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スレッドNo.4123

◎2024/6/11~6/13ご投稿分、評と感想です。   (青島江里)

 2024/6/11~6/13ご投稿分、評と感想です。

☆「母ちゃんの台所」森山 遼さん

母ちゃんの古くからある台所を大切にしている思いと、新しい台所を我慢して自分を進学させてくれたという息子さんの思い。程よく調和し、響きあって、ほろりとさせてくれるものがありました。

気になったのは言葉と言葉の間にあった空白でした。読みやすく分けてくださっているのかなと思いましたが、「使いにくいので あった」であったり「するのであった」であったり、区切り方が不統一なところが気になりました。とつとつと読むためのリズムをつけるための空白なのかなとも思ったのですが、「その古びて使いにくいことと言ったら/知らないひとには想像もつかないだろう」と、空白のつけていない部分も見受けられます。もしかしたら、詩が全体的に長くなってしまうため、少しでも短い感じにするために、通常とは違う書き方を試みたのかなぁ?などとも思いました。どことなく、区切りや改行に迷っていらっしゃる感じがしました。

今回のこの作品、個人的には、心がいっぱい感じられる作品ですので、句読点のある散文のかたちにしてもよいと思いました。機会があれば、ネットでもいいので「散文詩」を検索してみてください。もしくは、いつものような感じでしたら、特にこれだという決まりはないので、改行する区切りをいつもより長めにしてもよいと思います。読みにくいと思うところを漢字にしたり、空白をあけたり。あまり神経質になるのはよくないですが。一番肝心なのは、作品に込める気持ちの強さですものね。例えばこんな感じにすると、読みやすくなるかも。

本題に戻るが
母ちゃんはあの台所で料理をするのであるが
あんなに大きいのがかえって不便で
それは それは 使いにくいのであった
母ちゃんは自分の責任ではないのに
あの古びて使いづらく更にきたなくもある台所を
近所のひとに見られるのが本当に恥ずかしいらしく

あとは、タイトルが「母ちゃんの台所」なのですが、主要な部分が「五右衛門風呂」に傾いているところでした。タイトルのままだと、五右衛門風呂の部分を整理する方がよいと思いました。話が二転三転と本題よりそれていますので、できれば、そちらの方も整理できれば、かなりまとまったよい作品になるのではと感じました。心のこもったとてもあたたかみのある作品でした。今回は佳作半歩手前で。



☆三角公園  喜太郎さん

子供の頃に遊んだ公園がそのままあるって、うらやましい限りですよ。最近は、禁止事項が多すぎて、更地?と思うような公園も増えていますよね。

かわらない風景を見た瞬間、走馬灯のように巡りだした子供時代のさまざまな風景。思い出の数々。スピード感をもって、読み手の私の目の間にも巡り出しました。

一連目の「あの頃は三角公園なんて言ってたけれど/よくよく見れば台形に近い五角形」というところがいいなぁと思いました。なんていいますか、子供時代に歩いた道を、大人になって歩いたら、意外にも狭く感じたという感覚に似ています。自分は大人になったんだよっていうことを、事実の風景を用いて表現されていて、特別な比喩を用いることもなく、大きな時の流れを感じさせてくれるところがよかったです。また、三角公園だから三角だと思っていたのに実際は台形に近い五角形だったという、大人になってからの気づきを取り入れたことも同じようなことを感じました。「そうだよね。あの時は確かに三角にしか見えなかったよ」という描き方は、子供だけに見える世界、子供だけのこころの世界を感じさせてくれました。

一つの公園は、いつでもそばにあって、大人には踏み入ることのできない特別な王国のような世界であったということが、思い出綴りを通じて伝わってきました。子供時代を見つめる大人になった僕の姿を、第三者の立ち位置からうかがっている、読み手の私も、いつのまにか、そばにいました。

最後の方の、今の子供たちも使っていたという「三角公園」というキーワード。思い入れの深い作者のこの公園の呼び名の継続に、行と行の間から、作者の愛着と、今も変わらないという嬉しさが、じわっと滲んできました。また「タイムトンネル」という言葉は、トンネルのある遊具を彷彿させ、今の子供と、時代を遡った時の自身の子供の姿を重ね合わせるのに、最適だなぁと思いました。最終行の「振り返ると子供の僕が笑ってピースサインしていた」は、かなり印象度高め。拝読中、かなりドアップの、茶目っ気たっぷりな子供の姿が、目の前に広がりました。

