故星(ふるさと) 松本福広
私と父の違いは色々ありますが
「故郷」があるか、ないかの違いが挙げられます。
父は子供の頃を茨城県の土浦市で過ごしていました。
生まれ育った過程を、両親の元……私から見れば祖父母らの家で過ごしました。
父にとっては紛れもなく、そこが故郷なのでしょう。
父は高校卒業後に就職し、実家から出ていくことにしたそうです。
母ともその会社で出会い、私が生まれました。
父はいわゆる転勤族なので、その息子である私も土地を転々とすることになりました。
そのため、なじみ深い土地……故郷というものが分かりませんでした。
父は幼い私に、いずれは故郷に帰る話をしていました。
私は今に至っても「ここに帰りたい」という場所はありません。
それは帰る場所としての「拠り所」がないように感じられ寂しい気持ちになったものです。
そんなすれ違いを思いもしない父は
私を連れて、お盆と正月ごとに帰省していました。
父の実家は私が知る限りでも時代にあわせて変化していました。
五右衛門風呂からジェットバスへ。
黒電話からプッシュホンへ。
汲み取り式便所からウォシュレットトイレへ。
家の外も、父が出かけていた近所の商店街は
シャッターが閉じられていることが段々と目立っていきました。
私たちが住む家から、その実家まで新しく開通する道路で
回り道していたのを大きくショートカットして行けるようになる。
このことも街の大きな変化と言えるでしょう。その利便性に喜んでいたのを思い出します。
その時既に祖父は他界していて、祖母に介護が必要だったからでしょう。
その祖母もなくなり、父の兄弟、私を含む孫世代も祖父母らの家を
継ぐ人はいませんでした。
父は実家の家屋を取り壊すことにして整理をしている最中です。
両親から離れ暮らしていた父が、いずれは故郷へ帰ると言っても
時代とともに切り離せないことも増えていったのでしょう。
帰る場所として決めていた場所。
子供の頃を過ごした思い出の詰まった家。
時代と共に変わる家の中や、それを取り壊すことになった
父の思いは計り知れませんでした。
故郷を知らない私は
フォスターの「懐かしきケンタッキーの我が家」や「故郷の人々」など
望郷の気持ちを表す唱歌にしんみりすることがありました。
整理する父の背中に重ねる。
私にはない感情『望郷』を辞書で調べました。
故郷を慕い、遠く思いを馳せる事―故郷を離れた父。
故郷を懐かしく思う事―その故郷を整理している父。
私は父の年齢の半分をやっと追い越したくくらいの人間です。
だから、父の気持ちは憶測でしか測れません。
父も父で、そういったノスアルジアに浸れない息子の気持ちなどわからないでしょう。
それでも
時折、思うことがあります。
遠い未来に
故郷をもつ人と
もたない人が
交差する時が来るかもしれないことを。
「月や火星に移住しよう」
そんなニュースを聞くたびに
人類にとって、地球が故郷と呼ばれる時代が来るのではないかと。
土星のショッピングモールで
星苺のパフェを食べて
帰りは煌びやかに装飾された金星で観劇を行う。
「そうだ。もうお盆だね。地球に行かないとね」
「知っているかな?地球は昔、青かったんだよ」
なんて話を未来の人たちが話しながら
ナスやキュウリのような宇宙船に乗って
お盆に地球に里帰りをするかもしれません。
送り火は
宇宙だと真空だから出来ないでしょう。
灯籠流しは
乳白色のミルキーウェイに
短冊のように色とりどりの流星群が
灯籠に見立てられて
光速で流れていくのでしょうか。
速すぎるのも風情がないと感じてしまう。
そっと、ゆっくり
送り火が消えないように
その位でちょうどいいと思うのです。
思い出のような火が
揺れないように、消えないように。
墓参りの帰りに
送り火を風から守るように
ゆっくり歩きながら
墓場から実家への帰り道を
落花生畑を横目に
父が故郷の話をするのでしょう。
私はそれを聞くことに集中するのでしょう。
フォスターの唱歌たちを脳内再生して
月から見れば、ここが「ふるさと」と呼ばれることを思いながら。