神様の話 相野零次
人の思いもよらない大きな力がこの世界を動かしているのは必然です。暑い日が続くのも仕方ありません。台風がやってきますが恐れなくて大丈夫です。大きな意味では、地球は何事もなく平和に回っています。小さないざこざがありますが、それは観察されています。
神様って絶対に存在するはずです。人間は賢いから、神様がこの世界のバランスを保つために行っているひとつひとつの事柄にすら、自分たちのルールを当てはめています。本当はぜんぜん違うと思います。神様の意図と全く違った答えが導かれていることもあれば、神様と同じような答えが偶然出来あがっていることもあると思います。
私は宗教家ではありません。特定の神様を信仰しているわけではありません。でも、あまりに人間に都合の良すぎるルールが蔓延しているような気がするのです。批判するつもりはありません。そんな気がするだけです。
例えばわかりやすく例をあげて、戦争って何であるのでしょうか。神様が私たちをもてあそんでいるのでしょうか。そうではないと思います。戦争って罪と罰の帳尻あわせをしているように思えます。悪いことをしている人間たちの罪が銃火器となって存在し、撃ち合うことによって罰を打ち消し合っていると思います。
核兵器がこの世には存在します。人間の罪の最も大きな存在です。撃ち合えば世界は滅びるといわれています。撃ち合わないように、神様は毎日、調整しています。
お金があります。人間が作り出したルールだと思います。そのなかで、最も複雑でよくできたルールであると同時に、最も罪深いルールです。なぜかはなんとなくわかるのではないでしょうか。銃火器も核兵器も全て、お金で買うことができます。簡単には買えませんが。
人の価値も、お金のあるなしで測ることができます。お金だけが全てではありませんが、お金がなくて飢えて死んでいく人がいるというのは真実なようです。ただの紙切れです。風が吹けば飛んで行って、燃やせば灰になる。ただの紙切れ。なのに、命を買うことができます。命とは食料です。人を救うこともできれば、殺 すこともできる。それがお金です。
神様の話に戻します。
神様は星なのだと思います。地球は神様の心臓です。地球が回っているということは、我々人間の心臓が動いているのと同じ意味だと思います。
我々人間や、動物のひとつひとつは、例えば血液を体中に運ぶミトコンドリアであったりします。我々人間も神様の身体の一部だということです。
地球が心臓なら、太陽が脳で、火星が肺で、水星が腎臓で、木星が胃です。太陽系ひとつまるごとが、一人の神様です。その中の星のひとつである地球に生きている人間一人は、神様の身体の細胞のひとつだといえます。
大は小を兼ねるという言葉がありますが、全くそのとおりで、宇宙はどこまでも大きいのです。人間が観測できる限界を遥かに超えて広がっています。もしかしたら、大きく大きく広がって無になる一点で、一番小さなものと同じになっているのかもしれません。大きく広がり続けるだけでなく、どこかで小さくなっているのかもしれません。ブラックホールやホワイトホールと呼べるもので、例えば100が限界ならば、100=0と繋がるのかもしれません。
人間の遺伝子には数十億年分の記憶が蓄えられているという話を聞いたことがあります。それが本当ならば、我々人間が生まれた日と、地球が生まれた日は同じなのでしょうか。
物理学や地学、心理学、いろいろありますが、実は全て神様の存在を明らかにするために人間が考え出したルールだと思います。
神様が本当に存在するとして、我々に何ができるのでしょうか。
祈ることができると思います。祈りとはなんでしょうか。
おはようございます、こんにちわ、こんばんわ、いただきます、ごちそうさま、おやすみなさい。
これらの挨拶は、簡易的な祈りなのではないでしょうか。私は独りでいるときにこれらの挨拶を口には出しませんが、無意識に心で唱えているような気がします。
日々、死者のために黙祷はしませんが、もしかしたら眠りについてからのひととき、意識がなくなっているとき、死者たちと言葉のない会話をしているかもしれません。
眠っているとき、人間は神様にとって都合のよい触媒とされているかもしれません。だから人間は眠るのではなかろうか……。眠っているときも含め、意識には出てこない、無意識なところで、人間は神様に触れあっているような気がします。
僕の父はおととし、この世を去りました。
もしかしたら神様の一部になっているのかも、いや、きっとなっているような気がします。僕も神様になれるのでしょうか。それはわかりません。実はもうなっているのかもしれません。
眠りについて意識がなくなったころ、僕は神様のひとりとして地球を動かしている……とかだったら、ちょっと面白いなと思うのです。
僕の中の神様、おやすみなさい。