子供時代の居場所。愛おしいという思う気持ちがあふれる作品。佳作を。



☆洗車  理蝶さん

コイン洗車などもありますが、やはり、自分自身で車を洗う洗車の姿には、持ち主の愛情を感じます。今回の作品も、洗車という言葉から、愛車という言葉も重ねて感じさせてくれました。

一連目。この連から、快晴の日曜だけでなく、許すという言葉から「僕」の穏やかな表情が浮かんできました。心の余裕が洗車をするということに繋がっていったのだなということも、感じさせてくれました。

滑らかな背のカーブへ
この空を移してやるように ひたすら磨く
だんだんあらわれてくる 二つ目の快晴

愛車が、空が悪天の日も、心が曇天の日も、自分のすべてを受け止めて走ってくれたという感謝の気持ちを込めての洗車。通常以上の感謝をこめて洗う様子が、丁寧に描かれていると思いました。特に上記の「二つ目の快晴」というところがよかったです。きれいに磨かれて、車体に映る空がみえるような表現だと思いました。

九連目から、実は最近、恋人と別れた事実があるということが発覚します。洗車というのは、汚れた車を洗うというだけでなく、別れた事実を引きずることなく、新しい自分をスタートさせたいということも表現されているようにも思えました。

全体的にみて、気になったことの一つは、車体の色の表現についてです。最後の方でやっと黒ってわかります。なぜこのようなことをいうのかといいますと、作品の途中で青色が何度か登場します。なので、読み手からすると、個人的な感じ方になるかもしれないですが、もう、青い車気分になってしまったりします。そして最後の連で黒となると、「?」となって、せっかくの感動が薄まってしまったのです。最初の連あたりで、わかるようにしていれば、もっと感動は深くなると思います。それからもう一つ。ラストです。

そして今 
かなしいほどに光っている
黒い車とスピード

洗車の様子よりも、少し多めに運転の場面がある分、かなしいほどに光っているのは、どうしてかということになると、運転している途中の美しい海の景色のせいのように傾いてしまいまう気がしました。どちらかといえば、自分の心をかけて洗い上げたものを象徴としてあげてほしいなと思いました。なので、下記のような感じにしてみてもよいかと思います。

そして今 
洗い上げた車体の黒が
速度をあげる
かなしいほどに光っている

連の中に、洗車された車という意味をはじめの部分に。そして、洗い上げ、磨かれて生まれた光を象徴させるべく、最後の最後にもってきました。なにかのご参考になればうれしいです。

日曜の晴れの日の洗車。元気になるための、新しくやりなおすための洗車。二つの意味合いが詩の中に織りこめられている、眩しいけれど、どこか切なさを感じさせてくれる作品でした。今回は佳作一歩手前を。



☆白い紙  温泉郷さん

○○モンスターや○○ハラスメントという言葉を耳にする昨今。こちらのご老人も、そのようなカテゴリーに属する方だと思われましたが、作者さんの言葉に触れるうち、このご老人は100%そうではないと言っているように感じられました。

窓口の応対というのは、本当に大変だと思います。筋の通らないことを言ってくる方に、きちんと説明しても、斜めから意見してこられたりすることもあったり。ご老人に対する苦情電話でのマニュアル対応。それに納得できず今度はFAXでの苦情。そこから、言葉なしの白紙。ここから伝わってきたのは、ご老人の寂しさ、そして孤独。社会と繋がっていたいけど、どこか疎外されているように感じてしまう気持ち。誰かと喧嘩することで、心のどこかで安心してしまうという、少し擦れた気持ち。言葉なしのFAXのところでは、特にそのような姿が浮かんできました。

そして、ご老人のFAXの様子から重なって見えた祖父の姿の場面。ここでは、目の前にいるご老人の姿を、同じような行動をした祖父の姿に重ねていました。このような表現からは、身内のような親近感。当時の祖父が、なぜあのような行動をしていたのかということを、少しだけ理解できるかもしれないという心を、うまく浮かび上がらせているということを感じました。

作品の途中にある「彼は 祈らずにはいられない」ですが、こちらだとご老人さん本人が祈ることになるので、作者さんが祈るのだとしたら「彼のことを」などにする方がいいと思いました。それから、このままでも全然よいのですが、ものすごく欲をいうと「わずかでもいいから/優しい言葉を添えて」の部分の「優しい言葉」ですが、「白紙の中に優しい言葉」など、作者さん独自の表現がプラスされるといいなと思いました。


