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スレッドNo.4660

◎2024年10月1日~10月3日ご投稿分、評と感想です。  (青島江里)

2024年10月1日~10月3日ご投稿分、評と感想です。


☆「しんせきじゅうのおねえちゃんたち」森山 遼さん

にぎやかな様子が伝わってきます。人と人が仲良く暮らして笑いあえるって、簡単なようで実は難しかったりするのではないかと思ったりするのです。朝から晩までスマホとイヤホンに繋がっている最近の社会の様子をみていると。なので、このような詩の風景は貴重な風景のように思えました。

たくさん人が集まっているのですが、「」の会話がひとつもなしで、強力なにぎやかさを表せるっていうところがすごいです。大勢の人の中の中心に持ってきた「はくしょくれぐほん」が威力を発揮していますね。それに「はく・しょく・れぐ・ほん」って区切りながら力を込めて読んだりすると、たんたんたんという響きも面白く、朗読にもいいかもしれないですね。ただひとつ、白色レグホンは、鶏の種類だったりしますが、日頃は聞き慣れていない方も多いので、詩の欄外に白色レグホンとは何かという注記をいれるのもよいかもしれないですね。メインになっているワードが何かわからないままだと、楽しめる比率が減ってしまうので。もうひとつは「鳥生のたっちゃん」です。おそらく鶏肉店の名前だと思うのですが、こちらも一瞬、どういうことを言っているのかなと考えてしまったので、鳥生商店など、言い方を変えてみたり、パッと見てわかりやすくするのもよいかと思いました。

白色レグホンがみんなの頭にとまるところからのおおわらい、からの次のワード、「あかるいあおぞら」がよいですね。青空は本来、爽快で明るいものですが、あえて「あかるい」を重ねることでより爽快な明るさを感じることができました。このような言葉の扱いでさらに良かったなぁと思ったのは「しんせきじゅうのおねえちゃんたち」です。「じゅう」に「たち」ですよぉ。「しんせきのおねえちゃんたち」と比べてみると、全く人のいる感じが変わってきますよね。最終行の「とってもしあわせなしんせきじゅうのおねえちゃんたち」ですが、あえて改行し「とってもしあわせな/しんせきじゅうのおねえちゃんたち」として、おねえちゃんたちの様子を強調してみるのもよいかもしれませんね。あふれんばかりの集う人間の明るさと和の感じが伝わってくる作品。今回は佳作半歩手前を。



☆あの花の名前  喜太郎さん

その時は、そんなに大切な思い出になるなんて思わなかったということに、生きていると遭遇してしまうことがあります。戻りたいと思っても戻れない時間。とてつもなく寂しい気持ちになるでしょう。この作品はこのような戻れない時間に対しての切なさを、飾り立てたり、取り立てて美化することもなく、ただただありのままに、呟くように描かれています。そんなところが、より一層の現実という、今ある姿や場所を感じさせるのだと思いました。

描かれていることは、いつもの道を散歩して、一輪の花を見つけて好きな人を思い出すという内容になっています。同じ場所で、同じ花を見つけるということに、一連の季節の流れを感じさせます。秋風と青空というワードは、季節感を表現する秋の言葉のワンセットとしてもとらえられますが、哀愁と輝きという明と暗という対比的なものとしても捉えることが可能で、悲しみや寂しさという枠組みを浮かび上がらせる役目も果たしていると思いました。

この作品で、一番印象深かかったのは、以下です。

一人歩く公園 立ち止まる僕
しゃがみ込む 同じあの場所
花は咲いてる 可愛い花だよ

一人になっても同じように季節は流れてゆくという時間の厳しさ。好きな子はいなくてなっても、同じように花を見て、いなくなった子に教えてあげるように語りかけてあげるという優しさ。そこに輪をかけて、好きな子が可愛いといった花の名前がわからないということに続いてゆくという流れがなんともいえない現実の辛さを感じさせるのです。

三連目。「隣に無い」のあとの二行「寂しさが辛い~一人だけの時」は、説明せずとも充分伝わると思います。省略されたほうが、更に寂しさを伝えられるようにも思えました。

最終連の涙が零れないように上を向いた時に見た自然の美しさ。鱗雲は秋特有の上空の高いところに発生する雲。季節感を感じさせてくれると同時に、いくら背伸びしても届かないところにいる、広々とした青空の上のどこかにいるあの子を彷彿させて、印象深いラストでした。今回はふんわり甘めの佳作を。



