楽しく、いい練習になった記憶があります。今回、拝見しているうち、そのようなことも思い出しました。これからも熱中できるよい時間に恵まれるといいですね。今回は佳作三歩手前で。
☆無念 秋乃 夕陽さん
うまくいかないことは、日常の誰しも経験することですが、そのような時、更に、いい人ばかりではないという気持ちとぶつかってしまうと、言い知れぬ失望感があふれてきますよね。
真面目な人が真面目に動いても、それが真面目ではなく、ダメな行為だととられてしまうこともまた、経験することの一つかもしれませんが、それは許せないことですよね。人によって態度を変える人間。利益ばかり考える人間。その裏でねじ伏せられている人の姿があると思うと、拳をふるわせてしまうような、やりきれない気持ちになりますよね。
作品の最後で「相手が去し(「去りし」ですよね?)後/玄関先に塩を投げた」という一行はまさに、「無念」という思いの所作です。本当なら手を上げてどうにかしてしまいそうになる気持ちを、限界まで我慢している様子、同じ気持ちに染まって汚れるものかという思い、叫びが迫ってきます。今回は一団体に対する思いという内容だそうですので、内情に触れない詩としての感想のみにしておきますが、自分を責め続けて自分がどうにかなってしまわぬように、一枚の紙に心を開いて思いをぶつけるということも、誰かの無念な情景を目にして、やりきれないものを感じたという、誰にも言うことのできないことを書き留めるこということも、仮に、どこかに発表することがなくても、詩は寄り添ってくれるのだと改めて感じさせてもらいました。真面目な人が悲しい思いをしない環境が増えてほしいと、切に思わせる作品でした。
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あっというまに五月も終盤。梅雨入りの足音も聞こえてきそうです。
紫陽花の花を見かける頃となりました。雨は、ざぁざぁではなく、
しとしと降る雨がいいです。
みなさま、今日も一日おつかれさまでした。