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スレッドNo.4245

感想と評 7/12~7/15 ご投稿分 三浦志郎 7/22

1 秋乃 夕陽さん 「羽蟻」 7/12

連毎に見て行きましょう。
初連の叙景がいいですねー。清涼感が好ましい文体によって飾られていきます。筆致は申し分ありません。さらに効果的に演出するには、この初連、もう少し連分けする方がいいと思います。
詩作法の一般論として、出だしは軽く出て行くのが無難、というのがあります。例えば最初は2、3行。本作の場合、見た目も”読み感“も少し重いんです。もうすこしほぐしたほうが、より清涼感、抒情味も出ると思う。分け方は秋乃さんのフィーリングにお任せします。2連ではいきなり「銀行」と出て来ますが、邪魔にならない程度にその事情や背景を軽く触れてもいいかもしれない、あくまで、軽く―。それと3連と4連の間に羽蟻の様子をもう少し書いた方がいいように思いました。羽蟻の退場がやや急ぎ過ぎか?もう少し活躍させてあげたい気がしました。この詩、構想はこれでいいと思うんです。ふと見つけた羽蟻に自分の過去の境遇をダブらせて、一種の親和性を見出しているのがいいんですね。感情移入というものです。後は、軽く手を入れてみてくださいな。佳作一歩前で。


2 理蝶さん 「17歳の星くず」 7/12

冒頭佳作です。冒頭2行で、これから始まるストーリーを爽やかに暗示させます。今は「ずる賢く器用になった」大人だけど、綺麗でみじめだけど光っていたあの頃、―17歳。回想というよりも“会いに行く“と言ったほうが相応しいような、そんなファンタジーです。
感傷的ではなく、ワイワイガヤガヤ、いろいろな所作をやっている。その賑やかさがむしろ清々しいです。「夜空の関所を自転車」「夜空の通貨」「夏の十字路」「夜空のけもの道」など斬新な言葉群も華を添えています。もちろん基調には懐かしさや愛着があるのですが、その感情の出し方が普通の詩とは違う。理蝶さんだけのもの。最後は敢えてナレーション風にしたのはセンスですね。締め括るに良い着地です。どこか「銀河鉄道の夜」をイメージするし、あとは、あれ、あれですよ。昔の映画「E・T」のポスターに出て来る、月を背景に自転車漕いでる少年ですね。あの感じですね。


3 桜塚ひささん 「石ころ」 7/12 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。

よろしくお願い致します。
既存作の無差別殺人犯の詩、水無川氏の評、作者さんのコメント、全て読みました、さて、その上でのこの詩です。手法としての前作の具体、記録性。今作に見る抽象性、寓話性の違いあれど、描かれる主体、主語は共通したものを感じました。すなわち昭和という、ある意味牧歌的だった時代を経て、平成~令和に至っては、すこぶる多様化、複雑化した社会にあって、疎外されてしまった人々、孤立化した個人、を描いている。その範囲は個人であると同時に群衆でもあるでしょう。そのありようは働きかけもしてみたのだけれど、報われていない。この詩はそういった人々を掬い取っています。最終句が悲しい意志と境遇を表しています。詩を通じて今の社会に一石を投じた作品と言えるでしょう。また書いてみてください。


4 上田一眞さん 「秋の花筏」 7/12

あっ、今回は短詩で来ましたね。いいでしょう、読みましょう。冒頭佳作です。
日本の古き佳き詩を彷彿とさせる仕上りです。花筏というと、すぐ思い出されるのは桜なんですが、
萩の花筏。此処にも又季節の美しさはある。山口県人、長州人にとって「萩」は格別の花であるでしょう。「風の姿はどこにある」「風の舞」―風の見方、書き方が大好きです。小さな花が風に散り、楚々として水に接する。その結晶としての花筏。その風情も見事に描かれ、美のひとつのかたち、風景が現出しています。こうなってくると、この詩において「おお」はむしろ必要。ないと困るとさえ思えるほどです。「湖畔のやすらぎ」で締め括ったのも麗しい。
およそ文学において映像が浮かび上がるということは最大の成功のひとつと言えるでしょう。
この詩はそういった種類に属します。今まで叙事的なものが多かった中にあって、こういった傾向も実に好ましいものです。


