感想と評 10/4~10/7 ご投稿分 三浦志郎 10/13
1 上田一眞さん 「肥前山口」 10/5
肥前山口駅は現在は江北駅に改称(2022年 9月)されていますが、これは過去の詩ですから、当然山口駅でいいわけですね。詩は2つの「*」を設けて、いわば3章に分かれます。
1章と3章はーヘンな言い方ですが―過去の中の現在。2章のみが、さらに遡った子ども時代の過去。この明快な区分けはこの詩にとってけっこう大事で、物語がくっきりと立ってくる。読み手にも親切。1章では、多分に衝動的ではありますが、旅の動機が語られます。辛さを癒す旅の始まりです。駅名を聞いて、たちまち蘇る幼い頃の想い出です。2章ではそれらが宝物だったように語られています。みいちゃんも登場です(微笑)。3章は再び”過去の今”に戻って。1章と違うのは、心がやや上向くこと。2章によって癒され勇気づけられたのでしょう。過去という時間の最も意義深いものが手助けしてくれた、と言うべきでしょう。終わり2連にそれが表れています。2章~3章に共通するものがあって、佐賀平野の自然の良さと愛着です。わずかで地味ですが、この詩にいい味を与えています。その代表と目されるのが「クリーク」と「和蘭芥子」でしょうか。前者は佐賀(筑紫)平野にとって特別のもののようです。後者はオランダガラシ、いわゆるクレソンのことだそうです。
前回に比べ、良いと思います。そもそも前作は本作とは方向性が違うものですが、僕は本作のほうにより詩性を感じました。心の状態、その変遷が活写されているからです。そこにロマンを感じるからです。これは正に佳作です。
アフターアワーズ。
僕は佐賀は殆ど知らず、とっさに思い浮かんだ言葉は「鍋島~江藤新平」くらいでした(汗)。
「和蘭芥子」―(なんだ、クレソンのことか)僕はこの野菜がパセリよりも好きです。だいいち、この野菜、名前といい姿といい、ロマンがありますよ!付け合わせだけではもったいない。おひたし、あえもの、主役的にしたサラダもけっこう“いける”のですね。
2 荒木章太郎さん 「卑怯者のうた」 10/5
前回は「ちょっと地味で損した」みたいなことを書いた記憶があるのですが、今回はどうでしょうか?今回はそんなことはありません。むしろインパクトを感じました。ただ、その要因がタイトル「卑怯者」という、やや負の心情から来ている点です。もちろんそれは評価の軸を左右するものではありません。生身の人間ですから、そういうこともある。立派に詩になるものです。では内容を見てみましょう。まず「君と俺」の人間関係があります。そして俺は飛行機に乗って何処か旅に出るらしい。
そして、それは君から離れていくこと。そして考えてみれば、今までも心が離れていた。疎遠だったのかもしれない。どうやら親子間の深刻な何からしい。そのことで俺は忸怩たる思いである。しかし、離れているからこそ見えてくるものも、あるいはあるのかもしれない、そんな風に感じています。そんな心理作用が忸怩から新たな思考へと変容することもあるでしょう。すなわち最終連です。細かい事情はよくわかりませんが、もちろんそこまで書く必要はありません。重い心からの重い決断。それが伝わればいい。もう一度インパクトに話を戻すと、この詩はタイトルと共に詩行全体の心の動きも、それになっているのが知れるのです。佳作を。
3 秋乃 夕陽さん 「充足」 10/5
佳作です。上田さんと同様、前作よりも凄くいいです。前回は、「トピックが欲しい、具体的な作物を入れるなどして、肉付けをしましょう」みたいなことを書いたのですが、全て解消!自己の気分も描かれました。それでいて作物の状態、技術にも触れられていますよね。そうこなくっちゃ!
