☆2024年9月3日~2024年9月5日ご投稿分、評と感想です。 (青島江里)
☆2024年9月3日~2024年9月5日ご投稿分、評と感想です。
☆「幸せな爺さん」 森山 遼さん
昔話のような「じゃった」という語り口がユニーク。このまま朗読しても楽しめそうだなと思いました。日がな一日呆けた顔だが至って幸せな爺さん。その様子を見て悪魔が狙ってくる設定。どこか漫画っぽいところが親しみやすいと思いました。
一日中、呑気に幸せそうにしている爺さん。欲を持たそうと悪魔があれこれと狙いをかけてくるけれど、ある程度満足すると、すぐにもとの生活に戻ってゆく。作者さんは、このような描写を通じて、人間の幸せとは?という問題を読み手に投げかけていると感じさせてくれました。欲にまみれると人間が終わってしまったり、変わってしまうという恐怖は、欲を持たず、自らを飾らず、ありのままに健康に生きているのが一番だということや、それがあたりまえのように何も考えることなく、この爺さんのように暮らしていけることができたらなということも、伝えてくれているようにも思えました。
あとは、文字がらみで訂正した方がよいと思う点が三点ありました。
◆雨の日だ爺さんが→雨の日に爺さんが
◆するるのじゃった→するのじゃった
◆思わ宇→思わず
誰でも誤字などはあるのですが、短い一作品の中での三点は、少し多めだと思うので、間違いが云々というよりは、作品が完成したら一呼吸おいて読み返す癖をつけることをお勧めしたいです。リラックス、リラックス。
呑気でおだやかな雰囲気を表現できているところがよかったです。あとはもう一歩踏み込んで、欲にとらわれているとロクなことはないということや、欲を気にせず生きていけることの強さとは?というような、裏側に隠された意味を伝える、蜂の一刺し的なアイロニーがあったらいいのではないかと感じました。今回は佳作一歩手前を。
☆上書き 喜太郎さん
電車で二人旅ですか。ドラマのワンシーンのようで、とてもロマンチックな雰囲気です。好きなもの同士なら、疲れさえも幸せという感じが伝わってきます。
登場する彼女はとっても「僕」のことが好きなのだと思います。私だけの彼でいてほしい。私だけを見ていてほしい。そんな気持ちが他の人の数倍高い方なのだろうって思いました。
作中に何度も登場する「上書き」というキーワード。機械なら簡単に行えることですが、生身の心をすべて上から塗りかえるってことは、どこまで可能なのだろうか?ということを考えさせてくれました。テーマは「恋」についてということを考えると、さらなる難しさを感じさせられました。詩の内容が実話であっても物語的であっても、「彼と元カノとの思い出の場所を全部一緒に行って、思い出を塗りかえる」という行為は、なかなか特別な事例のように思えます。作中で気になったことはこの一点でした。読み手にいかに、この一点の中に引き込むことができるのかということが、この作品の注目すべき点であると、私は感じました。
特別な事例であるから、「上書き」というタイトルのためにつけられたエピソードだと誤解される可能性がないように、できる限り、特別なこととは感じさせないほどの自然な流れや表現が必要になってくると思いました。
最終連では、彼女に対する彼氏の気持ちがいっぱい溢れています。このままでもいいのですが、せっかくのロマンチックな雰囲気の電車の二人旅です。この場の空気を借りてこのようにしてみることも可能かと。
だからいくらでも上書きすれば良い
だってもう僕の心は
君への想いで上書きされているから
次々と音を立ててかわりゆく
車窓の外の
あかるく流れる景色のように
二人には、たくさん上書きをして、しあわせになってほしいなと。そのように思わせてくれる作品でした。今回は佳作一歩手前を。
☆太陽の匂い 理蝶さん
五感の中の視・聴・嗅(きゅう)・触の四つの感覚をふんだんに使って表現された作品。晴れの日に布団に顔をうずめるという行為。誰もが経験していそうな行為。気持ちのよさが読み手の方にも伝わってきました。
こちらの作品のすごいなと思う手法は、この心地を起点に、さもすれば生きづらく感じさえる世の中の仕組みや考え方について、少しずつスライドさせながら、言葉を難しくすることなく、ご自身の意見を展開させていっている点です。
どうしてこんな匂いがするかなんて