5 森山 遼さん 「ロンドを踊ろう」 7/12

今、多少、譲歩という事を考えています。以前、大いに指摘したことが、やや改善。譲歩されているので、僕も若干譲歩します。前半はやや詩行に近づいてきたからです。内容はよくわかりませんが、マストロヤンニ、ソフィア・ローレンとあるから映画「ひまわり」のことでしょう。アヌーク・エーメを調べると共演作で「甘い生活」が出て来ました。しかし、それがロンドを踊ると、どう関係があるのかはわかりませんでした。後半は現状維持です。どうしても受け入れられない箇所を抜き書きしておきます。

あんた あんた あんた どんだけ美しい
そうだ そうだ そうだ
生きてる 生きてる 生きてる
そうだ そうだ そうだ そうだ
ロンド ロンド ロンド

優しく言えば、もう一息です。がんばってください。
きつい言い方をすれば……
これを自分の個性と思われているなら、僕は賛成できません。
他のエリアではまずまず普通の書き方をしているのに不思議としか言いようがない。佳作二歩前。
僕のところに投稿するなら、上記のスタイルはやめて頂きたい


6 人と庸さん 「あかね雲」 7/13

あかね雲に託して、ひとりの人間を語ります。まさにペンネームにうってつけ。
戸籍上の名前変更について調べたら、ごくごくシンプルに「可能です」。ここで面白いのは「由子」は冒頭と来歴のくだりにあるだけで、後は「あかね」で押し通している点です。それと「コウキコウレイ」の彼女を「ちゃん」付けで呼んでいる。ここに語り手の明確な意志と愛着を感じることができます。ハイライトはあかねちゃんの今までの生き方のありようです。すなわち、何事にも逆らうことなく、誠に唯々諾々。これは、もしかすると「自然体」と言ってもいいかもしれない。ふた昔ほど前の日本庶民の姿と言ってもいいでしょう。真面目におとなしく生きたのです。それを代表する、魅力的で気高いフレーズがあるので、独立的に掲げましょう。

「穏やかな色の雲が心にただようだろう」

このあたりが人と庸さんの本質かもしれません。素朴で地味でおとなしい詩ですが、人を動かすものがあります。佳作を。


7 司 龍之介さん 「蛹」 7/14

小さな生きものへの眼差し。細かい観察心、大きな驚き、愛着があります。「遅刻したんだろうか?」は笑えるし、「蝶はだいぶ見なくなったな」も同感ですね。やっぱり代表種はアゲハチョウなのですね。「ドロドロ」はちょっと不気味で気持ち悪いですね。まあ、それも「神の奇跡」「生命の神秘」そして成虫へのステップなのでしょう。やはり最後の2連でしょうね。虫の成長がそのまま人間にあてはまる。この前向き感、期待や希望がいいですねー。特に終連に触れます。ここは一般論としての蝶というよりは、特定化された「その蝶」を思っていたい。終わり2行では―追跡調査といった言葉では味気ないけど―「その蝶」の生き死にまで見とどけたい。そんな思いまでが込められているようで、印象深いものになりました。佳作で。


8 荒木章太郎さん 「燻製」 7/14

冒頭。何処かで仲間とこんな風に飲んだのでしょう。こういった場面の荒唐無稽的超訳と見ました。
あとは荒木さんのフィーリングとイメージ駆使でグイグイ書けてしまう、そんな印象を持ちました。
続く2連も面白いのですが、ここは意外と重要なことを言っている。後半2行ですね。3連目の2行も重要。後はイメージに任せてガーッと行って、最後の3行も象徴的にして重要でしょう。ここの解釈はけっこう難しいのですが、何か人の世のありようを暗示しているようです。
あるいは前出の動物種類に対する「人」といった取り上げ方かもしれません。燻製に隣接して「煙」がキーワードとして活きていると思いました。「煙に巻く」=「真実を隠す、うやむやにする」と煙が晴れると衝撃的な真実に世間が驚愕する、そんな社会の原理を暗示する、警鐘を鳴らす、そんな側面もありそうです。あくまでユーモラスなファンタジーに包まれてはいますが、そこは見ておかねばならないと思っています。 すいません、ちょっと評価がわからないのですが、暫定佳作半歩前で。


