感想と評 11/29~12/2 ご投稿分 三浦志郎 12/8
1 佐々木礫さん 「淡い自我の君」 11/29
大変失礼ですが、具体的には、あまりピンとこなかったのです。 そこで「恋とは不思議なもの」といったひとつのテーゼを用意して読んでみました。事実、この詩には一種の不思議感は漂っていると思います。感知されるのは、この語り手、お相手に対して、遠慮がち、もっと言うと、やや優柔不断。遠くで見つめている感じ。ただし真面目で誠実で丁寧です。それは行間から常に垣間見えます。
それが彼の美点であるかもしれない。ただ、相手の心の不思議、自分の心の不思議、ひいては恋の不思議を考えているかのようです。最後のセリフ。ここに行き着くわけですが、それに至るまでの自分の心の整理、そんな風にも感じています。この詩はあくまで感覚的ということです。
語り手もさることながら、僕はここに綴られた、あるいは語り手にこのように語らせた「君=女性」のポートレートのようなものにも興味がありました。おそらく、無口で静かで水のように心が澄んでいる、そんな女性。タイトルからも、そういったことが知れるのです。これも感覚の世界です。うーん、僕自身は、どうしても“モヤモヤ感”がぬぐい切れず、佳作半歩前で。しかし美しい言葉、行間を持った詩であることは確かです。
2 司 龍之介さん 「心の声を」 11/30
残念ながら、というか、ちょっと淋しいながら、人はこの詩の通りです。正論だと思います。
この詩は順を追って書かれています。初連~2連ですでに結論めいた事が提出されます。以降、各論といった展開。これは良いと思います。3連に来るのが言葉の問題。4~5連では感情の問題。そこで考えられているのがその背景にある、生い立ち、育った環境などから来る先天的・後天的属性の違い。こう考えてくると、初連、2連が充分納得されるのです。そして、「だからこそー」といった感じの総論的最終連です。これを踏まえた上で他者と関わり、社会と関わる。そうすれば、失敗も失望も少ないことでしょう。僕は、この順を踏まえた書き方がとても好きです。噛んでふくめるような説得性を感じます。唯一、惜しいと思うのは正論というか、“まっとう”過ぎて、少し平板なところはありそうです。
具体的事例でも1、2連入れてみると、少しテンションが利くかもしれないです。佳作一歩前で。
3 上田一眞さん 「養母の記憶」 11/30
以前に満州のことやその引き揚げの作品群がありましたが、本作もそれらに連なるもの。連作風な趣があります。もしも詩集を出した場合、ひとつのグルーピングができるでしょう。始まりと終わりがいいですね。何か映画を観ているような心地がします。この詩は回想を綴ったもの。「1」は松脂=航空機代替燃料は聞いたことがあります。「2」「3」は憲兵のことがらです。この兵隊は「泣く子も黙る」、人々を震え上がらせる存在だったでしょう。「3」の事例は、たしか吉村 昭の戦記小説(題名失念)にも、似たようなことが記述されていたのを思い出しました。
「5」 そう、B29は本土以外でも意外と使われていた話は何処かで聞いたことがあります。偵察や雑務ですね。文中「まぁ綺麗!」は、ちょっと不謹慎ですが、夜間飛行中の当機を同様に感じた人はけっこういたようです。実際、記録に残っています。これはリアルで説得力があります。
松脂~B29あたりからすると、戦争も末期という気がします。その割に淡々と書かれているのは、軍部と新聞・ラジオが真実を伝えなかったせいでしょうか。それと本土と満州とでは戦争への皮膚感覚が微妙に違った気がする。むしろ満州の人々が辛苦を味わうのはソ連参戦~引き揚げだったかもしれない。すなわち「6、7」です。僕はこの作品で、ある種、日記を読んでいるような感覚を得ました。この事は当作品に有利に働いていると思います。それと上記した映画的な構成力ですね。それと、もうひとつの意義(アフターアワーズに記述)をプラスして佳作とします。
アフターアワーズ。
(以前もちょっと書いたかもしれないけど)リアルタイムの戦争を語る世代が一人もいなくなる時代がすぐそこまで来ております。
誰が伝えていくのか?たとえ聞き書きでも聞き伝えでもいい、僕たち世代が中継していかない事にはどうにもなりません。そういう意味で、今までの一連の聞き書きの詩は充分支持できるものです。当サイト主宰・島 秀生氏はその志を高くお持ちのかたです。
上田さんにおかれましても、ぜひ伝え続けられますよう。 (時あたかも十二月八日、日本が戦争に突入した日、来年は戦後八十年)
4 松本福広さん 「空の線」 11/30
とても今日的な話題を含んだ詩で興味深く面白い詩です。簡単に言ってしまうと、
「地上電線か地中電線(無電柱化)か」に尽きると思います。この件は防災・景観・コストの三領域で語られるように思います。どちらも一長一短ありで、日本では欧米ほどには無電柱化が進んでいないようです。ただ、東京や観光地では地中電線が推進されつつあります。僕の住む市も観光地を抱え計画案が成立しました。すでに市の中心部の観光で有名な通りは約1キロにわたって無電柱です。
さて、ここまでを予備知識として詩を考えます。
