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スレッドNo.4190

信じる心と愛と孤独  相野零次

孤独
おそろしい言葉
この世で最もおそろしいことかもしれない

真の孤独を受け入れたとき
人は人でなくなる

人は人と繋がっている
どんなときでも
それを忘れちゃいけない

いや忘れることなどできないのだ
受け入れなきゃいけないのだ

人はときに独りでいたくなる
物理的にも
心理的にも
人が人を嫌になることは
よくあることだ

しかしそれはできっこないのだ
一般的な社会生活を送っている限りは

人が人を本当に見捨てるには
ほとんどの事柄を見捨てなければいけない
それは例えば親兄弟にも値する

怖ろしいことだ
心が心底 震える
人が人を愛することを
こんなにも難しくしたのは
誰だろう

誰だっていいのだ
愛というのは
とても大きなものだ
小さな枠に捉えられるものではないのに
人は枠を欲する

例えば恋人であったり
夫婦であったり
親子であったり
ペットであったり
愛を枠で捉えたがる

決して悪いことじゃない
正しいことだ
そうだ問題なのは
そこに幸せを繋げたがることだ

愛があるから
幸せとは限らないし
不幸せともいえない
それは別の事柄

愛は何かと何かを
繋げるものかもしれない
親兄弟を
他人を
男と女を
動物や植物を
その他ありとあらゆるものを
繫いで結びつける
それが愛なのかもしれない

そうだと信じたい
信じることも愛の一種かもしれない
信じることは大事だ
信じる心があれば
人は孤独から救われるような気がする

難しいけど簡単だ
簡単だけど難しい
それが愛
それが信ずる心

今 孤独である人よ
恐れなくて構わない
人は誰だって
いつだって
孤独からは逃れられない
心底愛する恋人がいたとしても
母の愛を一心に受ける子であったとしても
孤独は免れない
そうでなければ
なぜ子供はあんなにも泣くのだ
すぐ目の前に母がいるのに
何かを見失い泣く
伝わらないと泣く

そう伝わらないのだ
愛は確かに何かを繋げるだろう
だがそれを相手に直接伝えるわけではない
都合のいいテレパシーなど存在しない
だから誤解を生む
誤解は孤独を生む
どんな間柄であっても

どうすれば孤独から逃れられるのか
それはやはり信ずることではなかろうか
わかってくれていると
思うからこそ
赤子は泣かないのではなかろうか
笑うのではなかろうか

孤独よ
お前は
信ずることを忘れた
人間の心なのか

ならば愛せよ
誰でもいいのだ
眼の前の自分を愛せよ

他人は自分の心に存在するのだから
鏡を見よ
己の手を見よ
血が流れている
お前は生きているのだ

お前はお前を信ずることはできるのだ
そうして
お前は今
生きているのだ

泣くがいい
泣けずともかまわない
笑えばいい
笑わずともかまわない

今 
お前は何を思う?

何かを思い出すであろう


それはかつてお前の愛するものと
繫いだ手なのだ
 

お前は誰と手を繫いでいるのだ?

誰とも繫いでいなくとも
お前はお前と手を繫ぐことができる

お前には両手があるのか?
あるのなら簡単だ
五本の指を組み合わせて
握りしめるがいい

それは祈りの形だ
祈り 思い出すがいい
かつて愛する誰かのために
祈ったことを

お前には両手がないのか?
なくても簡単だ
お前は今までの人生で
祈ったことはあるはずだ

母や父のことを想い
祈ったことがあるはずだ
母や父がおらずとも
育ててくれた誰かのために
祈ったことがあるはずだ

今は
自分自身の明日のために祈るがいい

孤独は去っただろうか
一時でもいい
ならばそれでいい

孤独はおそろしいと言った
それは
間違いかもしれない

孤独はいつでも
誰でも持っているのだから

人間は間違える
間違え続ける
間違いの数だけ
正解はある

そこへ辿りつくことができれば……
道すじが見えたなら
孤独でも大丈夫だ

人は一人で生まれない
ならば一人でも死なない
そう信じて
愛に導かれて
孤独を受け入れよう

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