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スレッドNo.4786

10月29日(火)~10月31日(木) ご投稿分、評と感想です。  (青島江里)

お待たせいたしました。
10月29日(火)~10月31日(木) ご投稿分、評と感想です。

☆恋せよ乙女  喜太郎さん

青春ですね。女の子からの告白なんて、すごい勇気がいるでしょうね。友達が代理で渡すっていうところが、女子のあるあるパターン?!(私はどちらも経験ありませんが、クラスで似たようなことをやっている人たちがいました!)結果的にはハッピーエンド。ドラマのようなストーリー。めでたし、めでたしの気分で読み終えました。

今回の主役は告白した女の子と告白された男の子でした。そこでこの作品を盛り立ててくれた名脇役がいました。それはなんでしょう。それは「西陽」でした。作中で説明風のところになっている部分を「西陽」メインを意識しながら書くと更に二人のひとつになる気持ちが浮かび上がってくるのではないかと思いました。一例をあげてみますね。何かのご参考になれば嬉しいです。

読み終えて振り返ると
西陽の入り込む教室に
彼女が立っている

泣き出しそうな
少し微笑んでいるような
今にもこわれそうな顔で
僕を見つめている

西陽が僕の背中を熱くする
僕は何も言わずに笑って
両手をあげて大きな輪をつくる
彼女も同じ輪をつくる
笑いながら泣いている
彼女の涙の頬に
まぶしい西陽が光っている
今彼女が僕の天使になった

……こんな感じで西陽を意識して書いてみました。丸ですが、今回の作中での響き的なものとして「輪」を選択してみました。僕が大きな丸をつくるシーンの西陽は、告白されてドキドキしている様子と嬉しさで高揚している気持ちを込めて「熱くする」を加えてみました。「複雑な顔」は固い感じがしたので、彼女の不安でどうにかなりそうな気持ちを意味する感じで「今にもこわれそうな」としてみました。あとは「キラキラ」の部分は彼女の頬の涙を強調する意味をこめて、あえて改行して西陽を強調する行をつくって言葉も変更してみました。

「西陽」を取り入れたのは大成功だと思います。それだけで放課後という時間をしめすことができますし、体温のようなものを表すことも可能ですし。二人を取り巻く背景が、光でぼやけて夢のような雰囲気を醸し出すことも可能ですし。気になったのは説明的な部分を整理するところだけでした。気持ちの表現としてはとても純粋なものを上手に伝えてくれている作品になっていると思いました。今回は佳作一歩手前を。



☆ねむる 人と庸さん

小動物の動画をみていると、なんてうまくはまっているんだよって思うほど正確に形に添って寝そべっているシーンをよくみかけます。あれって、本能なのでしょうか?個々の気性によるものなのでしょうか?みていてよくそんなことを考えたりすることがあります。今回の登場する動物はお犬様ですね。上手に形にそって寝ている様子を思うと、かわいいなという気持ちが湧きあがりました。

そして、その対象としての「わたし」は全く逆のかたちのない水のような寝方だといいます。「わたしへのあてつけだろうか」と思ってしまうところが面白いですね。また、こぼれた水のようにねむるという表現は、疲れていて、かたちよく(=お行儀よく)なんて考えているところじゃないんだよっていう感覚が伝わってきてよかったと思いました。

全体的にみると、中盤にあと少し書き込みが必要かなと感じました。「四角い敷物なら四角くなって」のあとなのですが、改行して「ねむる」をつけた方がわかりやすいと思いました。タイトルですでに「ねむる」とされていますが、この場合はどうしているのかということがちゅうぶらりんになってしまう可能性がでてくると思いました。

「わたしへのあてつけだろうか」のあとにも犬の様子、たとえば「わざとこっちのほうを向いているのか」など、あてつけと思われる所作のようなものを持ってくると、更に場面がはっきりとしてくると思いました。

いずれにしても、犬と人間の自由な関係が感じられて、疲れていても遠慮なしに好きなように眠れることを感じさせてくれる作品でした。今回は佳作一歩手前で。



☆壁 相野零次さん

なかなか複雑な心模様です。人によって色々な読み方のできる作品になっているのではと思いました。私は私なりに思った感想をお伝えしますね。

「無数の血でできた手形」という言葉はいきなり衝撃ですね。一行目の「幸せなんてやってこない」という言葉もインパクト大でしたが。次の行からは世界の残酷さが語られていきますが、こちらも捻じれた空気を彷彿させるような独創性。

世界は残酷で待っているだけじゃなにも与えてくれない
警察や軍隊は犯罪者だけを捉える
刑務所に入るのは罪人ばかり
何も犯しちゃいない何も盗っちゃいない僕は無視される
そう僕は誰にも相手にされない 

上記の表現の数々はすべて、通常とは真逆の表現。警察、刑務所は罪人を捕まえるというところを覆しています。この表現で驚かされたかと思うと、何も犯しちゃいない僕はだれにも相手にされないと持っていっています。この無理矢理に結んだようにも捉えられる表現は、意外にも、罪を犯すことも正しく強く生きることも、両方ともできずにいる自らの弱さを歯がゆく思う気持ちや、どこにも行くことも決めることもできない分厚い壁にぶち当たってしまった絶望のようなものも感じさせてくれました。更に後半でのあの叫びのような表現は、どうしようもない世の中と、どこにも行けない自分という存在についての怒りさえも感じさせてくれました。もう少し深読みすると、感情を失ってしまいそうな不安に襲われている毎日も感じさせてくれました。