出だしの抒情味がいいですね。3連あたりから本論に入っていきますが、上記したような一長一短をさりげなく述べているようです。「小指に結ばれた~」の表現は秀逸です。僕は電気の技術論は門外漢なので、できません。あくまで文学的なこと。この詩もそういった路線で描かれるのがわかります。確かに電柱・電線は明治の昔から生活に馴染み、風景として馴染んで来た。その恩恵を目に見えるかたちで、日本人は受けてきたのです。この詩はその事を言っている。それはあくまで文学的なこと、です。「どちらか?」の論議は、また別の次元に属するでしょう。佳作です。
5 詩詠犬さん 「わくわく缶缶」 12/1
はい、可愛く、微笑ましく、おもしろく読ませていただきました。こういう詩があっていいんです。
こういう詩には、理論だの精神だのは似合わない。ただ読んで、ハッピーになれば、全てはOKというものです。お子さんでも読めるし、大人は比喩、隠喩といったレベルで楽しめます。ドラえもんの“どこでもドア”と並びそう。いや、それ以上か? ここには、生活、人生で必要なものが殆ど入っていますからね。缶缶に託した人生賛歌と見ました。内容に合わせて、リズムも考えられてる。こういう詩はリズムもいのち。
ホント、わくわくします。また絵が可愛いじゃありませんか! ”挿絵も入ってわくわくと“ お、おもわず、甘め佳作―と。
アフターアワーズ。
僕たちの子ども時分、サ〇マのドロップというのがあって、頑丈な缶缶に色とりどりのドロップが詰まってました「最初はどの色?その次は?」などと、おいしく楽しんでました。おそらく、しあわせの缶缶だったのでしょう。
6 森山 遼さん 「あいさつを しない おじさん」 12/2
「最近の若者はあいさつをしない、できない」とはよく言われることですが(あ、僕だけがそう思ってた?)、年配だろうおじさんがしないのは、良い悪いを通り越して珍しいかも?(まあ、やっぱりしたほうがいいんですがね)何か確固としたポリシーがあるのかもしれない。突然、ラジオ体操に来るようになったのも、ちょっと妙。この書きぶりだと詩の語り手もラジオ体操に来ているのだと思います。語り手の意識の流れを見ると―
「嫌悪→好意→共感」
となるでしょう。どうしてこうなったか?おそらく、自分との共通点が挙げられそうです。
「同じラジオ体操・似たような来歴?(サラリーマン)・同じような年恰好」などでしょうか。
ゆえにー
「嫌悪≦好意・共感」みたいな感覚でしょうか。あいさつは(そういう人なんだ)と割り切ってしまえば、別に腹も立たないレベルかもしれません。それよりも共通点でしょう。
実際にあったことを、正直に、あるいは少し脚色して書かれたものと想像されます。久し振りなので、すみませんが評価はパスとさせてください。
7 じじいじじいさん 「コミュニケーションツール?」 12/2
これ、バレンタインデーのほうがしっくり来る気がしますが。あれはチョコレート会社が仕掛けたもの、という噂が根強くあるし、義理チョコはまさにコミュニケーションツールの役割を果たしていましたが、最近は「やめよう」傾向にあるし。それと同じで、「義理~」=「コミュニケーションツール」とするならば、「義理チョコ」ならぬ「義理クリ・プレ」はこの詩の通りNGでいいと思いますが。世間は省略化・簡素化に向かっていますし。好きな人にはクリスマスもバレンタインもプレゼント、じゃんじゃんあげちゃってください!(まあ、交換が理想的か?)対象年齢を子供から中高生にシフトしてきました。そうですね。高校女子らしい考え方と文の感覚がよく出ていますね。ちょっとオシャレで可愛いです。 甘め佳作を。
アフターアワーズ。
そう考えると、お中元・お歳暮・年賀状などもけっこう縮小傾向にありそう?
(絶滅危惧種とまではいかないと思うけど)
8 静間安夫さん 「絶滅危惧種」 12/2
冒頭佳作。少なくなっていく秋への愛惜が情感たっぷりに語られ胸を打ちます。抒情に包まれながらも、本当にこの通りなのです。
文中「いや増すのだ」←この表現いいですね。年配のかたでないと、こうは書けないものですね。そして思いは秋だけにとどまらず、滅びに瀕しているものたちへの優しい眼差しへと移って行きます。そして作者、静間さん自身気づくのです。ふと(他ならぬ自分自身がその危惧対象なのだ)。ここまでの意識の流れ、呼吸感、行間がとてもいいですね。少し話を大きく取ると、日本人はこういった対象について、とても繊細な想いを持つことができます。この詩によって、今、静間さんはそういった国民性の中心にいるのです。そして終わりの2連です。どうやら結論が出たようですな。そう、書き残すことができる。時代状況や媒体は変わっても文字は無くならない。これは「書く者」の希望、矜持、責務でしょう。その意志表明としてのフィナーレ部分はとても深く美しいのです。
アフターアワーズ。
「わたしそのものが/絶滅危惧種のひとりなのだ…」 あっ、評者ミウラも仲間に入れといてください(笑)。
評のおわりに。
クリスマス音楽はその時期しか聴かないので、どうしても集中的(義務的?)に聴いてしまいます。
僕の場合、毎年決まっていて、あくまで参考に、軽いお薦めに書いてみます。
どちらもちょっと古いのですが―、(知ってる人もいるでしょう)
1 CHRIS REA「DRIVING HOME FOR CHRISTMAS」
この曲は「MY DEAR」のある皆伝者さん(今は退会)から教えてもらったものです。
2 VANESSA WILLIAMS 「STAR BRIGHT」 FULL ALBUM
こちらは全てクリスマス曲あるいは、ちなんだ曲集。祈りのように誠実に丁寧に作られたのが
よくわかります。仕立ての良い洋服みたいな感じ。
では、また。