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スレッドNo.4087

曼珠沙華の記憶  上田一眞

秋のお彼岸を迎えた
その日
手を引かれて
母の生家へ続く道をとぼとぼと歩いた

垰(たお)越えに一陣の風が吹き *1
曼珠沙華の花が波打った
鮮烈な赤を見て
母が囁く

 どぎつい色じゃろ
 毒をもっちょる花よ
 死んだ人の血を吸うたから赤いの

幼い私は薄気味悪くなって
思わず身震いした


*

道の途中
コールタールをたっぷりと塗り込めた
黒い板塀が続く
油がプンと臭う
ああ ここは瘋癲(ふうてん)病院だ

曼珠沙華が咲き揃う中に
屹立する
こころの病を施療する瘋癲病院

私はここを通るのが大の苦手だった
嫌だった
風に運ばれて来る
死人(しびと)が発するような声音(こわね)に
恐怖した
 
  かりかりかり 
  かりかりかり
  くうくうくう
  くうくうくう

建屋内から道路まで漏れ出る声
呪詛のようであり
読経のようにも聞こえる

板塀のそばで立ち竦んでいると
曼珠沙華に赤く染まった病者の声が
私の鼓膜を貫き
脳髄の奥底を穿つ

その禍々しさに
悪心で真っ蒼になった


*
  
あれから五十年の歳月が流れた
いま私は
こころの病と闘い
他の精神病患者とともにいる

渺とした大部屋の中
ベッドの上に正座し 白い壁に向かって
ただただ 発声する者たち

  かりかりかり 
  かりかりかり
  くうくうくう
  くうくうくう

際限のない繰り返し
意味の喪失
病んだ語り部が虚空に話しかける

人格の統合を欣求(ごんぐ)する
こころが
神仏に救いを求めてもがく

彼らの姿を見ていると
遠い日の瘋癲病院が思い出され
病者らの孤独と絶望が瞼の裏に重なった


*

病室に囲まれた診察室で
白昼夢を見た

黒く変色した曼珠沙華の花が
私のこころを覆い
絡め取ろうとする

イヤイヤをして風に靡く花を手折り
こころの窓より
投げ捨てる
何度も何度も放り投げる

私はいま
過ぎた歳月の質量を思い
寛解を期して
黒い板塀と赤い曼珠沙華の花に
別れを告げる





*1 垰(たお) 元来 山の尾根の窪みを指す
  山口県東部(周防)では緩やかな峠を特
  に垰「たお」と呼ぶ

編集・削除(編集済: 2024年06月15日 04:32)

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