中間部に野菜名を入れたのも利いています。僕は固有名詞を適宜使うのは、詩を活性化しアクセントになり面白くする、と思っています。人物とかは難しいところもありますが、物品は問題なしです。「柔らかな可愛い手のような」が凄く可愛い。作物に励まされて一生懸命やってるうちに、ついつい時間を忘れた。丹精すればするほど、結果(実り、発育)が返ってくる。結果としてのこのタイトル。喜びに溢れています。ここには趣味共通の醍醐味が表されています。このフィーリング持続を。
アフターアワーズ。
小松菜は東京都がけっこうな産地だったりします(ミョウガもそうみたい)。それもそのはず、江戸時代の東京小松川が発祥だとか。丈夫で育てやすいのでしょう。ほうれん草に比べ地味めだけど、栄養満点。触ってみても頼もしげ。関東では正月のお雑煮には必須。もっと使われていい野菜ですね。
4 じじいじじいさん 「一粒目 二粒目」 10/7
以前、「ニッチ」(物事・対象の隙間)という言葉を書いたことがありましたが、この詩はじじいじじいさんの中で大人詩~子ども詩の中間(隙間)をカバー(あるいは狙った?)したものとして評価できます。思春期にある心の動きや事情や場面の詳細が上手く描けていると思います。
前半の「告白したい~恥ずかしい」と後半の「悲しい~嬉しい」の対比が骨格を成すのは悪くない構成ですね。若さらしい心の動きを捉えています。この詩の際立ったところは、涙の粒のところです。1粒目(悲し涙)。2粒目(嬉し涙)。この変化の描き方にあります。そしてもっと言うと、タイトルです。「彼~」とか「好き~」みたいなものにせず、“そっち”へ持って行った。これはセンスとしか言いようがないです。よくつけました。ところで、1篇の中でたちまち大願成就するのが、ちょっと予定調和に過ぎて”いかにも”感がしないでもないですが、まあ、いいでしょう。長期的に観ての、あくまで参考ですが、
1作……「あの人が好き!」の内面だけで止める。
2作……いろいろな経緯やモーションで止める。
3作……努力の甲斐あって、「俺も前から好きだよ」獲得のフィナーレ。
まあ、こんな風に書くと3作は書けるわけです。一粒で三度おいしい!? これだと連作風になってしまいますが、そんな構成的エッセンスを他作で活かしてもらうといいと思います。
しかし今回はそれはそれ、これはこれで―。要は今後、急ぎ過ぎず、あまり詰め込まないことでしょうか?本作は冒頭「ニッチ」カバーの性格を重んじて甘め佳作です。
5 静間安夫さん 「再審」 10/7
「袴田氏・死刑から無罪確定」に影響を受けたものでしょうか。そういう製作動機は大変重要なことだと考えられます。「水滴~ポタッ ポタッ」が重く不気味に響き、この作品の通奏低音となって背景を作っています。雰囲気にぴったりです。その場の描写は非常に詳細、克明に書き込まれています。実際こんな感じなのでしょう。教誨師は囚人への集合教誨もやるようですが、死刑囚には普段から最期まで専属につくようです。このあたりよく調べていると思います。リアルと思って非常にシリアスに読んできましたが、「閻魔大王」が出て来るあたりで、(ああ、これは……)という気持ちになりますね。このあたりが、この詩の特性であり、ちょっと限界といった言葉もちらついてきます。教誨師は良い方向のように詭弁を弄しますが、”幻想ストーリーの中のリアル”で言うなら、この人は死刑になる運命なわけです。その寸前で夢から覚めるといった設定でしょう。いぜん「水滴~ポタッ ポタッ」は継続され、脇役ながらこの詩を最後まで世話するかのようです。夢と現(うつつ)を結ぶ秘密の通り道かもしれません。全体のストーリーの流れとオチは、ちょっと定まったコースといった気はします。佳作一歩前で。
アフターアワーズ。
東京裁判でのA級戦犯に付き添った花山信勝(しんしょう)という教誨師は特に有名でした。
評のおわりに。
急に寒くなった気がしてます。なるほど、10月もすでに半ば。季節の境目は人々の服装ウオッチングがおもしろい。
すでに厚手の人、いまだ半袖Tシャツ人(若者!)、さまざま。ちょうどいいのが僕の服装!(笑) では、また。