評ですね。11月22日〜25日ご投稿分 雨音
大変遅くなりまして失礼しました。お許しを。
「星に告げる」上田一眞さん
上田さん、こんばんは。すっかり寒くなりましたね。暖かくお過ごしですか?
冬は星の季節だなとわたしは勝手に思っております。なので、このタイトルも内容もとても心に触れるものでした。実は先日プラネタリウムにいったばかりだったんです。
北の街、小樽。星と星を繋いで描いたのは記憶だったようです。その情景が本当に心に残ります。この作品はなんといっても四連が美しく、この連だけで佳作です。実は少しおまけ。これは上田さんの思い出かもしれませんし、誰かの思い出かもしれませんが、二つ目の「いにしえ」という言葉がどうしても引っかかりました。すでにいにしえをギリシャ人と一緒に使っているので、これは古代というイメージを持っていますから、かなり昔、2世代くらい前の話、でしたらいいかもしれません。けれどもしも、そうでなかったら、もう少しだけさりげない表現の方が良いかもしれないです。例えば、「心の奥に沈んだあの日」とか少し間接的に書いても、その後から、まだ若く、が追いかけてくるので大丈夫じゃないかなと感じました。
タイトル「星に告げる」は最終連まできてなんとも言えない余韻を残していくところがとても素敵でした。上田さん、少し早いですが、どうぞ良いお年をお迎えください。
「瓦解した夜に雨を読む」人と庸さん
人と庸さん、お待たせいたしました。夜が更けてきました。
「雨を読む」ってすごく素敵だなとタイトルを拝見して思いました。夜に書いた雨の手紙、を想像しています。作品を拝見して「雨の音を読む」だったことを知りましたが、雨の音を読むのもとても素敵です。次に雨が降った時は、わたしもやってみることにしようと思いました。
こちらは佳作です。作品の輪郭がとても良いと思いました。何度も重なるオノマトペの部分も、雨が降り続いている、夜が続いていく、そういった深い孤独のようなものが静かに伝わってきます。それが「悲しい」とか「辛い」とかそういった言葉ではなく表現されているところがとても印象的で、雨が水溜りに描く波紋のように心に残りました。
本当に細かいことですが、一つだけ。これは他にも通じるところなので、参考にしてみてください。
いつも確かなものをつかもうとした
確かにひとつずつ積み上げようとしたが
この部分ですが、「確かなもの」と「確かに」が上下に並びます。この場合、下の「確かに」を少し変えて、例えば「正確に」にします。確の字は並びますが、「たしかな」と「せいかく」なので音が違うので少し変化がつきます。正確に変わるもので、同じような意味を持つ言葉を探してみるとなかなか見つからないというのが正直なところです。「確かなもの」を変えて、「確かに」を残す、という風に考えると、「しっかりしたもの」とか「形あるもの」とかいくつか候補はありますが、これは人と庸さんがしっくりくる言葉というのが大切なことですから、もし見つかったらのオプションです。どちらかの言葉で変化を少しつけるともっと良くなると思いました。
人と庸さん、暖かい年末をお過ごしくださいね。
「わたしにとってのたいせつ」松本福広さん
松本さん、こんばんは。お待たせしました。作品拝見させていただきます。
良い作品です。佳作一歩手前です。
そうですよね。小さい人たちはいつもこうして親に巻き込まれています。小さな人は父が不幸に見えても母が不幸に見えても全て自分のせいだと思ったしまうそうです。親が勝手に喧嘩して勝手にやっているのですが、小さな人たちはそれが自分と関係のないことだと線を引くことができないからです。そうしてこれは大人になっても見えない記憶となってその人を苦しめます。なんだかこの作品を読んでいるとそうしたことを思いました。ひらがなで書かれているからといって子供が描いているのではなく、大人がその古い記憶を言葉にするならひらがなになるかもしれません。ひらがなの詩はとても難しいのですが、今回はそんな気持ちがありこの作品はひらがなで良いなと感じています。
さて、ですが、ひらがなの詩はやっぱり難しくて、一歩手前というのはそういった部分なのですが特に六から八行目を少し見直してみてください。
おとうさんのめには わたしのひとりしかいない おかあさんはいない
おかあさんのめには わたしのひとりしかいない おとうさんはいない
ひとりしかいない わたしのだいじなひとどうしが
この部分が少しわかりにくくなっています。なかなか良い言葉が浮かんでこないのですが、わたしが書くとしたら思い切ってこんな風にします。
おとうさんのめには そんなおかあさんは うつっていない
おかあさんのめには そんなおとうさんは うつっていない
ひとりづつしかいない わたしのだいじなひとどおしが
もしかして、一行におとうさん、おかあさん、わたし、を全員入れたいという思いがあるかもしれないなと思ったのですが、ここはこだわらずに書いた方が伝わりやすいかもしれません。それから、ひとりづつしかいない、は、ふたりしかいないでもいいかもしれません。これは「わたし」にとってのことなので、この書き方だと少し語弊があると思います。
松本さん、なんといっても素直な書き方だったことがこの作品の良い部分ですね。どうぞ暖かくして冬をお過ごしくださいね。
「拝啓、ノッポの古時計」佐々木礫さん
佐々木さん、こんばんは。お待たせいたしました。
安楽椅子、ロッキングチェアですね。ロッキングチェアってとてもコージーな心地よい場所、ですよね。その椅子の気持ちが描かれたあたたかい優しい作品ですね。とても素敵でしたし、情景が浮かんできて幸せな気持ちになりました。全体としてストーリーはよくまとまっていましたが、最後の部分だけ少し気になったので書いてみます。
もしも、僕という安楽椅子が、
何十年も君を抱えて、
いつか年老いた君がふと立ち上がり、
向かうべき場所へ向かうなら、
それはとても美しい生涯だと。
この最後の一行は、安楽椅子の生涯、ということなのかなと思います。その場合、君が向かうべき場所へ向かった時に、安楽椅子の生涯も幕を閉じるという風に受け取りました。その場合は、
もしもの前に一行足すと伝わりやすいかもしれません。参考にしてみてください。
僕は満足だ
もしも、この腕で
何十年も君を抱えて
というように続きます。もう安楽椅子のことを書いているのはわかっているので、最後だけ完全に擬人化してしまうと椅子の感情が読んでいる人に伝わりやすいかもしれません。
最後にちょっと質問です。実はどうしても、タイトルと内容のつながりが見つかりませんでした。「僕も君みたいになっていくよ」っていうノッポの古時計への気持ちがあるのかなとも思いましたが、もしそうだったら、何かそれを示唆するような部分があってもいいかもしれませんね。敬具とかね。佐々木さん、どうぞ良い年の瀬をお過ごしくださいね。
:::::
少し早いですが、今年最後の評かななんて思っています。
12月の分がありますが、多分評をお届けするのは年明けになるかなと。
(もしかしたら今年中かもしれませんが)
今年も大変お世話になりました。
素敵な作品をたくさんお届けくださって本当にありがとうございます。
みなさま、どうぞお健やかにお幸せに年の瀬をお過ごしくださいね。