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スレッドNo.4522

虫たちとわたし  静間安夫

 小学生の頃のわたしは、ひとりっ子で身体も小さく運動も苦手、だから、なかなか野球やサッカーのチームに入れてもらえない。いきおい一人で遊ぶことが多くなる。そんなわたしの恰好の遊び相手が虫たちだった。もとより住んでいたのが都心に近い住宅地だったので、人気のクワガタやカブトムシが捕まるわけじゃない。それでも春から夏はセミやチョウ、秋になればバッタやキリギリスと結構いろいろな種類を見つけることができる。多少マニアックな虫まで含めれば(たとえばカミキリムシ)わたしの旺盛な食欲を満たすに十分だった。
 かと言って標本作りにはあまり興味がわかない。捕まえた虫たちを籠に入れ、動いている姿を眺める方が好きだった。しょっちゅう様々な虫を家の中に持ち込んでくるわたしを見て、ある夏の夕方、父が少し離れた大きな公園に連れて行ってくれた。
 入日に映える百日紅の木陰まで行くと、父はしゃがみ込み地面を一渡り眺め回した。そして辺りに落ちている小枝を拾い、わたしにもっと近づくように促した。父が示す枝の先をよく見ると地面に小さな穴が空いている。
「セミの幼虫は朝早く羽化するから、前の日の夕方になると、もう地面の近くまで這い上がってきてる。この穴は幼虫の通り道さ」
そう言って枝を穴の中に少しずつ差し込んでしばらく静かに揺すっていると、手応えがあったのか父はちょうど魚を釣るような按配で引き上げた。するとびっくりしたことに枝の先に幼虫がしがみついているではないか。今まで抜け殻でしか見たことのないわたしは有頂天になった。さっそく枝ごと家に持ち帰り、夜っぴて待ち構えていると、翌朝まだ暗いうちに羽化する有様を目の当たりにできた。そのときの、全身が真珠というか象牙細工というか、透き通るように真っ白な姿は今でもよく覚えている。やがて日が差し始める頃にはすっかりこげ茶色に変わり、アブラゼミだったことがわかったのである。
 また、秋にアゲハチョウの幼虫を取ってきてユズの葉を食べさせていたら、いつの間にか蛹になり、そのままわたしの部屋でひと冬越してチョウになったこともある。
 ともかくこんな具合で夢中になって虫たちを追っかけていたわたしだから、あのときカマキリと出くわしたときも、よく考えもせずに捕まえて籠に入れてしまったのだ。そいつはよく見かける茶色の細くて小さなカマキリではなく、鮮やかな黄緑をして、胴体もずっと太くて大きいハラビロカマキリという種類だった。図鑑でそれこそ何回も繰り返して見ていたからすぐにわかったのだ。戦利品を抱えてわたしは意気揚々と家に帰ったが、そのときになって初めて気がついた。何を餌にやったらいいのだろう?カマキリなんだから葉っぱもキュウリも食べるわけがない。迷ったわたしは事もあろうにショウリョウバッタを捕まえてきて、カマキリに与えてしまった。
 わたしにとってみればバッタも貴重な虫だったはずなのに、どうしてあのとき、あんな心ないことをしてしまったのか?カマキリを少しでも長く飼いたいと思ったのは確かだ。でもそれだけではない。カマキリは本当に生きた餌を食べるだろうか、という好奇心を満たそうとしたのだ。それは、翌朝、籠の中にカマキリしかおらず、バッタの姿が影も形もないのを確かめたときの行動を思い出せばわかる。わたしは父のところにすっ飛んでいって、昨日から今朝までの経過を得意気に話し「カマキリって本当にすごいね」と感に堪えない様子で付け加えたのだ。息子の思いがけない報告に対して、父はそれまでに見せたことのない険しい表情を浮かべ、厳しい口調で言った。
「カマキリとバッタが自然の中で偶然出会えば、カマキリはバッタを捕まえるだろう。だが、それは決して人間が勝手に仕組んでいいことじゃない。こんなことは二度とするな」
どうして叱られたのか、まだ少年だったわたしは、すぐにはわからなかった。ただ父に叱られたことが悲しくて、部屋に戻ると籠の蓋を開け、カマキリを窓の外に放り出してしまった。
 ところが、それから間もなく、父の言いたかったことが身に沁みてわかる、そんな出来事が起きたのである。
 父が勤め先からの帰り道、交差点を渡ろうとして信号無視のバイクに轢かれ、生死の境をさまよったのだ。夜も更けてから連絡を受け、母と病院にかけつけたわたしの心の内を想像してみてほしい。ついこの前、わたしが無力な小さな虫に対してしたことと、父を見舞った災難が関係ないとは、どうしても思えなかったのである。不安と後悔の念から泣きじゃくるわたしは、今度は母から
「男の子なんだから泣くのはおやめ!何が起こっても、しっかりしてなくちゃダメ!」
と叱られる始末だった。やむなくわたしは涙をぬぐい、ICUの前のベンチに座り込んだ。わずかの間、うとうととしてしまったが、そのとき夢に現れたのはあの羽化した直後の真珠色をしたセミだった。
 どうやらその姿は吉兆だったようだ。まんじりともしない一夜が明けて、父は意識を回復したのである。担当医の「もう安心です」という言葉を聞いて、安堵から思わず涙ぐむ母の傍らで、わたしは喜びとともに、重荷から解放されたような気分も味わっていた。ただ、そんな自分の気持ちをピッタリと表す言葉を当時はまだ知らなかったのである。
 そうした言葉に出会ったのはもっとずっと後、高校生になってからだ。イギリスの大劇作家の名セリフを集めた本を読んだとき、そこに次の二つのセリフが並べて書かれてあったのだ。
「雀一羽落ちるのにも神の摂理がある。覚悟が全てだ」
「セミやトンボがいたずら小僧の犠牲になるように、神々はわれら人間をもてあそぶ」
あの少年の日にわたしが抱いた気持ちを、これほどまでに的確に代弁してくれる言葉はないように思う。そうなのだ…好奇心は大切であり、それなくして人間の進歩はおぼつかないだろう。しかし、その人間の運命が、依然としてとてつもなく大きなものの手に委ねられていることを決して忘れてはならないのだ。
 ちなみに、大人になったあとも、わたしは相変わらず虫たちの後を追いかけている。ただ、捕まえることはしない。じっとシャッターチャンスを待って彼らの写真を撮影するのである。今は、オオスカシバというスズメガの一種を追いかけている。透き通った羽と黄緑色の胴が美しい、一見ハチドリのような虫である。ホバリングしながらストローを伸ばして花の蜜を吸っている姿を撮りたいのだ。皆さんも機会があったら是非見てほしい。

編集・削除(編集済: 2024年09月09日 22:22)

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