「母ちゃんの台所」
僕の家(うち)は
昔 小さな 料亭をしていた家で
小桜屋といえば
地元では
かなり 有名な 家で あったのだ
父ちゃんは そのお家の 養子の跡取りだったのだが
話は それた
だからその家の台所というのは
料亭の台所だから
そりゃあ長い3メートルはあろうかと思われる 流しと
2メートルは超えると思われる
調理台があって
たしか かまどが 三つ四つあって
井戸があって 汲み上げポンプがあった
大きな 真鍮(しんちゅう)の 氷の 冷蔵庫があって
そりゃあ たいへん 大きいのだが
この家は
明治の終わりころに 建てられたお家で
その古びて使いにくいことと言ったら
知らないひとには想像もつかないだろう
話は それるが
僕の お家には その後も 30年くらい
五右衛門風呂というのがあった
焚き木を くべて 沸かすのであった
僕も かなり沸かしたが 確かにあれを沸かすのは
母ちゃんの 仕事だったと 思う
なのに なのに 母ちゃんは 家族7人の一番最後に 入るのであった
誰も 木をくべて 温めなおさないので
お湯の量は 少ないし きたないし ぬるく寒いはずであったのに
母ちゃんは ほとんど文句は言わないのであった
話は また それるが
あの お風呂に 何人も 大きな お相撲さんが 入ったという
僕も 赤ちゃんのときに 抱いてもらったということだ
なんでも お相撲さんに 抱いてもらうと 元気な子に 育つそうだ
僕の 記憶には ないころの ことのようだ
巡業で お相撲さんたちが 来たらしい
本題に もどるが
母ちゃんは あの台所で 料理を するのであるが
あんなに 大きいのが かえって 不便で
それはそれは 使いにくいので あった
母ちゃんは 自分の責任では ないのに
あの古びて使いづらく さらにきたなくもある 台所を 近所の ひとに 見られるのが 本当に 恥ずかしいらしく
あそこに そんなひとが 入ろうとすると
大慌てで 入るのを 全力で 阻止するので あった
しかし みんな あの台所を 見ようと するのであった
それは それは僕にも 母ちゃんの 全力で阻止しようとする 気持ちは十分に 分かるので あって
僕は いつも 母ちゃん 可哀そうにと 思うので あった
近所のひとは母ちゃんのその気持ちを 知ってて 見たがるのであった
別に 悪意は ないように 思われた
あの人たちには 決して 母ちゃんの気持ちは 分からないであろうと
僕は 本当に 母ちゃん
母ちゃん 悪いんじゃあない
僕たちが 母ちゃん 父ちゃんの お金を 使ってしまって
こうなっているのだと ほんとうに ほんとうに わるい気がした
母ちゃんの夢は この台所を やめて
お家の中の どこかに 小さな 世間によくある便利な普通の
台所をつくることであった
父ちゃんは ずうっと それを 知っていて
僕たちを 上の学校に 進ませるために
たくさんのお金を 使うと 判断したので あった
母ちゃんは そのことを ずうっと 知っていて
何十年も 我慢したので あった
あの家は 僕たちの 進学にたくさんの お金を 使いさえしなければ
普通に生活できて 母ちゃんの 台所の夢も叶えることの できる 家で あった
母ちゃんの 夢を 叶えるくらいの 収入は あったのだ
ただ 父ちゃんは 僕たちに 優しすぎたのだ
そのあと30年くらいたって
母ちゃんは 小さな 何でもない 質素な 台所を
作って もらったのだった
その頃 あの五右衛門風呂もやっと
ガス風呂になって 僕の母ちゃんは だいぶ 楽になったのだが
今になって思うと 母ちゃんの台所は 昔の台所であり
お風呂は 五右衛門風呂が 懐かしく 大切な 思い出なのだ
その頃 母ちゃんは もう 60歳を 超えていたのだ
だけど 僕は 今でも 思いだすのだ
あの台所で 母ちゃんが ご飯を作り
父ちゃんが 小麦粉で 作った 蜂の巣 を焼いてくれた
あの 少年時代の 幸せを 思うのだ