☆ぼくよりおしゃべりなしっぽ  松本福広さん

読み始めは、しっぽという言葉が使われているということで、家族の猫や犬が浮かんでくるのですが、最終連の「てをあらっておいで」で、人間の子供かぁって、なるところが面白いですね。しっぽの題材って、個人的な感覚になりますが、かなり詩と相性がいいのではないかと思うところがあります。実際、私自身の個人の詩のノートや、こちらの新作紹介欄に提出したものにも、いくつか「しっぽ」を扱った作品があるなぁと、ふと、思ったりしました。

人間には尾てい骨というものがあり、それはしっぽの名残のようなものといわれたりもしますから、人間としっぽって、無関係な世界ではないですよね。むしろ、見えないけど見えているものを例えること自体がしっぽに繋がっていくと思うと、かなり親密な間柄になるかもしれないです。一、二連目は、その見えない心の感覚を、しっぽを通じてうまく描いていらっしゃるなぁって思いました。

二連目から三連目にかけてのしっぽ関係の言葉遊びも楽しい雰囲気を味合わせてもらいましたし、言葉遊びの連は、川崎洋さんの、たんぽぽの単語を色々な名前に変えてゆく、「ぽぽんた」「ぽたぽん」で有名な「たんぽぽ」を連想させてくれました。連想させてくれるだけではなく、この言葉遊びが詩の中で良い効果をあげているのです。それは何か?「ひとりでおるすばん」という設定です。寂しさを紛らわすためのひとつとも受け取ることができるからです。

最終連ではおかあさんの帰宅でほっとしていますね。こちらでも見えないしっぽのシーンが効果を発揮しています。「しっぽがすこしゆれていた」こちらの表現では、帰ってきてくれてホッとして嬉しくなった気持ち。ちょっと寂しかったという気持ちをおかあさんにみられたくないという二つの気持ちを感じさせてもらえました。びゅんびゅんとしっぽを振って飛びつく様子が犬だとしたら、「ぼく」は猫に近い感じの性格なのかなという想像も楽しかったりしました。しっぽという言葉からのアプローチが個性的な作品ですが、突飛でなく、人にも生き物にも重なる心と姿を、やわらかい言葉でつないでくれました。佳作を。



☆執着  津田古星さん

時間がたくさん流れて呼び名を変える時、時代という大きなまとまりに変わる時、その時にはすぐ届きそうだったものが、遠いものに感じてしまうことがある……作品を拝見し、そのような積み重ねられた心のひだを感じました。

時間が経って残ったものを濾紙やろ過、学校に行っていた頃にしかできない理科の実験にたとえているところが、青春時代に反映していて、ある意味、大きな一つの枠を作り上げているように思いました。

本当は機会があれば、もっと若い頃に会いたかったかもしれない。けれど、仮にあったとしても、変に恋の方向を意識してしまったり、何かの拍子に縁がとぎれてしまうかもしれないという不安も感じられました。会うまでも行かなくともギリギリの線でいいから交流したいという気持ちが、手紙やメールを使用するというやりとりの描写から伝わってきました。

最終的には自分の認めたくないものに突き当たったとなっていて、その表現からは時の流れの壁のような高さや分厚いものを感じさせられました。会うということを現実にしたいけれど、淡い恋ではなく欲のようなものが残るようになったのだというところには、虚しさという言葉が浮かんできました。

タイトルの「執着」ですが、少しイガイガがあるようなイメージ。こだわりの強さがアピールされている方向にかたよりぎみにも感じられるので、あと少しやわらかめの言葉を選んでみるのもよいかなと思いました。恋のようで恋でないもの。或いは恋と呼びたいけれど、恋と呼べないもの。思い出を大切にするあまり、壊したくないから自分に理由をつくって会わないと言い聞かせる気持ち等、複雑で繊細な心の動きが描かれている作品だと思いました。今回はふんわり甘めの佳作を。



☆あずさ号の恐竜  温泉郷さん

「出張の帰りの電車のから外を見ていると、恐竜の親子のように見える樹木を見つけた」という内容なのですが、詩って面白いよなぁって思わせてくれたのは、作者の想像力です。見たままの現状を書くと先頭の文章になってしまい、はい完結!となるところですが、ここは作者の想像力が入るだけで、あら、あら、どんどん様子が変わってきてしまいますね。

想像したことだけを書くと、こんな想像をしたのかと思っただけになったり、一歩間違えば、とってつけたような物語になってしまうところですが、こちらではまた、作者の描写するお力をみせていただきました。本当に自然な流れになっています。こちらは、恐竜に見えたという想像に車窓のスピードという現実をうまく混ぜ合わせたところにあるのだと思います。