その仕組みなんて
多分知らない方がいい
日光のやさしい香水が
布団にのこったのだ
そう考える方が
世界はゆたかに
流れるはず
なんでもかんでも答えを求めがちな世間の空気を覆すような、優しい言葉たちと表現。
私たちにはもっとイマジネーションの世界が必要だと、そのような思いを感じました。
後に続く連には名言にもなりそうな言葉がありました。
いつだって
無知のもやの奥から
魔法はやってきて 世界に灯される
五感をもって
世界をめいっぱいかきあつめて
それに 意味を与えつづける
そんな せわしない定めならば
ただしさより うつくしさ
定理より 物語
僕はそれを信じたい
超大真面目に語ったその先には、今度はジョークを持って太陽の匂いについての強い愛情をしるしています。豊かな表現の数々。どこにでもあるシーンから広がってゆく世界がとても印象的な作品。秀作を。
☆マジックアワー 人と庸さん
初めてのお方ですね。お名前の読み方は「ひととよう」さんで、よろしいでしょうか。それでは作品の感想をお伝えしますね。
視点が面白いですね。人を中心にしてみている空ではなく、太陽を中心とした中に人がいるとしているところです。なので、雲が太陽を見つめているとなったり、一番星も見つめているとなったりしています。人から見て雲が流れているとか、一番星が光っているとならないのです。一番面白いと思ったところは、太陽が沈んでいく情景を儀式としてしまうところです。星も、雲も儀式に参加しているので、「私」も洗濯物を取り入れる手を止めて参加しようとする展開には驚かされました。と、おもいきや「夕餉の支度もまだ」と現実に引き戻されています。この場面は、クスッと笑いを運んでくれるみたいで、かえって、重くなりすぎなくていいなと思いました。
儀式とされている表現を関連づけるとすると、最終連の「その空は/あなただけのものなんだよ」は少し意味合いがずれてしまう気がしました。空の儀式→個々が参加する→空はみんなのものになってしまう気もするからです。「あなただけのもの」とするならば、逆の視点、人が空を見つめるパターンの方がしっくりといく気がします。ですが、せっかく面白い視点から書いてくださっているので、この場合は、みんなという意味も込めて「あまたの空/その空を/あなたも愛していいんだよ」のような感じにするといいかなと、個人的には思いました。
情景描写について「低いところにある黒い雲は/嵐からはぐれてきたんだろうか」には、作者さんの優しさを感じました。また、「一日の最後に/ありったけの光を発して/二つと同じ混ざりぐあいのない色彩を/それぞれの空に残して去っていく」には、絵を描くような光の色合いを感じさせてくれました。マジックアワー。魔法のような空の時間帯を独自の豊かな視点で表現してくださった作品だと思いました。
☆何もない日曜日 秋乃 夕陽さん
風に揺れる若葉の様子がきれいに描かれていますね。ただ揺れていると思うだけではなくて、討論しあっていると感じているところがユニークです。討論するというワードから、比較的、強い風が吹いているのだなと感じさせてくれるところもよかったです。
それとは正反対のような自分がいる窓の中。時だけが過ぎてゆくという表現から、何を持って生きていいのかを考えることもないまま、時に身をまかせるだけの虚しさが感じられました。
ひとさびしさからくる口さびしさか。パンをかじって飲み物を飲むという行為が、なにかをしなくてはという、無意識の焦りを感じさせてくれます。そして、窓の外の現実が絵画のようだとしています。ここで最終連についてなのですが、一連目は「討論」としているところから、「動」のイメージが浮かんできます。ですが、「絵画」としてしまうと、「静止」のイメージとなり、一連目とは食い違ってくるように思えます。「討論」の方を取るとしたら、「絵画」ではなく、「風の景色」など、動きを感じさせるワードにする方がよいと思いました。
また、最終連では眺めているだけで終わっているのですが、窓の外はどうであるということを述べていることに対して、自分はどうであるや、どう思うなどを表現する部分が、一行でもいいのである方が、個人的にはよかったかなと思いました。たとえば、最終連のあとに、「何も話せない私/何もない日曜日の私」のような表現をもってくれば、タイトルに、私の虚無という意味も持たせることもできるのかなって思いました。
