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スレッドNo.4154

ヤマドリ会遇  上田一眞

1.帰郷  *1

ふる里 
富海(とのみ)の里山を訪れたのは *2
いつ以来のことだろうか 
子どもの頃よく行った「野田休み」や *3
柴栗を拾った林が懐しい

瀧谷寺裏手から
涸れ沢沿いの山径を歩いて
琴音(ことね)の滝を過ぎたときだ *4
突然響く 羽音
キジの母衣打ちだと思い
目を凝らす

現れたのは 赤い羽根と長い尾
コウライキジか?
いや違う なんとヤマドリだ

怖がる様子も見せず
翼を広げ
私を目指して
遮二無二に突っかかって来る
なかなかどうして
向こうっ気が強いやつ

キジも緑の胸が美しいが
目を染めるヤマドリの〈赤〉は格別だ
野生の姿を間近で見るのは初めてだが
その色合い
艶(あで)やかさは精緻を極めている

目の前で突然羽ばたき
低空飛行
長い尾の残像が雅趣に富む
柿本人麻呂のあの名高い歌が頭に浮かぶ 

 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の
 ながながし夜をひとりかも寝む

夜長の独り寝に
しだり尾の長さを想ったか
はたまた
ヤマドリのような
美しき女(ひと)との逢瀬の夢か

心身の疲れを癒そうと
カメラ片手に野山を逍遥する 

野花や 虫や 小鳥たちとの語らいも愉しいが
彩り豊かな野生の〈赤〉を見て
いにしえ人の夢を想うのも
趣きがある


2.訴訟

会社は いま
損害賠償請求訴訟の真っ只中にある

昨春 訴訟を提起され
首都圏を皮切りに神奈川訴訟へと続き
被告企業の一社として
相対して来た

裁判は燎原の火のごとく広がり 
今後 大阪・福岡
さらに北の札幌でも始まろうとしている

共同不法行為や予見可能性を争う
公害型集団訴訟の難しさと
重圧を
厳に味わった一年だった

担当を設けず対応を一手に引き受けた私は
死者が続出する悲惨な原告たちの現状と
彼らの怒り
塗炭の苦しみを知る

一方で
企業体質が脆弱で
その存立さえ危ぶまれる会社を
守らねばならぬ立場にいる自分

原告・被告ともに救いたいが
とうてい不可能というジレンマ
この相克 

訴訟の技術論より
収めどころのない自分の感情の沸騰に
ほとほと
まいってしまった

思い返すと昨年の横浜地裁 
原告の命を賭した魂の叫びに
強い衝撃を受けた

公判が終わり
ヘロヘロになって地裁の門を出たとき
地べたにへたり込んで
蝉時雨を浴び
柳の木の根元で
カミキリムシが ぎぃーと啼くのを聴いた

茫然自失の私は大都会のなか
偶然そこにいる
ちっぽけな虫の存在にこころを救われた


3.再生

この一年酷使し続け
ズタボロになったこころを再生すべく
私はいま
ふる里の森にいる
母の胎内のごとき森だ
透明な軀が
木々の精で盈たされて行く

ヤマドリとの会遇という
思いがけぬ
僥倖を得たのも幸運であった

琴音の滝の落水音が轟く
遠雷が響く 
自然が醸し出す音色だ

カキランの群落がさらさらと風にそよぎ
カエルの啼き声が囂(かまびす)しい
梅雨もあと少しで終わる

今年も再び暑い夏が来る
孤独な闘いの日々が続く
この先
いったい何が待っているのだろうか




*1帰郷 2009年7月
*2富海(とのみ) 防府市の東端地区
*3野田休み 大平山登山道富海口にあった小
 高い丘 いまは山陽自動車道となっている
*4琴音の滝 富海門前 鮎子川にある小滝

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