ああ ごめんね
僕が見てしまったら
親子は動かなくなった

おまけに、作者のこんな温和な気遣いまであったり。

なんだかんだ、身近にある自然っていいよねっていう気持ちが、読み手にも伝わってきました。大人社会。仕事で疲れて帰る途中で、自然のゆったりした風景がもたらしてくれたものを、すんなりと受け止めることができた作者の、子供のような純粋な心を感じさせてもらえました。それからもうひとつ。ゆうるりとした詩の流れの中で、人間の自然破壊から逃れてひっそりと生きている命についても、考えさせてもらえました。最終行の「ただ 願うだけだ」という声が、うっすらと、やまびこのように響いてくるようにも思えました。佳作を。



☆ラブレター  愛繕夢久さん

登場人物の「僕」が愛する「あなた」…
僕が愛するあなたは、とても人柄の良い方なのだということがよく伝わってきました。しらとりと耳にすると、色白ですらっとした清楚な女性という見た目から入ってしまいそうですが、作者は伝えてくれました。日頃の生きる姿勢にひかれましたと。あなたはどういう人なのかを、しらとりの生活の様子に重ねて描こうとしてくれています。しらとりのふだんの生活の様子もしっかりと描くことができていてわかりやすかったです。

お話は変わりますが、後半の部分に、ひとつ、もったいないなぁ思うところがありました。

しらとりがみずかきのついたあしを
からだのしたでひっしにかいておよいでいる
あなたのえがおはそんなすがたににている

タイトルは「ラブレター」ということで、愛情を誰かに伝えるという意味が多大に含まれます。個人的に想像してみたのですが、仮に、とりが、みずかきのついた足を、水の下でかいて泳いでいるような必死さを感じさせない笑顔が好きです。というようなことを言われたとしたら、素直によろこべるかなぁと……他の行の、あなたに対する愛情の表現もきれいだし、しらとりの生活に対する気持ちの表現もきれい。だけど、ここだけひっかかってしまいました。どうしてだろうと考えてみた結果、「水かきのついた足を必死で」という言葉と「あなたのえがお」という言葉を繋ぐ距離が近すぎるだけなのだと思いました。或いは直接繋げることで悪影響を及ぼしているからではないのだろうかとも思いました。

けっしてらくではないしごとを
ほほえみながらこなしていくあなたは
みなもをおだやかにすすむしらとりのようだ

一連目にこのようなメインになるとても素敵な言葉があります。なので、この言葉が活かされるような詩の位置を考えてみてもいいのかなと思いました。

「しらとりのようなあなたがすきです」⇒しらとりの暮らしぶりを思う僕の様子⇒メインの言葉⇒「しらとりのようなあなたがすきです」など、水かきのついた足がクローズアップされないような位置を考えるとよいかと思いました。他にもいろんなパターンが見つかりそうです。

人のしたがらない楽ではない仕事を率先して、しかもほほえみながらこなしていける人をみつけることができたなんて、僕の目もうつくしいのだろうなと感じさせてくれます。純白感広がるきれいな作品だと思いました。



☆小鳥はいつしか羽ばたいて  ふわり座さん

巣から落ちた小鳥は本当にかわいそうです。見上げても巣に帰ることはできないですよね。なんらかの力を借りずには。

三連目。小鳥のようでという並列の後に、子猫が出てきますが、後の連でも登場しませんし、タイトル自体も小鳥メインなので、省略された方がいいかなと思いました。

一連目では世の中からの挫折のようなたとえが並べられていく中、五連目では、変わった展開がなされ、遠い日の約束、君を迎えに行くという約束になっています。こちらの勝負という内容がどのようなものかがはっきりしない分の整理や補足が必要な気がしました。君を迎えに行く⇒お互いに愛し合っている関係なのかと思えば、どちらかが先に本気で愛してしまったら負けという、ゲームのような空気感もあり、ややミステリーです。二人の間柄がどのようなものか、わかりやすくしてもらえると、読み込みやすくなると思いました。この部分がはっきりすると、「僕は負けた」からの後の言葉は地続きになっているので、一気にこの詩の世界の内容についてひらけることができると思いました。

ラストの「ああ カラスがうるさいなあ」の着地は面白かったです。せっかく鷹になりたいっていうまで気持ちは上がっていたのに、横から入ってきたカラスの声に気分が萎えてしまったのか、一気に現実にさらされてしまってため息をつきたくなってしまったのか。「なかなか現実は自分思い通りにいかないんですよ。みなさん、そうは思いませんか?」などという裏メッセージを感じさせる部分がありました。予想外の着地。とてもユニークでした。負けっぱなしではいられないという強い気持ちと、現実に萎えてしまいそうな気持ちと。人間っぽい空気感が漂う作品。今回は佳作二歩手前で。



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酷暑もようやくやわらぎの兆し。急に朝晩、肌寒さを感じることも。
秋ですね。先々の小さい秋をみつけたいですね。

みなさま、今日も一日おつかれさまでした。

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