MENU
939,900

スレッドNo.4633

肥前山口  上田一眞

こころの闇に棲む
黒い犬
〈うつ〉という名の狂犬に
追いたてられ
列車に飛び乗った

仕事を放り出し
家庭を顧みず 独りよがりな
各駅停車の鉄道の旅
旅の途中
千切れたこころを掻き集めようと
藻掻きに藻掻く

医者には止められているが
もうスコッチを一本あけてしまった

 ごとん
 ごとん
 ごとん 

レールが軋み
うとうとしていると
列車が止まる

 肥前山口   *1

ああ ここは…
脳髄はたちまち九歳のわらべに
立ち戻る



年一回の家族旅行
今年は九州だ
博多発長崎行きの急行列車 
四人で対面式の席に座る
床に新聞紙を引いてもらうと

 ここ座れるね
 みいちゃんの席よ

幼い妹は無邪気にはしゃぐ
到着する前の車内案内

 次は 肥前山口〜

聞き慣れない九州訛が色濃く
響く
ここは父の恩師が住む街

師を訪ねる旅に
父が笑い
母が微笑む
あり余る幸せの旅

そして 僕は
燕舞う
豊饒の大地
緑の佐賀平野を満喫する



僕には温かい寝床も
身を包む団欒もない 
孤独の花を持つ左手が微かに震える

崩れ落ちた追憶
せつなさがただよい
帰ることのできない過去に
おぼろな自分が見える

なぜ肥前山口で下車?
ただ 佐賀平野のクリークが見たくなった
親子四人で訪れた
和蘭芥子が咲き
小鮒泳ぐ里
幸せを感得できた大地

わがこころの狂い犬に怯えるいま
緑豊かな自然と
確かな幸せの記憶が
僅かな慰安を与える

南への旅路に
死への願望が霧消したとき
僕は思わず落涙した




*1 肥前山口駅 現江北駅(佐賀県)

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top