MENU
940,514

スレッドNo.4087

曼珠沙華の記憶  上田一眞

秋のお彼岸を迎えた
その日
手を引かれて
母の生家へ続く道をとぼとぼと歩いた

垰(たお)越えに一陣の風が吹き *1
曼珠沙華の花が波打った
鮮烈な赤を見て
母が囁く

 どぎつい色じゃろ
 毒をもっちょる花よ
 死んだ人の血を吸うたから赤いの

幼い私は薄気味悪くなって
思わず身震いした




道の途中
コールタールをたっぷりと塗り込めた
黒い板塀が続く
油がプンと臭う
ああ ここは瘋癲(ふうてん)病院だ

曼珠沙華が咲き揃う中に
屹立する
こころの病を施療する瘋癲病院

私はここを通るのが大の苦手だった
嫌だった
風に運ばれて来る
死人(しびと)が発するような声音(こわね)に
恐怖した
 
  かりかりかり 
  かりかりかり
  くうくうくう
  くうくうくう

建屋内から道路まで漏れ出る声
呪詛のようであり
読経のようにも聞こえる

板塀のそばで立ち竦んでいると
曼珠沙華に赤く染まった病者の声が
私の鼓膜を貫き
脳髄の奥底を穿つ

その禍々しさに
悪心で真っ蒼になった



  
あれから五十年の歳月が流れた
いま私は
こころの病と闘い
他の精神病患者とともにいる

渺とした大部屋の中
ベッドの上に正座し 白い壁に向かって
ただただ 発声する者たち

  かりかりかり 
  かりかりかり
  くうくうくう
  くうくうくう

際限のない繰り返し
意味の喪失
病んだ語り部が虚空に話しかける

人格の統合を欣求(ごんぐ)する
こころが
神仏に救いを求めてもがく

彼らの姿を見ていると
遠い日の瘋癲病院が思い出され
病者らの孤独と絶望が瞼の裏に重なった




病室に囲まれた診察室で
白昼夢を見た

黒く変色した曼珠沙華の花が
私のこころを覆い
絡め取ろうとする

イヤイヤをして風に靡く花を手折り
こころの窓より
投げ捨てる
何度も何度も放り投げる

私はいま
過ぎた歳月の質量を思い
寛解を期して
黒い板塀と赤い曼珠沙華の花に
別れを告げる





*1 垰(たお) 元来 山の尾根の窪みを指す
  山口県東部(周防)では緩やかな峠を特
  に垰「たお」と呼ぶ

編集・削除(編集済: 2024年06月15日 04:32)

ロケットBBS

Page Top