被爆 上田一眞
母方の伯父の家があった温品(ぬくしな) *1
この地は幸いにも
小高い丘陵地が防壁となって
熱線と爆風を遮り
災禍を免れた
昭和二十年八月六日 午前八時十五分
米爆撃機エノラ・ゲイより投下された
一発の原子爆弾
このとき
広島惨劇の扉が開いた
被災者を救助するため 伯父は
すぐさま
大八車を牽き
もう一人の伯父とともに市街地に向かった
恐ろしい光景が二人の網膜を焦がした
火傷を負った何百 何千もの人の群れ
焼け爛れ
剥げた皮膚を手の先に垂らし
崩れた顔が水を求める
そして 苦し紛れに
川に入って
そのまま溺死した
累々たる死体が重なり合う太田川
河面はくれないに染まっていた
赤子を抱いた若い女性が
呻いていた
水 水 水
水を下さい
この子を助けて と呟きながら
母親は果てた
母の願いも虚しく
赤子は既に骸となっていた
伯父たちは
街の北部
横川駅近辺で救助活動を続けた *2
暫くして
コールタールのように黒くて重い
大粒の雨が降りはじめる
原爆投下直後
広島市一円に降った〈黒い雨〉 *3
それは
危険な驟(はし)り雨だ
強い放射能を帯びている為
水を求めた多くの命を奪った
伯父も
もう一人の伯父もこの雨水を浴び
被爆した
*
この惨禍
なぜ広島の人々が
被らねばならなかったのか
無垢な赤子が
なぜ尊い命を奪われねばならなかったのか
平和記念公園の慰霊碑には
安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませぬから
と揮毫されている
これには
私は些か違和感を覚える
違和感の源泉たる「過ち」の一語
戦前はその国体からして
今の平和国家日本と
著しく思想や倫理観が乖離している
戦禍は
軍国・拡張主義の所産なのだから
総体として
日本人の「過ち」と言わねばなるまい
だが 戦争にはもう一方の当事者がいる
彼らは碑文のように核を捉えていない
米国は
原爆投下を是とし
抑止力の名のもとに
今も強大な核戦力を保持している
核は最終兵器であり
かつ 残酷極まりない悪魔の兵器だ
赤子とともに
泥水を飲んで息絶えた若い母親を
二度と出現させてはならない
人類に対する冒瀆であり
重大な罪だ
バイデン大統領閣下よ
戦略核 戦術核ともに一切の核兵器を廃棄せよ
それが被爆者に対する
責任ある態度というものだ
プーチン大統領閣下よ
所有する核で
他国を恫喝するなどもっての外だ
五五八◯発もの核は
直ちに廃棄し
我欲のウクライナ侵攻を即時中止すべし
金正恩総書記閣下よ
妄想に取り憑かれた核開発を中止せよ
民を忘れたあなたの保身は見苦しい
世の全ての為政者たちよ
人々の顔にケロイドをつくり
煉獄の火炎と黒い雨を齎(もたら)す
核の保持・使用を許容してはならない
*
今日は
広島原爆の日だ
七十九年前と同じように
陽射しは強く
天は高くどこまでも蒼く美しい
百日紅の赤い花が
風にそよいでいる
改めて
惨劇の犠牲者と
彼らを救おうと努力した
今は亡き二人の伯父に
哀悼の誠を捧げたい
*1 温品(ぬくしな) 現広島市東区温品
*2 横川駅 現広島市西区横川町にある駅
*3 〈黒い雨〉井伏鱒二著『黒い雨』に詳しい