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スレッドNo.4830

評、11/8~11/11、ご投稿分。  島 秀生

それにしても、食料品の値上げはもうそろそろ止まってくれないものだろうか。
世の中には、収入の上がってる人と、上がってない人がいるんだが、
食料品の値上げは、そんなのおかまいし一律だもんね。やれやれです・・・。
今年はいくつか食の楽しみを捨てました。
(二流メーカーさんは、今こそ付け入るチャンスかもしれないよ)

103万の壁については、一気に178万まで上げない方がいい、段階を踏んだ方がいいと考えます。
なぜなら、労働時間の長い人が増えたら、少ない人員で済むなってことになるわけで、
じゃあ誰かの首を切れるなって、考えるのが企業だから。


●月乃にこさん「金魚にできること」

あったかーい作品ですね。
まずもって、2連~6連まで、前を通るいろんな人が描けてるのがいい。
ここにもう、金魚を通してみる、人間の姿がある。
そして、話のメインというか、クライマックスというか、水槽から飛び跳ねるシーンが先にあるのがいい。どちらかというと、川や海を述べた5連に絡む形で、ジャンプがあって、そのあとに思いがけなく、「とぼとぼ歩き、涙をこぼす人」(3連の人)が反応を示してくれるのが、ほろりとする。(最初からその人の前でジャンプして見せたというんじゃないところがいい。あとから思いがけなく、この人も反応したというところが、きゅんと来る。ストーリーのそこで話が繋がるのがいい)
また、「ぴちゃん」の命名が思いがけない。ここもさらっと作者のユーモアなんだと思う。

うむ、いいんじゃないでしょか。金魚を描くように見せて、人間も描けてる。なにより読後があったかくなるのがいい。
名作あげましょう。
月乃さんは久々なんで、比較する他の作の記憶が私にないんで、しかと言えないんですが、代表作入りの作でしょう。

ちょっとだけ言うと、
2連の2行目と3行目は逆の方がいい。
7連1行目「水槽の上で」じゃなく「水槽の上へ」の方がいいと思う。

うむ、ストーリーこのままで、言葉をちょっと加工したら、そのまま絵本にもできそうです。
しっかり書けてる作品だと思います。

(そういえば、きんぎょ注意報ってアニメがあったな。金魚が空飛んでたよ。)


●白猫の夜さん「獄中の虚」

最初の4行、書きたいのでしょうけど、詩全体のことを言えば、初連5行目からスタートした方が良いです。得体の知れぬ他者に首を斬られるという、ワン・ストーリーの物語になりますから。
また、比喩的ではありますが、得体の知れぬ他者に首を斬られても、自分は正しく自分を通したという、意味合いとしても深淵なものになりますから。

3連は、武士の時代のように、打ち首、さらし首の図ですね。他者に首を斬られるところから話が続きますから、流れとしておかしくないですし、他方、「サイレン」がありますから、それを現代のものとして置いているのでしょう。

今の時代を生きる困難を、武士の時代に喩えた暗喩的な作品となって、まとまります。
ですので、冒頭の件、一考されてはいかがでしょう。

秀作一歩前とします。


●上田一眞さん「焚き火」

今はいい焚き火グッズがあるんだろうか??? 山の中で焚き火をすること自体、心得がある人でないとできないし、キノコにしても、わかってる人にしか取れないものなので(シロウトには毒かどうか識別がつかない上に、そもそも見つけることが難しい)、キノコを取って、焚き火で焼いてること自体に、プロフェッショナルを感じてしまいます。

なかなかフツウの人にはできない、ステキなシーン、今のアウトドアブームからすれば、贅沢な時間を過されているように見えるのですが、作者的にはそうでもないようです。
むしろ森の中に一人、身を置き、孤独になって、自身に問いかける時間であるようです。
逆説的ですが、水鏡を見るように、焚き火の焰は、自身を映す鏡なのかもしれません。
憶測ですが、もっというと、ずっと昔から、この「一人の楽しみ」をやっておられて、それゆえ作者を少しノスタルジックにさせるものもあるのかもしれません。
4連の、

 辛い過去の記憶が 
 まなこから剥がれ落ち
 露わとなる

の後ろ2行は、涙がこぼれた、という意なのでしょう。
問題はこのあとですね。

 苦みの効いた味がする
 ああ これは修羅の味だ

 再び口腔に現れた
 〈うつ〉という名の死神が 
 私の肩を叩く

4連の脈絡からすると、過去のツライ記憶に囚われているように思うので、5連は、そのツラかった時期の記憶と重なる味、という意味で、「修羅の味」の意を受け取ったのですが、6連も、「(うつ)という名の死神」と書かれているので、過去の記憶に続くものであると読むのが順当と思うのですが、

