ペットボトル・ヒューマン 松本福広
職場のごみ箱に溢れそうな程に入っているペットボトル。
広い休憩所に三つ設置されているごみ箱は
どれも、もう一本も入んないよと言いたげなほど窮屈だと声をあげていた。
会社全体では人手不足で派遣の人や海外からの技能実習生を受け入れている状況で
私のいる部署では今日は二人休んでピリピリした雰囲気が漂っていた。
人が少ないはずなのに、ペットボトルのごみ箱は満載だ。
自分の中で一つの妄想が広がる。ペットボトルからヒトを作れたら。
ヒューマンリサイクル工場では以下の工程でペットボトルから人間をリサイクルしている。
ペットボトルをフレーク状に減量化する。
この際に不純物の混じり具合によって、その個体の能力が決まる。
より人間に近い固体になる。例えば、ジュースの色が混じるとマーブル模様の個体が生まれてしまう。
したがって、より純度が高いものが好ましい。
そのフレークを溶かし「カミサマ」と呼ばれる金型に圧力をかけながら流し込む。
冷却を施すことでヒトとしての形が作られる。
その後、魂という加熱をすることで成長という変形性が与えられる。
最後に自分が人間だと認識する軸を入れて出来上がる。
この画期的な発明によってヒトらしいもの……ペットボトル・ヒューマンの大量生産、大量消費が可能になった。
病気になれば、リサイクルされた別個体のパーツを交換すれば良い。
使えなくなってしまったペットボトル・ヒューマンは再度リサイクル工場へ。
イタリアにいる僕の父もこれにはニッコリ。僕のこめかみに容赦なく銃弾を放てるから。
ブラック企業の社長もニッコリ。ヒトは雨後の竹の子のように生えてくるから。
どこかの独裁者もニッコリ。血は流れないから。
増えつつづけるペットボトル・ヒューマン。
けれども、食糧問題は起こらない。彼らは結局はペットボトルだから。
温暖化が進み、水没していく都市を見ても、知らん顔。
彼らは浮いていくだけだから。海上都市に漂うペットボトル・ヒューマンたちは人間に無関心。
そんな無機質な妄想を中断する。
便利なものはたくさん使われ、その分たくさん捨てられる。
たくさん捨てるほど億劫になる仕分け作業。
未だにラベルを丁寧にはがして、中を洗って、キャップを外して、それぞれ決められたゴミ箱へ。
これだけ、進歩が見られる今でも、これらの作業は人間のでないとできないのだ。一つ一つの工程はロボットが出来るが、流れを自動化して、その普及レベルには至っていない。AIやロボットに換えられないこと。
人間らしさがある手作業というものは日常の簡単なことにあるのかもしれない。
発展が進めば可能になるかもしれないが、それは今すぐではない。
人間にできて、ペットボトル・ヒューマンには出来ないことはなんだろう?
意外と簡単なことなのかもしれない。
生活の隙間にあるかもしれない。
棄てられたペッドボトルから、こんな妄想を人間は描けるのだから。