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スレッドNo.4276

シンバル・音職人 三浦志郎 7/26

S・M・L―服のサイズではない。そのオーケストラが備える、
シンバルの大まかなサイズである。いずれもジルジャン社製。最高級の音だ。

                    *

たとえば―ドヴォルザーク「新世界より」第四楽章
全楽章通じてシンバルの演奏はただの一回 ただの一打
その日 奏者A その一打のために誰よりも早く楽屋入りする
彼の妻もその一打を鑑賞しに会場に来るだろう
出番一回の打楽器奏者と出番が忙しいヴァイオリン奏者のギャラは同じ
よく冗談めいて話に上るが事実である そしてこの扱いは極めて正しい
音楽は楽器は 回数の時間の 多寡にあらず
各奏者が楽器の特性・役割に従い貢献する精神のことだ 
精神は平等
シンバル音はONE AND ONLYな“点”で音楽を彩る 
ひとつの演奏責任の重さと美しさに報酬は払われる
彼にとって出番に寝過ごさないのも音楽
端座し緊張と戦いながら小節数を数えるのも音楽
もちろん 見事に報酬分の責任を果たすに違いない


たとえば―ベルリオーズ「幻想交響曲」第四楽章(断頭台への行進)
最後近く 短いが穏やかな旋律を遮断するシンバル音 
強く激しい一撃 断頭台の刃が首を断ち切る瞬間を暗示している
その時 奏者B その小節を待つ 水のような心境だろうか?
瞬時にフォルテシモを打ち 直後にシンバルを腹に当て音止め
奏者は今日 シンバルで罪人の首を切り落とす
一打の出来不出来で音楽は輝きもするし台無しにもなる
失敗しても調整も回収もできない 誰も助けてはくれない
(プロだから まずあり得ないが)
もしも仕損じた時は 死ぬほど恥じ入って
片手のシンバルを投げ捨て
片手のシンバルのエッジで(罪人ではなく)自らを断頭しかねない
彼は背中に そんな悲愴幻想も背負っている

                    *

奏者A。 奏者B。 座ってその時を待ちながら、実は彼らが楽曲の生殺与奪を握っている。
成功と失敗。 彼らはその愉悦と絶望の中にいる。 孤高。 彼らこそが「音職人」。 

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付記。

実際、寝過ごして、演奏機会を失った奏者はいるそうです。
実際、失敗して、後日、懊悩し自死した奏者はいるそうです。

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