評、6/21~6/24、ご投稿分。 島 秀生
早くも熱中症になりかけました・・・・・・。
外で作業する人は、長時間続けて直射日光を浴びない方がいい。
ここのところの陽射しの強さは、本当にハンパないです。
皆さん、気をつけて下さい。
*井嶋りゅうさんの評は、ご都合により、少し遅れます。気長にお待ち下さい。
●蒼井百合亜さん「赤い鬼火」
「赤い鬼火」のイマジネーションはとてもステキだと思います。
ただ、この角度から描く、という自分のスタンスをきちんと決めた方がいい。スタンスが揺れていると思う。角度が揺らぐと読んでいて没入できない。
朝が来たところで、この路地裏が心の暗部の比喩だというのは自ずとわかるので、路地裏の場面は路地裏の場面としてきちんとその場を描いたほうがいい。
また「赤い鬼火はわたしだろうか」という疑問ないし推測の形で書くなら、そのあとも「~だろう」「~にちがいない」という語尾になってくるだろうし、最初からそれと確信があるなら、確信があるような書き方で通すのがよい。
スタンスを決めて、そういった統一感を持ったほうがいいです。
あと「紅い鬼火」(3連)と「赤い鬼火」(他の連)は、やっぱり揃えた方がいいでしょうね。
言いたいことは伝わるし、外観としては書けてる人なので、あとそういった緻密さを詰めていけば、もう一段上の詩になりますよ。
イマジネーションがとてもステキな詩なので、ぜひもう一息、完成させてやって下さい。
蒼井さんは私は初回ですので、今回は評価はつけず、感想のみとなります。
(蒼井さんは実力ある人に思うので、最初からレベルを合わせてしゃべりました。ちょっとキツかったら、ごめんなさい。)
●akkoさん「最期のダジャレ」
体が難儀になっても悲嘆の声も苦悩のしわも見せなかった夫よ
この人は、ホントにこれがエライなあーと、いつも思う。なかなかできません。
それと、akkoさんの詩をずっと拝見してきて思ったことだけど、ご主人、いくら無口な人と言っても、思い残すところあれば、もっと言うものなので、「覚悟がよい(男らしい)」「奥さんに心配かけまいとしてる」ということはもちろんあるだろうけど、それだけでは今ひとつ得心のいかないもの、引っかかりを私はずっと感じてたんですが、ふと思ったのは、この方は、ここまでの人生がもう充分幸せだったと感じられていて、もうそんなに思い残すことはないと思えていたから、あとのことをあんまりグダグダ言わなかったんじゃないかなと。
もちろんこれは私の勝手な想像に過ぎなくて間違ってるかもしれないんですが、そう考えることが一番つじつまが合うので、私は勝手にそんなことを思いました。きっと、思い残すことよりも、奥さんや家族への感謝の気持ちの方が勝ってたんじゃないんでしょうか。想像ですが。
2連の、
治療費?・・なんとかなる なんとかする・・
ここ、ステキですね。作者の覚悟がわかる。
終行ですが、この詩においてはこの行が大事な叙景の1行になるので、しっかり感じてもらいたい。その意味で「みかんの花の」の後ろで、読点を打つか、ひとマス空けるか、した方がいいです。
終連のセリフのところ
「アレジオン あれじぉんじゃ(あれじゃ) 駄目だ!」
これぐらいの表記にしといた方がいいかも、ですね。
最後まで、奥さんを笑わせたかったんだなあー と思いました。
心配かけまいと気遣ってるということもあるんでしょうけど、奥さんが笑うのが嬉しかったんじゃないんでしょうか。やっぱりそこに幸せを感じていたというか。
そんな気がしました。
二人それぞれの思いを感じる詩でした。
文体の技量もだんだん上がってきましたね。
名作を。
この詩は、病名や告知された直後の二人の動きがわかるので、シリーズ作の中で、一つのポジションを持っています。なので代表作の列に、この詩も加えていいと思います。
●相野零次さん「あなたと僕」
「母親のような存在」に対し「恋人にしたい」、両者の内面的な食い違いを、比喩で実像化して見せるとすると、こんな具合になった。とも言えるし、