周辺のアルバイトの方は、単なる事務処理として対応しているようでも、作者さんからは、FAXの白紙を通じて、「人」を感じているのだと、そのように思わせてくれるところがいいなと思いました。仕事で忙しい時は、処理に追われて、なかなか一枚の白紙から「人」を表現するということを感じる余裕なんて無いと思います。ですが、作者さんはそのような大変な中でも「人」を感じることができました。それは祖父との記憶があったからなのだと思います。怒ってばかりで損していた祖父に、こうしたほうがいいよって伝えたかったような、ご老人に対する終盤の思いの数々。たくさんの情にあふれていました。

たった一枚の紙から、このような作品ができるなんて。詩の表現することの世界の広さを感じさせてくれる作品でもありました。ふんわりあまめの佳作を。



☆煙は危ない 紫陽花さん

現在の消防訓練では、実際に煙の中に入って疑似体験ができるのですね。それは知りませんでした。しかもバニラの香りつきですか?!もちろん、人体に影響がないもので実施しているとはいうものの、煙というだけで怖いですよね。

ズバリ、「煙考」ですね。事実を列記しつつ、自身が思う煙についての考えを述べていらっしゃいますね。一連目は面白いですね。煙について、日本昔話を例にして問いかけと思えるようなものを投げかけています。私は煙って単なる煙じゃないと思うの。あなたはどう思う?というような感じで。

二連目からは本当にあった消防訓練のお話。この事実の列記の中に、一連目の「正体不明のもの」や「不穏の象徴」だとか「煙というだけで危ない」という答えのようなものが描かれていると感じました。昔話からの現代。フィクション、ノンフィクションのギャップ。どちらの方でも納得させられる問いかけの事項たち。知らないうちに説得力を感じさせられています。通常でしたら、二連目、三連目は事実の列記が多いので整理をした方が・・・等どいいそうですが、どれも問いかけの答えを導かせるものとして、外せないものだと感じました。

最終連は現実にあったことに基づいた煙についての問いかけのようなもの。「ねぇ?煙っていろんな意味で危ないでしょ?そう思わない?」というような感じ。思わず、「うん。なるほど。」って思ってしまいました。

煙は先が見えないから怖い。また、煙に対しての言葉、自身の過剰な恐怖心や、第三者からのあおりに対して生まれる恐ろしさ。色々な煙に対することが浮かび上がってきます。もっともっと深堀すれば、事実に基づいたことをしっかりと見極めることの大切さ、そんなことも感じさせてくれる作品でした。佳作を。



☆午睡   秋乃 夕陽さん

好きなことをしながら寝落ちするって、ヒヤッとするものの、なんだかよい時間ですよね。

「寝落ちしたことに気づいて、慌てて目を覚ましました。ごはんの用意をします」

普通に列記にしたらこれだけのことなのですが、詩を書くことって、これだけの様子を更に自分の表現を使って広げていくことができるんだよって、この作品は、感じさせてくれました。

全体的に、居眠りをして目覚めた感じのけだるさがよく出ていると思います。独特の表現として、テーブルの端の表現がこの作品の中で、一番に際立っていると思いました。小鹿といえば、ディズニーなど、童話の世界にも出てくるもので、どこか夢という言葉を香らせるイメージもあると思いました。そのような言葉からの「薄茶色の斑ら模様がランダムに散らばっている~模様は入り込んで/ゆっくりと消化してゆく」になります。この表現は、目が覚めて、夢か現実かよくわからない寝起きの状況が、読み手の私にも、よく伝わってきました。寝起きに見たテーブルの端から、こんな発想が思い浮かぶ・・・というか、夢みたいだから、夢みたいなことを、そのまま自分らしく表現できたということになるのでしょうね。難しい夢と現実の境目の表現が、ちょうど作品の中におさまっていてよかったと思いました。寝起きといえど、周辺には色々なものがあったはずですが、このようなことに視点をおけたことについては、詩を書くということの楽しさを感じさせてもらえました。

寝起きという非常に短い時間の中に、独自の表現をとりいれ、どこにでもありそうで、どこにでもない、けだるい私だけの寝起きの時間を感じさせてくれる作品でした。佳作を。


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先日の大雨の翌日。ありがたい晴れでした。いつもの通りで雀の親子をみつけました。もう、かなり大きくなった小雀さんに親鳥が餌をあげていました。昨晩、どうやって過ごしたのかと思いました。単純に思われるかもしれませんが、みんな、一生懸命にその日を生きていると思いました。穏やかな夜、穏やかな一日の始まりに感謝。

みなさま、今日も一日、おつかれさまです。

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