いちおう言うと「口腔の死神」と言われると、毒キノコを食ったのかな?とも読めてしまいます。

また前者の意味として確定して読めないのには要因があって、
森の中でキノコを焼いて食べるという経験が(もしかしたら、その地方では珍しくないものなのかもしれませんが)全国レベルでいうとレアな経験であり、どちらかというとやってみたい興味深い経験に見えていて、貧しい様子には見えていないこと。
また、昔からそうしたことをやっているとは書かれていないので、私らは現在の行動としてしか焚き火を読んでおらず、無条件に過去に繋げて読めない。というか、伏線が引かれてないので、いきなり過去の話を持ち出されても、唐突すぎて、ついていけない感があります。

整理していうと、森の中で焚き火をしてキノコを焼く行動に対するそもそもの作者の思い、また、その行動をいつからしてるかについて、書いた方がいいと思う(あるいは過去の思い出を少し入れると、そこからの継続性が出る)。それらの点において、たぶん読者が読んで感じてるものとの齟齬を生じてると思われるので、書いた方がいいと思う。前提条件のところでズレがあるから、後半ついていけないのだと思う。

「こっちにおいで」の字下げ部分以降自体は悪くないと思う。ステップを踏んでないから、うまくそこに入れない、という意味です。

親は世代が違うから割り切れるんですが、とりわけ兄弟や同世代の友が先に亡くなっていると、死が我が事のように身近になります。誘われてる気がするのもわかる気がする。

現状、秀作にとどめます。指摘した点を一考してもらったら、まだ良くなれる作です。


●相野零次さん「卒業」

ここのところ長いのをがんばって書いてくれてましたから、書きたかったテーマをひとつ書き切ってしまったかもしれませんね。今は次に移る過渡期かもしれません。

ここのところ、脇目も振らず、真正面から直進してくる感じのものが多かったですが、ここらあたりで脇目を振ってみませんか?
相野さんは、確固とした自我をお持ちなので、極端な話、他者のことを書いたり、外の風景をスケッチしてたって、自我は出てくると思いますよ。
なので、少し脇道から書くことを勧めたいです。

今回の作品ですが、後ろ半分がおもしろいです。最後の「ちくしょう」は、ちょっと光が当たったかに見えたが、壇上から降りる頃には、もうすぐに忘れられてることへの「ちくしょう」なのでしょう。

私も正直、自分が高齢になる頃には、もっと穏やかな心でいるものだと思ってましたが、いまだに「ちくしょう」と思うことの多いこと、多いこと。
世の中、なかなか穏やかには過させてもらえませんね。

過渡期に思えるので、評価は今回おいておきましょう。


●佐々木礫さん「『痛い』とは、言えない心臓。」

上からセリフになってるところまでは、いいと思います。言葉にハートを感じる。
ただ、そのあとはあまり感じない。「そう言った彼は~血を吹き出して動き始めた」の間は、あまりハートを感じない。いや、ハートはあるのかもしれませんが、一般的に言って、スジだけを追う感じに書いてしまうと、読む方には情感が伝わりにくいものです。

そのあとは「小さなささくれ」のリフレインになっていますが、そこはまずまず悪くないので、私は上記セリフあとの部分だけ、変えた方がいいと思います。

セリフより上は、ハートがあるから、いろいろな読み方ができます。湖は本当の湖にして、心臓を自身の喩え、として読んでもいいし、人間の体が水分比率が高いことを思うと、これ全体が、体と心臓の関係と読んでもいい。もちろん血を流しながら進む、人生の喩えと読んでもいい。セリフより上は映像力があるので、いろいろ想像が湧く。それが比喩力でもあります。
対して、セリフ下は、言葉が固定的で、そうした想像がきかせにくいです。
言葉を、ただの言葉だと思ってしまうと、どのようにも合成ができてしまうのですが、そうした考えで言葉を扱ってしまうと、すごく平面的なものになります。立体化、映像化、しないです。
そこの違いをちょっと注意してみて下さい。
この詩はセリフより上の、湖と心臓の関係性の映像がキレイですから、せっかくそこまで作ってますから、「湖」をはずさずに、セリフ下も考えてみて下さい。例えば、湖に、鹿が水を飲みに来たっていいのです。発想を広げて考えてみて下さい。