窓の外と窓の中。2世界に切り分けて読み上げてゆくアプローチは面白いと思いました。今回は佳作半歩手前で。
☆あこがれ 埼玉のさっちゃんさん
切ない恋心と憧れに踏み出す一歩を表現しようとしてくれていますね。輪の中に入れないけれど思い切って手紙を渡したなんて、なんという勇気と行動力。恋の力の大きさを感じさせてもらえました。
全体的に見渡して感じたことは、同じようなテンポで詩が進んでいるので、恋のドキマギを考えると、心の上がり下がりを表現する助っ人として、この作品に限っては、体言止めや倒置法を用いるのもありなのかなと思いました。また、連分けすることで、沈黙や余韻をより多く醸し出すことができるかもとも思いました。あと、下記の一例の、一連目から三連目の「ただ」の繰り返しについては、つのる思いを強調したくて追加で使用しました。説明するとすごい量の文章になりそうなので、私ならこんな感じにするかなというものを書き綴ってみました。何かのお役に立つことができればさいわいです。
憧れを抱いていた
ただそれだけだった
貴方の姿
逢いにきてしまった
ただ声を聴きたくて
遠くから眺めている
ただそれだけでいい
でも駆け寄って話したい
私の心の中で巡っている
この二つの想い
じれったい自分がもどかしい
映画のような恋は夢のまた夢
手が届きそうで届かない
そんな距離感もいい
恋焦がれている人が多い
貴方の周り
その中に入りたくても入れない
けれど大きな進歩
一通の手紙を渡せた
これから先どうなるか分からない
モヤモヤしながら
期待している
来ることのない手紙に
こんな気持ちは久しぶりだ
秋風が少し薫る午後の一時
夏の終わりの空を眺めながら
頬杖をついている
最終連の、スマホでなんでも簡潔にすんでしまう時代には、少なくなっているシチュエーション、「待つ」という行為。そして、「頬杖」というワードが、登場人物さんの淡い期待と不安を健気に支えているようで、甘酸っぱいような切ないような気持ちになりました。今回は佳作二歩手前を。
☆本当のことって残酷 紫陽花さん
本当って言う言葉は、とっても立派な言葉のように思えますが、実は残酷な一面もある。反対に嘘って言う言葉は、残酷なように見えて、本当よりも優しいこともある。この作品を拝見して、自身のいろんなことが走馬灯のように巡りました。
紫陽花さんの作品は、暮らしていく中での光や影を独自の方法で投影してくれます。ある時は、リアルすぎるほどリアルに現実を描写し、ある時は、少し重すぎるかもと思えるテーマに童話チックな表現の魔法をかけて、近づきやすい空気を持つ作品に変えてしまいます。
今回の作品は、微妙にですが、そのどちらでもないような気がします。人間の光と影という心にスポットライトをあてて、どこにでもある言葉で、現実をしっかりと表現し、どこにでもある言葉で人間の憂いを和らげています。そこには、魔法の表現もなにもありません。よりひとはだに近い言葉で全部を表現してくれようとしています。
あかるい陽ざしの下は永遠の憧れだけど、はみだしてしまって、居心地が悪い。だけど、それだけがすべてじゃなくて、陽ざしのない夜にだって、明るい光は存在するんだよ。
人間の世界には、本当と嘘のという言葉があるけど、本当が優しいとは限らないよ。嘘が優しい時だってあるんだよ。
そんな思いが作中のあちらこちらに感じられて、じわりとくるものがありました。
作品のラストの「嘘だから 全部嘘だからという/あの少し冷静な声だけを待っていた」
この一行は、タイトルに込められたすべてを物語っていると思いました。人生の光と影の時間。そして本当と嘘という言葉について。この二つのテーマをうまく織り合わせて、人生について考えさせてくれる時間をいただける作品に。秀作を。
☆So long 津田古星さん
スマホが便利すぎて、人と人の連絡のやり取りは、ほぼ電子メールが主体の時代となりました。手紙と違って即日到着であり、二十四時間いつでも投稿OKの世界。とても便利です。その前に中心となっていた手紙。ある程度の日数はかかりますし、郵便代の値上げもあり、電子メールをひっくり返すことは難しいかと思われます。しかしながら、作者さんの作品を拝見していると、効率ばかり考えている人間ということについて気づかされることが多々ありました。電子メールは便利ということについて長けていますが、手紙の「心」についての部分には、まだまだ追いつくことは難しいのでは?そう思いました。手紙もはがきも自然由来のもの。紙でできています。手にするとなにかしら、書き手の分身のようなものも感じられます。