今も生きている自分と亡霊(あるいは生前、親しかった人)との恋、という捉え方もできると思う。生の者と死の者は、この世界で関係を許されない。
どちらに読むのもアリだし、どちらに読んでもおもしろい。
ちゃんと図式ができているからか、あるいは心の置き所について明確であるからか、二人それぞれのポジションについて、混乱も混同もなく最後までちゃんと書けています。この長さで書いて、途中混乱がないのはたいしたものです(たいていの人は、この長さで書くと、途中でなにか矛盾を出してしまうとこです)。
イマジネーションだけでなく、深さがあるね。だからいい。
それに、このケースに限らない、成就できない恋全般も想起させてくれる。そこもいい。
いい詩だと思う。粘り強く、よく書けましたね。名作を。
相野さんの代表作の一つと言っていい作だと思います。
●荒木章太郎さん「やむにやまれぬ音だ」
初連の入り方が良くなりましたね。
いきなりかっ飛ばさず、ちゃんと接点を持ちながら入ってくるのがいい。
雨がやむ音を
聞いたことがあるか
も、ありそうで、ないところがくすぐります、良い問いかけでした。
3連は、「諦めの溜め息」に沿ったダークな流れがありつつ、「生活の再生」に向け、ゆるやかな上昇が感じられる4連になっている。なので3~4連はそれなりに脈絡が取れている。
問題は2連ですね。
人が病む音を
聞いたことがあるか
の問いかけはおもしろいんですが、
あとの脈絡がちょっとおかしい。
いちおう「聞いたことがあるか」なので、答えとして、なんらかの音が欲しいんですが、初連では最後に「かすれ声」があるのに対して、2連は「かき消される」と「やむにやまれぬ」だけで、答えとなる音がない。
そもそも初連も2連も、音をまだ書いてないのに「かき消される」があって、書く前から消してるんですが、初連では最後に後追い的に「かすれ声」と書いてフォローにしてるのに対して、2連では、音を書く前に消したままで、なんのフォローもない。
なので2連のそこは、要改善に思います。
でも全体まずまず書けてるので、秀作を。
終連の
食器棚に置かれた
固く青いトマトが
顔を赤らめる夕暮れ
ここも印象的で良かったです。
でも、次に「蒼穹」をどうしても入れたいのだったら(なくてもよい気もするのだけど)、ここのトマトは「固い緑のトマトが」と書いておいた方がいい。
●埼玉のさっちゃんさん「真昼の月」
うむ、進展しましたね。
平日、仕事にあけくれる日々の、昼休み時間に見た、真昼の月に元気をもらうという、シチュエーションがいい。
案外と夜の月よりも、現代社会に働く人間が昼休みにチラッと見る白い月の方が、現代人にそぐう形であるとも言える。
元気が出て、午後の仕事もがんばれる。それっていい月ではありませんか。
この詩における「貴方」は、読者それぞれがそれぞれの「貴方」を思ったらいいと思う。ここはぼんやりとした置き方で、これでいいと思います。
うむ、いい詩だと思います。秀作あげましょう。
文体がしっかりしてきたので、もう長いものを書いても、破綻しないで書けると思いますよ。
●上田一眞さん「十歳の夏」
高度成長期になると、大都市圏やその産業に絡むところは人の出入りが活発になってきたので、因習みたいなものも否応なしに薄まってきたのかなと思うところがあるのですが、高度成長期って、かなり地域差が出た時代でもあるので(だから集団就職とかもありましたね)、人流の少ない地域では、特に陸の孤島みたいなところでは、悪しき因習みたいなものが、より長く残っていたのかもしれません。
その学年だけで済んだのかどうかわかりませんが、子供の頃は「一日」が、すごく長い時間ですから、そこからの四年間は、さぞかし長い時間であったことでしょう。お察し致します。
