6/18〜6/20 ご投稿分の感想です。 紗野玲空
都合によりお先に失礼致します。
6/18〜6/20にご投稿いただいた作品の感想・評でございます。
素敵な詩を沢山ありがとうございました。
一所懸命、拝読させていただきました。
しかしながら、作者の意図を読み取れていない部分も多々あるかと存じます。
的外れな感想を述べてしまっているかも知れませんが、詩の味わい方の一つとして、お考えいただけたら幸いです。
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☆「割れなかったガラス瓶」 喜太郎さま
喜太郎様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
馴染の骨董店…ジブリアニメ『耳をすませば』に出てくる骨董店「地球屋」が瞬間的に思い出され、あのお店に身を置きながら拝読させていただきました。
大正時代のガラス瓶…中に入っている気泡は当時の空気であり、それが割れずに形もそのままに、空気までも内包して存在いているということは、考えてみればものすごいロマンですよね。
店主との会話により、読み手にそれを切々と伝える詩文の力〜さすが喜太郎さん、お見事です。
割れずに巡り会えた奇跡は、人との縁の奇跡にも繋がっていきます。この辺りの話の展開もとても自然です。
(セリフは『 』ではなく、「 」でよいと思います)
気になったのは
その人とは幾多の出会いと別れをくり返して
割れることなく君と出会えた
の部分です。
その人も自分も、それぞれの出会いと別れの中で、その間、各自が割れることなく生を保ってきたからこそ、お互いに巡り会えた、ということなのでしょうか。
そういったことも、とても大切かと存じますが、この場合は、愛を育んでいる二人にガラス瓶の焦点をあてた方がいいように感じました。
つまり、ガラス瓶を過去の個ではなく、二人の愛の形とみた方がいいように思うのです。
愛を育む過程で、ガラス瓶が割れそうなこともあったでしょう。どちらかがガラス瓶を投げつけたくなることもあったかもしれないし、気泡を取り出そうと懸命になったこともあったかもしれません。
そんなことを喜太郎さんの筆で少し書き足していただけたら、ガラス瓶は煌めきや翳り…更なる様々な表情を見せてくれるのではないかと思いました。
トケイソウを飾ろうとするのも考えさせられました。
時計に似た花姿から和名ではトケイソウと呼ばれていますが、英名では「Passion flower(パッションフラワー)」。このパッションとは、通常の情熱を意味せず、「受難」を意味しています。つまり、「キリストの受難」を意味しており、カトリック司祭たちが、トケイソウの花をキリストが十字架にかけられた姿に重ねたことが由来であることも、喜太郎さんはご存じで、この花を飾る花に選んだのでしょう。
真の愛を求める厳しさを暗示させる終わり方で、素敵だと思います。
ただ、トケイソウは一日花で、お花屋さんにあるかどうか…。
ないとわかって花屋に向かったとすれば、それも一つの物語かもしれません。
帰り道、どちらかの生け垣のトケイソウを手折ってしまったとしても、それも一つの物語になるかと存じます。
物語の方向性をはっきり示すのならば、その辺りを詳しく、意味合いを持たせる書き方をされてもよいかも知れません。
詩を膨らませる可能性を私なりにお話しさせていただきました。
しかし、充分素晴らしい作品であることには変わりません。
読み手に、色々想像を巡らさせてくれる…そういった楽しみ方ができる素敵な作品でした。
喜太郎さんのロマンチック系の詩、今回もよかったです。
私もこんなガラス瓶、見つけたいです。
御詩、佳作です。
ありがとうございました。
☆「タンポポ」 心快晴さま
