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スレッドNo.4781

感想と評 11/1~11/4 ご投稿分 三浦志郎 11/10

1 荒木章太郎さん 「因果応報」 11/1

この詩はひと言で言うと、「父と子の物語」。その共鳴と確執のことではないか、とそんな気がしています。そこに人生や社会といった付帯事項が合わされて、その付帯がけっこうこの詩を意味不明にしていると思います。どこかに逆説や不条理といった概念があるように思います。あとは、僕は全くわかりませんでした。ただ、わからないから、むしろあえて表面的に読んで文字の感触がおもしろいということは言えると思います。特に終連は現代詩的詩行としておもしろいです。タイトルと絡んで最も逆説性を感じさせる部分です。意味は問わない。抽象的なフィーリングを味わう、そこから読み手なりのエッセンスを抽出する、そんなタイプの詩でしょう。タイプで考えると、なかなか興味深い詩ではあるのです。 評価は僕の力量外になります。


2 上田一眞さん 「蟹と燈台」 11/2

砂蟹の動画があったので観てみましたが、この詩の気分がだいぶ理解できました。角島灯台も夢崎も大変美しく雄大で、やや奇妙な風景でありました。作風としては上田さんにとって、ある意味、新機軸になるでしょう。童話風な趣があります。思考導入の為の具体性―つまり場面―は大変活きていると思います。蟹と燈台。同じ海に生きながら、この大小の妙!目を惹きますね。互いに大小・境遇も違うが、生きてゆく姿勢は同じであると説く。すなわち、「どんな世界にいても、主体はあなたなのだ」ということ。禅語の「随所に主となれ」が思い出されます。事の本質はこういうことでしょう。万人への励ましにもなります。引用詩もシンプルにして爽やか。この詩に合っている。チョイスのセンスでしょう。文中「自分が見ているからこそ世界はあるんだ」がデカルトの言葉に繋がりそうです。ただ僕の趣味としては、詩文が柔らかく素朴に来ているので、デカルトはやや硬いかな?といった気はしてます。僕自身は少し違った着地点に柔らかく降りた、と思います。いっぽう作者尊重で、もちろんこれでもいいわけです。佳作半歩前で。


3 秋乃 夕陽さん 「COPY」 11/3

これはちょっと辛すぎる詩ですねえ。 ここまで来ると、フィクションという気はします。
「内憂外患」という、いわば政治用語があるのですが、用途としては、この詩には場違いながら、
喩えのエッセンスは近いので使います。

「職場でのパワハラ→休職」=「外患」。  
「母との確執・弟の不行跡(行為が良くないさま)・母にそっくり」ー=「内憂」。

ただし、この詩の主な舞台は後者になっています。後者が主、前者は従。
母と上手くいってない状況で「似ている」と言われるのは、まあ、本人おもしろくないでしょうな。
ちょっと”絵に描いたような“辛さが伝わる詩です。ところで、最終連ですが、(……!?)です。
唐突にして設置真意不明。自己への隠喩感覚?タイトルと呼応しているようですが、ここだけはどう読んでも全文と似合わない気がします。終連のみ再考をお願いします。佳作1.5歩前で。


4 静間安夫さん 「哲学」 11/4

長いですが、面白く一気に読めました。これを読んで同感する部分は多く、良い意味で得体の知れない学問、しかし全ての事象、出来事、学問に基礎を与え、ヒントを与えているものだと認識しました。「自明な対象がない」「何を問うてもよい」「質問された人の数だけ」「一致した答えの出ない」「まるごと~的外れだ」「仮借ない問いの対象」「新たな可能性をひらく」―抜き書きしました。
このあたりに、この詩の哲学洞察への骨子があるでしょう。最も凄いのは哲学を人物にしてしまう静間さんの力わざかもしれません。ある意味、最も難しい学問に果敢に挑戦されたその志、諒と致しましょう。考え、考え、しながら創った消息が、その行間から伝わってくるのがよくわかります。詩に触れたくだりでは、その気高い部分をよく抽出されたと感じています。甘め佳作を。

アフターアワーズ。
そうですね。「詩と哲学」は時々、話題に上ります。確かに近い部分がありますね。
僕としては―逃げてるように聞こえるでしょうけど―半ば賛成して、半ば反対したいです。
例えば、レコードはA面、B面で1枚です。同時に、A・Bの分け隔てはありません。
時に応じて、全部聴く、Aだけ聴く時あり、Bだけ聴く時あり。


5 司 龍之介さん 「明日は来るかしら」 11/4

冒頭佳作。ヘンな言い方ですが”切なさがいい詩になっている“とでも言いましょうか。男の司さんが徹底して女性仮託で書いたのも妙味のひとつ。僕がウダウダ書く必要なし!
ただ一つだけ書くと、終連です。2行目までと、最終句、OK。それ以外の中間部、“わずかに”念の入れすぎ。“わずかに”くどい。趣味のレベルで気にする人はいるかもしれません。作者しだいで、もちろんこれでもOKです。

アフターアワーズ。
「耳を傾けれなくなる」→「耳を傾けられなくなる」に直しといてください。せっかくの良い作品に、これは×。推敲段階でつぶしてください。あるいは、このフレーズ自体、記述・発音共に、ちょっとややこしいので、シンプルなものに置き換えもいいでしょう。


6 佐々木礫さん 「醜い薔薇の生まれ方」 11/4 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。
よろしくお願い致します。 「敢為」といった言葉があって「物事を困難に屈しないでやり通すこと」とあります。「世界の醜さを愛したい」にまずその言葉を感じました。続く「道を譲り」も「案内し」「扉を押さえた」もその隣接行為でしょう。ところが「邪魔や」と言われる。僕はこれを以下のように解釈します。
「自分の純粋にして正当な思惑や意志は時に裏目に出ることがあるのだ」―こういった事です。

「邪魔や」はその典型のように思いました。こういう場合、意志的にやっただけに、その裏目は実に辛い。個人は(なんとこの世界は矛盾をはらんだものだろう!)と思うことでしょう。文中にあるように同時に自己嫌悪にもなったかもしれない。
その後の彼は開き直りのような心境と行為でしょうか。最後の薔薇の一件も美しく優しい気持ちが(棘によって)裏目に出た。裏切られた。そして薔薇への報復です。人間の裏表を表したこの詩は案外、具体性のある詩かもしれない。この薔薇を取り巻く最後の一件は、タイトルと密かに通じているようにも思えてくるのです。ひとひねりありそうな全体のフィーリングも個性のひとつでしょう。また書いてみてください。


評のおわりに。

お隣にお琴の先生が住んでいて、その演奏会に行ってきました。「三曲演奏会」。
三曲とは筝・三絃(三味線)・尺八のことだそうです。西洋音楽とは勝手が違って、どこがどう上手いのか、曲の小節の頭がよくわからず、構成上、どうも標準的、統一的な拍子で巡行しない気がする。甘味処の店内で聴くような調べ。なんか早くも正月が来たような心地になりました。なかなか乙な気分(!? 笑) では、また。

編集・削除(編集済: 2024年11月10日 17:10)

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