9 相野零次さん 「生と死」 7/15

いや、難しい!この深遠さに評者は耐えられるか?ちょっとポイントを用意してみましょう。
生死の持つ二律背反性。―僕にとってのこの詩はその考え方が基調になっている気がします。まず初連にそれを感じます。以降、自らの論や思考が始まります。ここで「儀式」という言葉に注目します。死に関わる儀式(4連)は日常付近にある儀式(6、7連)と同列と見る。おそらく、これは死について一歩踏み込んで考察する。実践面では(実際、死ぬということではなく)一日生きれば、一日死に近づく、といった自然節理自体が行動としての儀式と見る。そんな解釈の仕方です。
ところで、この詩は全く具体がありません。人によっていろいろ意見はあると思いますが、僕は具体に降ろさなくてよかったと思っています。テーマがテーマなので、あくまで形而上領域で思考を深めるでいいと思います。ただ注意すべきは思考一発の詩はけっこう難しい。カウンター的意見が必ずあるからです。これは自説を披瀝しながらも、まずまず許容範囲に収まっていると思います。佳作です。


10 埼玉のさっちゃんさん 「回想」 7/15

詩的ファンタジーの中にある自己物語、とでも呼びましょうか。ちょっと面白く、やや不可解なのは、①幼い頃の自分が、②今の自分にアドバイスというか教訓を言う点です。時間といった係数が関わっているように思います。①の時間はすでに止まっています。そんな中で①は心残りというか、何かやり残したことがあったのかもしれない。①→②へ。「わたしはあの時こうだった。あなたはそうはならないで」―すでに終わった①から現在進行形の②への伝言のようなもの?僕が勝手に想像するに①の愁いとは冒頭の3行だったのかもしれない。よくよく考えると幼いとはいえ、時間世界では①は先輩にあたるわけです。そう考えると特におかしいところはないのです。かえって深い処へ行けるかも。
終わり近く「しばらくすると~ゆっくりと歩き出す」はちょっとした名場面です。夕陽の中に美しい風景が浮かんで来ます。大人向けのショート童話といった趣きがいいんです。甘め佳作を。


11 温泉郷さん 「線状降水帯」  7/15

長めですね。心して読みましょう。前半は圧巻のメカニズム筆記と観察眼です。かなりの大岩と思われます。自然の力によって、散々痛めつけられて来た。しかし普通に流されていくのは「それはいいのだ」なのです。滝の出現によって岩の擬人化、始まる。滝中にはまってしまうのだけは、何としても避けたい。水の中の無の世界だからです。誰も岩だと認識してくれない。それは岩としての自分の矜持に関わるのです。策はただひとつ。強力な線状降水帯発生により大雨、襲ってくる濁流に乗って大ジャンプ。滝の向こう側に行く事です。ただし強力な濁流も辛いもの。ここにひとつの賭けがありそうです。でも今はジャンプしかない。
そう考えると最後の2連はいろいろなことを考えさせられるものがあります。淡々とした中に手に汗握る要素もある。このあたり、上手いですね。タイトルもこれにしたのも興味深いです。佳作です。


12 静間安夫さん 「がまがえる」 7/15

僕はこの歳になるまで、ただの一度もカエルを触ったことがありません。たとえ最小のカエルでもです。気持ちわるい、怖い!ぜったいヤダ!(ヘビ、言うに及ばず)。写真で調べる時も若干勇気が要りました。都会にも出る!?ヤダなあ。でも、この詩、楽しい!かしこまって座ってたり、目を見ると、ちょっと可愛い気もしますが。とにかく、ゆっくり、ゆったり、ユーモラス。それは鈍重な動きにあるのだけれど、ちゃんと外敵から身を守る術は持っている(毒)。お互いセリフも入って、殆どお友達状態。愛着と気づかいすら感じさせます。サラリーマンの処世訓にまで行くとは、誠に畏れ入りました。こういったグロテスクにも気持ちを注げるのが、この詩の妙味であり価値でしょう。
このカエル、10年位生きるそうですね。これからもお付き合いください。ヤマカガシだけには気をつけて―。甘め佳作を。ところで、静間さん 、がまがえる、触れます?



評のおわりに。

昨日、熱中症になりました。微熱、頭痛、食欲なし、やる気なし。検査の結果、コロナではなし。
昨日、エアコン下で寝てました。今日はだいぶ良いので評を終えました。
ホント、注意が必要ですね。 水分補給でしょうね。では、また。

編集・削除(編集済: 2024年07月22日 12:39)

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