心快晴様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
3連目までは、タンポポへの語りかけとなっていますね。
(2行目は「そなたは散る意味を知り」かしら)
タンポポの綿毛が散り、舞い落ち、芽吹き咲く様子が、韻を踏み、選び抜かれた言葉で語られます。
連の最後の動詞が次の連の頭にそのまま活かされ、タンポポの生そのままに繋がっていくのも、よく考えられていると感服しました。
素敵ですね。
散る意味も
咲く意味も
脇に置く
この部分、特に好きです。
「脇に置く」という表現…タンポポらの自然の摂理をタンポポらしい率直さで語っていて、素晴らしいと思いました。
「お手本になろうと」は、私でしたら、省くかも知れません。
恐らくタンポポには、お手本になろうという意思はないのではないかしら。
お手本にしたいのは私の方ですから、表現を変えると思います。
最終連で、私への問いかけになりますね。
生きる意味を脇に置いて生きるタンポポ…その意味を胸に、心快晴さんは恐らく詩を書くのでしょう。
ここでも「そなたは」とされていますね。
客観視する手法もいいのですが、ここはぐっと自身に引き寄せた書き方で、主観的に書かれた方が効果的かと思います。
「友なる流れ」も各連に渡って使用される「友なる」を受けていて、とても工夫されていると思います。
ただ、「流れ」というのは少しわかりにくいかしら。
恐らくはタンポポの一生という意味合いを「流れ」とされているのだと思いますが、心快晴さんなら、もう一捻り、ぴったりと当てはまる言葉が見つかるのではないかと期待してしまいます。
意味を忘れ
意味となれ
散り咲く意味を脇に置いたタンポポの意味を知る。
しかし、最後は、自身の意味をも忘れ、且つ意味となるよう、詩を書く己に諭しているかのようです。
タンポポの生き様に悟されたといってもいいのでしょうか。
一本のタンポポを前にした深い内観の詩のように感じました。
合唱曲のようにして、音に乗せて歌われたら、一層言葉が引き立ち素敵でしょうね。
(MY DEAR作曲部さん、どなたかいないかしら…)
佳き作品でした。ありがとうございました。
☆「道のふた」 温泉郷さま
温泉郷様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
ボリューム、内容共に…大作ですね。感服いたしました。
人生の落とし穴を塞ぐふた…面白いです。
星新一の極上のショートショートを読んでいるような感じを受けました。
便利そうなふたではありますが、色々問題があるようで、連を構成しているふたの抱える問題点が、それぞれ興味深いです。
また、社会問題を上手に織り込み、そこに必要とされる「ふた」、更にその問題点にまで言及し、詩行に見事に表現されています。
社会批判をさらりと乗せたユーモアと皮肉も絶妙ですね。
「ふた」が読み手によって、様々なメタファーになり得るのもこの詩の魅力のようにも思います。
少し残念なのは、半ばまで読み、何となく結末が想像できてしまったことです。
これは、私も少数派の一人だったからでしょう。
とても面白い題材ですし、実力ある温泉郷さんでもありますし…
詩の意外性の落とし穴に落ちてみたかったな~と欲をかくのをどうかお許しください。
落とし穴に落ちたいなんて、贅沢ですよね。
「道のふた」の中には、様々な社会問題が提起され、温泉郷さんらしいエスプリが効いています。
普段考えない視点から人生を考えさせてくれる(これこそがこの詩の落とし穴的醍醐味ですね)素晴らしい作品でした。
佳き作品でした。ありがとうございました。
☆「木苺は死なない」 紫陽花さま
紫陽花様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
今回は…これまでにお目にかかったことのないぶっ飛んだ詩!