色々な意味に捉えられる部分が多い作品なのですが、一番恐ろしいのは、ただ真逆に表現しただけの作品として読まれるだけで終わってしまうこと。つまり、この作品はそういう紙一重の危険もはらんでいるということです。どちらに捉えられるのかという判断は読み手にゆだねることになります。読み終えて感じたのは、実験的でもあり、冒険的な要素を含んだ作品であるということでした。踏み込んだ部分は、かなり力がいったと思います。登場人物の叫びと脱力、両方を感じさせてくれる作品でもありました。

詩を書いていると、ずっと調子よく書ける日が続くわけでもなく、停滞ぎみになってしまうこともありますが、このように、ふだんあまり誰もやらないようなことをやってみるのも、スランプから脱出するきっかけをくれることもあると思います。それが、周辺からよい評価を得ても得なくても、とにかく自分の気持ちを一番にして書かれていくことが大切なのかなと、ふと、感じました。一息ついたり、ちょっと寄り道したり。マイペースでいいのだとも。相野さんのこれからの詩生活が充実したものとなりますように。



☆遠い日のアルバム  ふわり座さん

生きているとたくさんの出来事があって、それを一から十まで覚えていられる人なんていませんね。ずっと、大切にしたい記憶や、誰かと一緒に共有しておきたい記憶。そんな思い尾を助けてくれるのはアルバムですね。

流れをつかみたいので、読後、おおまかに要点をまとめながら、再度、作品を追っていきたいと思います。

① 遠い日をアルバムをみる。笑っている写真で涙が出てくる。過去とは違う自分。
② 騙し騙しに笑っている自分。本気の涙を流したい自分。
③ 時は流れていく。アルバムは色褪せる。流れていく時間の背景が全部アルバムに詰まっている。玉手箱のようなアルバムに記憶を詰め込む。
④ アルバムの中に詰め込まれたものは、昨日のように新鮮に思える。
⑤ もしもロボットだったら、御主人様に記憶は消されてしまう。人間の記憶の大切な記憶は一生涯残るものは少なくない。
⑥ 大切な記憶を思い出と呼ぶのかもしれない。
⑦ 思い出が慈しみの目でみている。
⑧ 僕は弱くない
⑨ たまには弱くなるけどその時はよろしく。
⑩ 一生の親友のようだ遠い日のアルバムは。

順番に追っていくと④と⑤の部分がうまくかみ合っていないように思いました。突然のロボットの出現は、ロボットとは違って、人間の記憶は、やり方によっては、自らの意思で大切なものを残すことができるという意味合いであげられたかと思われるのですが、④の古いアルバムの記憶は取り出すと新鮮だということとのつながりは感じにくいですし、場面転換の部分としても難しいものがあるように思いました。ロボットを別の例にするか、「人間の記憶の大切な記憶は一生涯残るものは少なくない」という部分だけを残して次に繋げていかれてはどうかなと思いました。

あとは「僕はそんなに弱くない」の部分ですね、このままだと、僕はそんなに弱くないけど、これからもアルバムを抱いて眠るという意味にも捉えることも可能になってしまいます。なので「僕はそんなに弱くないけれど」というように、逆接の接続詞が必要になってくると思いました。

時間の記憶ということについての作者さんの感覚。数えきれない出来事、覚えきれない出来事の中でも、大切にしたい思い出という記憶について、丁寧に綴られている作品になっていると思いました。今回は佳作二歩手前で。



☆空っぽの鳥かご  温泉郷さん

ふくろうを巡るお話。ふくろうに関しては、私は福来朗や不苦労の語呂合わせからくる幸せのシンボルという一説の方しか知らなかったのですが、世界の文化の中で死の象徴と捉える国もあるのだと知りました。

お人柄のよさそうなご夫婦の経営されているおもちゃ屋さん。鳥かごの中の珍しい鳴くこともできるふくろうのおもちゃ。これは子供の目をひきそうですね。ほしいと思うでしょうね。やっと願いを叶えて買ってもらえたと同時に起こった悲しい出来事……。

五連目から展開する女の子の家の引っ越しをめぐる人の受け止め方。非常に心が曇りました。人が悲しい目にあった時、そこに接する人の本性がわかるといいますが、ふくろうが死の象徴といういわれを結び付けて噂をするような人は許せませんね。営業妨害にもなりそうなとんでもない噂です。そこから六連目にかけてのおばあさんの「そんなことあるかい」の力強さ。痴呆症になりかけても、ふくろうを悪く言わない。だけど詩行の裏側には、もしこのふくろうを買わなかったらそんな目に合わなかったのか?という、滲んできそうなかなしみも感じさせます。最後の方ではおばあさんに合わせるように鳥かごをつり続けるおじいさんの姿がこれもまた、女の子の元気な姿を浮かび上がらせるような表現になっていそうで、とても切ない気持ちになりました。

ひとつの詩の中に、人間のいやらしさ、いいことを信じようとする人のまっすぐさと強さ。強がって今にも割れてしまいそうな気持ちを一心に支えてあげようとする、愛するものに寄り添ってあげようとする心。可愛い存在を突然なくしてしまうことのどうしようもないかなしみなど、人間の様々な心の動きが織りこまれていました。最終行のおしいさんがおばあさんを信じて鳥かごをつり続けるという夫婦愛の表現は、灯りのようで救われるような気持ちにさせてもらえました。佳作を。


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11月。今年は夏の気温が長すぎて、秋をゆっくり感じる暇がないような気がしました。
秋かなと思うと、いきなり天気予報では木枯らしのお知らせも。服装の調整も大変なこの頃。
どうぞ、お元気でおすごしください。

みなさま、今日も一日おつかれさまでした。

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