しかしながら思うのですが、日本人の性格によるものなのか、はたまた人間の性格によるものなのか、クラスに一人、いじめられっ子がいるというのは、今も変わっていないような気がします。一人、いじめ対象を作ることで、自分たちを安定させようとする、人間の情けない性分は、今の時代にも通じているような気がします。
上田さんの詩は、昔のことを描いているようで、人間の本質を突いているから、今の時代への共通項があり、現代の教訓にもちゃんとなっています。そこがいいと、いつも思っています。
名作を。
文体が、より磨かれてきましたね。一段上がった気がしますよ。
この詩、「うぐし」の話の続編という位置づけ(その後の自分に起こったこと)で、代表作入りさせてもいいと思います。
●理蝶さん「ビーズ」
理蝶さんは、長いの専門かと思ったけど、短いのも書けてるね。
ハッとさせられる、ステキな詩だと思います。
終連とタイトルの「ビーズ」の配置もグッドで、これにより詩全体が「ビーズ」の暗喩になっている気さえしてきます。
7連、
おんなじことで
吹き出してしまった
は、正直ちょっと謎の言葉なんですが、でも詩中、すごく効いている言葉なので、一つぐらい謎のままで置いておいてもかまわないです。これが結論。
結論を先に言った上で、何が謎かというと、これの意味が複数に解釈できてしまうことと、脈絡として一番順当なのが、1~6連の様子が思いがけず過去の記憶と重なったことを意味してると受け取るのが順当なんですが(これが順当となる書き方をしてるので、こう誤解されても否定ができない)、なんとなくこれじゃない匂いがしてることです。
気になった点はそこだけです。後ろ4連は凄くいい。
ちょい甘、名作を。
舞い降りてきたビーズを大切に。
●秋乃 夕陽さん「受難曲」
第九をやるというので、社会人になってまだ4~5年しか経ってない時に、一度だけ参加したことがあります。
年齢の違いも、普段の職業や立場の違いも、全部取っ払って、みんなで一つの曲に向かう時の、平等な一体感のすばらしさは今も覚えています。それが市民合唱団のいいとこじゃないんでしょうかね。そこを抜きにしてはあり得ないと私は思うけど。
なんなんでしょうね、その指揮者。自分のことしか考えてないのか、あるいはその曲に関し、自分独自の解釈を持っているのか、(もしかしたら複数箇所に問題があって、修復するのに時間がかかるという意味の「厄介」なんだろうか?? だから他パートから先にやってるんだろうか?? だとしてもその言い方はない!!)
その人の実績は知らないけどエライ人かもしれないけれど(たしかにプロの道に進む人は容赦ないですけどね)、少なくとも市民合唱団に向く人とは思えないな。
でもね、佐渡裕とか、本当に優れた指揮者というのは人をまとめるのも上手ですよ。ちょっと居合わせたことがありますけど。だから、つまるところ、その指揮者はハズレなんでしょうね。外の世界をあんまり知らない人じゃないのかな。
作品ですが、初連で、作者が理解するところの曲の概要を述べてくれているところが、まず良いです。
3連前半ではその曲に挑戦する作者の努力を書いてくれていますが、それに対峙するように、2連では対照的な指揮者の態度がある。
それらにより、事態の状況が見えてきます。
それだから、3連後半から終連にかけての、作者の失望もよくわかるというものです。
きちんと書いてくれているし、この曲を知らない人にもわかるように、音楽的な部分も配慮されてるのもいい点なんです。このサイズの詩としてはこれでいいと思うんですが、音楽的な部分は、今書いてる部分を入り口にして、もう一歩踏み込んでもいいと思う。その方がもうひと回り大きな詩になれます。
詩のサイズは、最初から決めてかからず、長ければ長いでかまわないので(ネット上では何行書いてもタダですから)、書きたいことをまず書きましょう。構成さえちゃんと取れていれば、少々長くてもそんなに破綻することありませんから。
ふむ、秋乃さんはある程度書いておられる方とお見受けしました。
私は今回、初回になりますので、感想のみですが、この詩はマルです。