勿論いい意味で…です。このような詩もお書きになるんですね。驚きました。
メルカリで買った木苺の苗、どんな風に育つのかしらとワクワクしながら拝読しました。
木苺というのは、言葉の響きも実の色形もかわいらしいですよね。
紫陽花さんのことですから、甘い麻婆豆腐ならぬ甘いジャムを拵えるのではないかと、甘い香り漂う詩を期待しながら読み進めたのです。
見事に裏切られました(笑)。
2連目から雲行きが怪しくなります。
いくらでも増える木苺、怖い、恐ろしい…。
お母様とのやりとりが、あたかも怪談の一幕のように語られます。
3連目、夢の中、恐ろしい木苺は、紫陽花さんとなって伸びていきます。
「約束のように」という一言が、紫陽花さんらしい表現だと思いました。
ぐんぐんぐんぐん
伸びて伸びて
地面に棘を刺し、根を出し、葉と花をつけて成長してゆく姿が、勢いのある言葉で、鮮やかにスピード感をもって描かれます。
これで終わっても充分面白いと思うのです。
しかし、成長を続けるだけでは終わらない処が、この詩を更に趣き深いものにしています。
これなら私はずっと死なない…
私が生まれる
なんて楽しいんだろう
この部分のキッパリとした詩文は、特に力強さを感じました。
紫陽花さんって、なんて楽しいんだろうと笑ってしまいました。
この世は私だらけになあれ
最高ですね。
自分で地球が埋め尽くされて…
目が覚めた
でストンと詩は終わります。
その後は何も語らない…この終わり方もとてもいきていると思いました。
3連でそれぞれ場面が変わり、緩急があり、読み手をひきつけます。
特に最後の夢の連は圧巻です。
木苺も詩も勢い付いていく一方で、その裏側にある、成長を永遠に続ける可笑しみ、それ故の哀しみも感じられました。
更には、夢ではない現実…棘のように隠されている抑圧された個をも感じ取れました。
「木苺は死なない」…ご自身を託した木苺を「死なない」と言い切る形で題とされた紫陽花さんの、母として、女性としての、生きんとする強さもひしひしと伝わってきました。
御作、佳作です。
終始圧倒されました。
素晴らしい作品をありがとうございました。
☆「滔々」 大杉司さま
大杉司様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
4行5連の美しい定型詩ですね。
連毎に、伝えたいことがきっちり動詞でもってとじられ、完結し、とてもわかりやすい形となっています。
一句一句に無駄がなく、端的に大杉さんの思想は語られています。正しく「滔々」と…。
一つ一つ、頷きながら拝読させていただきました。
仰る通りだと思います。
言葉に留意していかねばならない詩を書くものにとっては、大切な事柄だと教えられました。
訓示のように承りました。
最終連、「〜したい」と3行続き、締められています。
この願い、とてもよくわかります。
ただ、読み手としてはもう少し具体的に知りたく思いました。
大杉さんにとって賢く生きたいとはどういうことなのか…。
先の4連に書かれていると言われてしまえばそれまでですが、一般的なことではなく、例えば、大杉さん独自のエピソードを絡ませながら語っていただけたら、より大杉さんらしい個性的な詩になるのではないかと感じました。
言葉の発し方、私も気をつけねばなりませんね。
どう人と触れ合い、いかに尊敬し、自分を変えていくか…私も具体的に考えてみたいと存じます。
学ばさせていただきました。
佳き作品でした。ありがとうございました。
以上、5作品、御投稿いただき、誠にありがとうございました。
それぞれに、素晴らしい作品でした。
十分に読み取れていなかった部分も多かったかと存じます。
読み違いはご指摘いただけたら嬉しいです。
余談ですが、最近、詩や短歌…文芸仲間を集め、不定期刊行の冊子を始めました。
詩を学びたいがどうしてよいかわからない〜そんな仲間たちに、MY DEARへの投稿をすすめています。
カルチャーセンターなどで高額の受講料を払い、斧正を請うと更にお金がかかる…詩に限ったことではありませんが、文芸の学びに多額の費用がかかる話を方々から伺いました。
私はMY DEARに投稿することで詩を書き始めたので、他の世界を知りません。
しかし、仲間の話を聞けば聞くほど、投稿、更には添削ふくめての評までを、無償でしてくださるMY DEARの懐の深さに、改めて感動させられました。
私も投稿のたびに、毎回毎回、懇切丁寧にご指導いただき、育てていただきました。
皆伝後も投稿時代と同様に学ばせていただける、かけがえのないホームグラウンドです。
ネットで、20年以上も無償で、詩の指南を続けていただいていること、本当にありがたいことと改めて敬服しております。
管理人の島様、そして活動を支えてこられた歴代のレギュラーメンバーの皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
私はまだまだひよっ子ではありますが、MY DEARに集う皆様のために、これから頑張ってまいりたいと存じます。
今後ともよろしくお願いいたします。 紗野玲空