佐々木礫さんは、私は初めてなので、今回感想のみとなります。

 
●温泉郷さん「悲しい教え」

ええ話やね。ポロっときたわ。
主人公は、猫のようでいて、母ですね。その時に、そう言える人間でありなさい、と諭されているようです。もちろん心も行動も含めてです。
温泉郷さんは、お母さんがまだご健在ことと思いますが、私らのように親が亡くなっている年代の人間が、こんなの思い出したら泣けますね。(本人が亡くなっているだけに、思いが倍増される)
子供の頃は、とかく自分以外のことには無神経なものです。それがフツウですが、子供の頃からズシンと来てる作者は、むしろエライなと思う。

死期を悟った猫がいなくなるところもリアルです。あれ、不思議なんですが、探しても絶対見つかりません。私も子供の頃から20歳くらいまで、ずっと猫を飼っていたので、累計、何匹もわたって飼っていたんですが、一度も見つけたことがありません。
一度だけ、家の中に急にノミが発生したことがあって、さては天井か、縁の下で死んでるな、と思いました。死んだらノミが逃げますからね。

余談ですが、4~5年前、家のすぐ前の道路で、飼い猫であろう、よその猫が車に轢かれて死にました。夜8時頃のことだったので、保健所を呼んでもすぐ来ないだろうし、どうしようかなと思ってしばらく見ていると、妻がつかつかつかと箱を持って、ゴム手袋をして、「このままだと、何度も轢かれてしまうから、かわいそうだから」と死骸を掴もうとするので、そこまでされちゃあ、男の私がせねばなるまいと、私が代わり、死骸を箱に入れ、家の横のところへ逃げました。目玉が飛び出してました。ちょっと記憶に残っちゃいました。
まあ、それは翌日、保健所を呼んで、箱ごと引き取ってもらったんですが、あの、何のためらいもなく妻が、もう死んでる死骸を助けてあげようとしたのには驚いた。好きになれないところが少なからずある妻ですが、あの態度には驚いた。ちょっと惚れ直しました。
あ、余談でした(← 余談多いぞ!)。

これ、猫を飼ったことのある人間にはとても響くことでしょう。母と猫、セットの思い出ですね。名作あげましょう。
これをきちんと伝えられるのは、温泉郷さんの技量ですね。技量がないと、この話はここまで仕上がらない。代表作の並びに加えてよいと思います。


●荒木章太郎さん「テニスコートの誓い」 

まるで別人やねー。これ、ホントに荒木さんが書いたの? って思ってしまうくらい、いいデキです。ビックリ!!
しっかり書けてますね。言葉の緊張感も最後まで持続している。破綻がない。
出だしもおもしろいし、3~4連には自身のポリシーと変遷が描かれている。たぶん卒業間際の決意をして、フランス革命の導火線となった「テニスコートの誓い」と、比喩してるのでしょう。
また、4連までで終わらずに、5~7(終連)へとポリシーを比喩展開(5連「狼~液体」、6連「山羊」、7連「根菜類」)してるのがいい。ここで詩がワンステップ上がって、出色のデキになります。
うむ、名作を。こりゃあ、荒木さんの今のところの代表作ですね。すばらしい。

一点だけ。
4連の、

 指切りをしながら契約を交わし

のところの「交わし」ですが、「交」の字を使うと、これは「交わる」、「交流する」、「取り交わす」、ここでは契約を結ぶ、の意味になってしまうのですが、ここはたぶんそうじゃないですよね? たぶん逆の意(契約を守らないの意)で使ってるんじゃないでしょうか?
文脈からもそうじゃないとおかしいし、そう読まないと連の後半の「約束を結ばない俺」とも、早速矛盾してしまいますからね。

「避ける」、「体をひらりかわす」の意で使うなら、「かわす」は漢字的には「躱す」の字になります(「交わす」の字を使うと、契約を守る側の意味になるので、真逆になります)。この詩においては、この漢字を使うことを勧めます。
ちなみに、詩においてはこの程度の漢字は、意味を正しく伝えるために使ってOKなんですが、常用漢字でないということがあって、新聞記事などでは、「かわす」と故意にひらがなで表記されます(漢字の「交わす」の意と区別するために、わざとひらがな)。

今後も使うと思うので、これだけ覚えておいて下さい。

編集・削除(編集済: 2024年11月23日 16:12)

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