感想と評 5/31~6/3 ご投稿分 三浦志郎 6/8
お先に失礼致します。
1 理蝶さん 「国道、真空、午前2時」 5/31
なんか、小説のタイトルのようで食指が動きますねえ。初連から2連の叙景が際立っています。
オレンジと黒の怪しさ、コンビニの白の清新。このコントラスト表現の見事さです。以降は少しずつ自己の内面に入って行きます。青続きの信号でスムーズに走れて気持ちいい。しかし、どうもそれだけではないらしい。一般論で言うと「帰宅=ゆっくりできる、眠れる=安心感」なのですが、どうもそれだけではないらしい。帰宅といった行為にどこか屈折したものがありそうです。その傍証は文中、多く取ることができます。例えば、3連全体。「とぐろを巻け~閉じ込めてしまえ」。7連全体。「血が冷める~深夜のセンチへ」「怪我や痛みのくだり」―こうやって見ると多いのです。この「怪我~痛み」の部分は名文ですね。もちろん本人は家に向かっているのですから、帰宅の意志はあるのですが、その心情には、たえず影が付きまとっているのを感じるわけです。その微妙さがこの詩の持ち味であり、成立の大きな要因になっているのがわかるのです。その深い陰影に佳作を。
アフターアワーズ。
私事を。僕も若い頃、こんな時間によく車で帰った憶えはありますね。埼玉と東京を分かつ新荒川大橋付近でした。
2 上田一眞さん 「桃の実ひとつ」 6/1
これはけっして大きい詩ではありませんが、心和む詩、可愛い詩。
食いしん坊の妹 みいちゃんと
カナブンたち ――ここ、一番かわいい!大好きです。
要所にセリフも入って、可愛さ+このセリフが場面やストーリーを動かしていくのがありありとわかって、効果も充分なのです。事情がくっきりと浮かび上がっていますね。最後はハッピーエンドで、よかった、よかった。やっぱり「お母ちゃん」ですね。
桃のように甘い佳作を。
3 小林大鬼さん 「六月のゴキブリ」 6/2
大鬼さんの作品としては珍しいのは詩の趣向です。
虫を擬人化して主人公にまで押し上げたのは初めてのような気もします。ことさら「インド料理店」としたのは、どうやら実話にヒントを得たような気もします。およそ料理店にゴキブリが出たのでは間違いなく人間、あせってこういう行動を取るでしょう。いっぽうゴキブリほど嫌われ一方の生き物も珍しい。それはあくまで人間の論理であって、ゴキブリにも論理、意地、一分といったものはあるでしょう。この詩はそういったものも垣間見えておもしろいです。「五井」は以前の詩にも登場した気がして、いわば、大鬼さんの存在証明でもあるでしょう。 本稿冒頭2行を重視して甘めですが、佳作にしたいと思います。
4 温泉郷さん 「つかの間の雑居」 6/2
いい詩ですね。冒頭佳作。殆ど全篇、状況描写に終始するのですが、この詩の凄いところは、それがそのまま物品のそれぞれの事情・来歴・現在の心境を伴い、ひとつの思想にまでなっている点です。「叙景=思想」――これはなかなかできることじゃありません。それぞれの物品も、それに相応しい事情が丁寧に与えられているし、「気まずく 落ち着かない」「それまでは このままだ」「みんな静かに受け入れている」など現在の心情吐露も読ませますね。とりわけ「気まずく」です。その通り!同時に(これから先もどうなるかはわからない、とにかく今は……)といった点も加味される。「偶然と必然の暫定的均衡点」が見事にそれを表しています。それぞれ事情は違うものですが、今は報われない境遇という点で共通しています。悲しい共通ではありますが。これは人間間にも暗示されるかもしれない。当たらずとも遠からず的に言うと「呉越同舟」「同床異夢」といったことわざも少しイメージしましたね。
5 相野零次さん 「愛」 6/2
とてつもなく大きなテーマを果敢に書いてくれました。間違っている事、批判されるべき事は、ただのひとつもありません。全てこの通りです。「正」の面だけでなく、結果として「負」になる部分にも触れているのが、かえって納得できます。ただ、いかんせん、テーマが大き過ぎます。汎用的、大局的に書くのはいかにも難しいです。繰り返しますが、この詩は全て正しく正論です。ただ下世話に言って申し訳ないですが、まっとう過ぎて―詩的感興という意味での―面白みに欠ける気はするのです。ただいっぽうで(これだけの大テーマをよく書いたなあ)といった思いもあるんですがね。詩はもう少し絞って”局地的に“書いたほうがいいように思うのです。この詩で言うならば、たとえば、終わり約3分の1―「でも/愛のために苦しむ人もいる」以降部分をピックアップして思考展開、考えを深めると、より面白くなると思います。オリジナリティも出るでしょう。ところで前回、5/19付「祈り」という作品(佳作)がありました。こちらと比較検討してみてください。テーマ性、言葉の詩的オリジナル性において何か発見があると思われます。今回は佳作一歩前で。
6 ベルさん 「玉ねぎ」 6/3
常に心優しい詩を書かれるかたですが、今回はそれを場面によって綴られています。とても日常的、身近な環境に置かれた詩です。まあ、何かあったんでしょうね。悲しい時、泣きたい時の「玉ねぎ」。とても気が利いて、優しい配慮です。その理由が「おかあさん、どうしたの」です。この言葉と、それに続く連が、この詩の事情の全てを語っていると思うのです。ここで玉ねぎはとても有意義な役割を果たしています。悲しみや涙の緩衝剤、中和剤です。これで料理がおいしくなれば言う事なしです。もうひとつ感じるのは、終わり近くがとてもいい。「おかあさん~」のセリフと終連部分は、間は離れていますが、呼び合っているのを感じます。絆というものでしょうね。佳作半歩前を。
7 静間安夫さん 「こころ」 6/3
単純に言ってしまうと“心のリハビリ”といった主旨ですが、いや、そう単純には括れないほど、本作には様々な修辞や思考が込められています。初期段階として「心の傷=怪我」と捉える。運動面ではパラアスリートの葛藤~努力~達成が内面を通して描かれます。それ以降が芸術面。詩もそうなのでしょうね。「奥底からの叫び」「内面の深いところから」の言葉が並びますが、芸術発生用件として欠かせないでしょう。自己救済、自己確認、自己実現、世界との関わり、etc……。総和としての、この詩の言う生きがいであるでしょう。終わりの2連が凄くいいですね。とりわけ終連が印象深いです。凄く納得できます。そして、この詩は前へ向かっています。佳作です。
アフターアワーズ。
洋楽を聴いていると、よく「DEEP INSIDE」という言葉に出会います。まさにこの詩の「内面の深いところから」ですね。よくぞ書いて頂きました。
そうですね。詩の基本と王道はやはり連分け詩にあると思っていて、そこから派生して(今、はやりの)散文詩や長編詩があると思ってます。逆に日本では叙事詩は存在しない、あるいは育ちにくいといった説もあるようです。要はバリエーションのバランスとタイミングでしょうかね。
評のおわりに。
①とある日、下記の言葉を使ったが理解してもらえず、寂しい思いをした、の記(涙)。
「ネズミにひかれる」
「蝶よ 花よ」
②全くの個人趣味。戦国武将・石田三成公の重臣、島左近殿の骨、京都の寺で見つかる、の由。
いまだ確証無くも、願わくば御本人のものであれかし。 では、また。