三浦志郎様、「水浴び」に関する批評と感想をありがとうございました。 秋乃 夕陽
三浦志郎様、「水浴び」に関する批評と感想をありがとうございました。
この詩に出てくる農園は「市民農園」ではなく、「農協主催のレクリエーション農園」と書かれている通り、農協、つまり農業従事者(農民や農業を営む法人)の協同組合が主催する農協(JA)銀行の「年金受給者」向けの農園で、職員も市の職員ではなく、農協の職員なんですよ。
私の母がこのイベントの参加者で私もその手伝いでちょこちょこ畑の世話をしに行っています。
「職員や参加者が作業をして、殊に職員さんは水撒きを通り越して、水浴びといった感じ」なのはその通りですね。
悠々自適な客とは裏腹に職員は客の農園に足を運んで気を配りながら世話をしなくてはならず、水まで被るといった苦労を「水浴び」の如く「濡れて大変」な様を第三者的な視点で描きました。
つまり、私も客の一人な訳ですが、客観的に見て「唐突に現れた客」として批判的に描いている訳です。
その時に見た職員の水浸しの姿が忘れられず、詩に描きたいと思いました。
もっと構想を膨らませれば良かったのですが、上に挙げたことを書きたくて正直な話、後のことはどうでも良かったのです。
なにとぞご容赦の程よろしくお願いいたします。