二連目のアドレス帳を持って海を渡ったという表現の仕方がひとはだの温みを感じさせてくれます。そして現地で絵はがきを買い、そのアドレス帳をみながら、気持ちを文字にしている場面についての表現も、作者さんの、相手の文字を見て思い描くむくむくと沸き上がるような真っ白な想像力が感じられて素敵でした。
三連目の「エアメイル」は通常なら「エアメール」ですね。特に意味がなければ後の方がよいと思います。今まで絵はがきだったけれど、封書になったという表現は、はがきでは書き込み切れない、或いは、誰の目にも内容には触れられず、二人の間だけでやりとりしたい、日常の様々な感情が、その中に溢れているように思わせてくれました。日本に帰って働くという手紙の「また会おうね!」の意味の言葉。ペンの文字としるされたところから、込められた人の優しい文字のかたちが伝わってきました。
終盤のだんだん疎遠になっていくシーンは、とても切ないものを感じました。「私への返事が届かなくなる」……手紙しかできない切ない表現。すぐにくる電子メールとは違って、もしかしたら明日?って、幾日も待ってしまいそうだから。そして、「あの夏」を振り返る「私」の、予想外の彼を思うおだやかな気持ち。すぐに結果がわかる電子メールにはない、一度に一気に傷つけない時間の満ち引きを感じさせてくれました。そしてラストの「信じていいんだよ」の言葉。それは残された手紙の中の、世界に一つだけの、やわらかな彼の筆跡や筆圧がそうさせているのだろうと思わせてくれました。ものがなしいものを感じさせつつも、手書きの世界の独特な美しさを感じさせてくれる作品。佳作を。
☆スマホの電波事情 司 龍之介さん
スマホは、本当に場所によってうまくつながらないところがありますよね。状況も考えず、何か急ぎの際には、「もしかして、私のスマホ壊れた?」なんて焦ったこともありますし。
Wi-Fiがなくて低速になってしまうことも、最初の頃はわからなくてオタオタしたこともありましたね。そういえば(笑)
スマホの困ったアルアルを、楽しく拝見させていただいたのはよかったのですが、読み終えて全体を見渡してみると、七連目の「これを」をうけるまでに六連を要していることに気が付きました。こちらは前置きが長いように思うので、詳しく書いてくださるのはいいのですが、省略できそうなものが、まだまだありそうなので、整理してみる方がよいかなと思いました。
あと、細かい点をお伝えしますと、五連目の空白プラス「でも」なのですが、改行して「でも」もしくは「けれど」にした方が自然かなって思いました。そして「動画再会」についてなのですが、意味があって故意にしているのでなければ、「動画再生」もしくは「動画再開」にする方がこちらも自然なのかなって思いました。
作品のメインテーマになる所作は、低速になって動かなくなった動画を、あちらこちら、高さを変えて、動いたり停まったりする様子を楽しめること。それを詩にすることができるって面白いなって感じたことなのかと思いました。八連目なのですが、この詩で読み手に感じてもらいたいことを自らネタあかししているようになってしまっているので、できれば、ストレートに書いてしまわず、ある程度伏せた表現にすれば、読み手の詩を味わう楽しみも倍増すると思いました。
最終連の、動いたり、停まったりすることが面白いって感覚、些細なことでも楽しいものは楽しいから、人が何て言おうが僕は楽しむよっていう気持ちには魅かれるものがありました。このような感覚を受け入れる器の広さって、詩には必要なのだろうなぁと感じさせてくれました。そんな作品、今回は佳作二歩手前を。
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連日、まだ真夏のような温度が続いています。信じられないです。
もう一度、夏休みの気温に戻ったかのような空気の流れです。
まだまだ熱中症にお気をつけください。
みなさま、今日も一日、おつかれさまです。