接着剤 静間安夫
この席空いてる?
失礼、ちょっと邪魔するよ
おっと、そんなに
こわい顔しないで…
なにもオレは怪しいもんじゃない
いや、あんたみたいな若い野郎が
ひとりぼっちで
やけに思いつめた様子で呑んでるから
気になってさ
おせっかいとは思ったんだけど
ほっとけなくってね
おやじさん、このテーブルに
お銚子二本追加して!
それじゃ、お近づきの しるしに
乾杯しよう
いやー、なかなかいい
呑みっぷりじゃないか
まぁ、嫌なこと、頭にくること、
ショックなことって
いっぱいあるだろうけどさ
こうやって呑んだ勢いで
ぶちまけちまうのが一番!
どうだい、この年寄りに
話してみないかい?
案外スッキリするかもしれないぜ!
いや、さっきも言ったとおり
オレは怪しいもんじゃない
確かに、こういった具合で
酒場でひとりぼっちで呑んでる
若いもんに近づいて
悩み事を親身に聞くふりをしながら
ヤクザの仲間に引き入れたり
詐欺の餌食にしたり
なんていう連中が結構いるけれど
オレは違うから大丈夫!
安心してくれ
ただ、おせっかいなだけさ
えっ、なになに…
職場の上司からパワハラ受けてる?
細かいことまでチェックされ
できないと厳しく叱られる、
今日も「そんな進歩のないことやってんなら
やめちまえ!」って言われた、
自分では一所懸命やってるつもりなのに…
まだ、入社二年目だけど
転職しようかと思ってる…
ふむふむ…
ひとつ聞いていいかい?
その上司、人前であんたを
叱ったことがあるかい?
どうだろう?
えっ、
いつも他の社員のいないところで
叱られる、って?
だいたい、それを聞くとわかるんだ
あんたの上司は
けっこういい人間だと思うよ、多分ね
入社二年目くらいが
一番大事な時期だから
上司はあんたの成長のために
厳しく接しているのさ
怒るのは、本気で何かをわからせたい、
教え込みたい、と思ってる証拠だよ
でも、あんたの上司は
怒りに我を忘れて、あたりかまわず
怒鳴りちらすような人間とは違うようだ
なぜって、あんたを
同僚の前で叱ったりしないんだろう?
なるべく傷つけないようにしてるのさ
だから、あんたもパワハラ受けてる、
なんて頭から思わないで
上司の言ってることを細かいことまで
もう一度よく噛み締めて
毎日ひとつでも多く
実行できるように頑張ってみな
その調子で少なくとも三年やれば
だいぶ自分の周りの風景が
違って見えるようになると思うよ
いやぁ、正直言うと
この手の話をできるような相手が
あんたの会社にもいるといいんだが…
つまりさ、同僚の悩み事を聞いて
解決の糸口を探したり
それができなくっても
一緒に呑んでストレスを
発散させてくれるような
そういう相手のことさ
しかも、そういうヤツって たいてい
忘年会や社員旅行となったら
エース級の活躍で宴会を盛り上げて
社員みんなを腹の底から笑わせて
ハッピーにできる
ムードメーカーみたいな存在なんだ
なんて言ったらいいのかな?
放っておくとギスギスして
バラバラになってしまう社員を
つなぎとめる、そういう存在のことをさ…
えっなんだって?「接着剤」だって?
うーん、何かパッとしないけど
とりあえず、まぁいいか…
残念なことに
その「接着剤」みたいな社員ってのが
会社の中ではあまり成績のよくない
ヤツのことが多いんだ
そうそう
「釣りバカ日誌のハマちゃん」
みたいな人さ
ただ、むかしはそんな社員の
「接着剤」としての役割りも認めてくれて
定年まで勤めさせてもらえたものさ
何を隠そう、かく言う
このオレがそうだったから間違いない!
だけど
こんな具合で
サラリーマンの世界が
なべて実績重視になってくると
オレたちみたいな人種は
なかなか生き残れなくなっていくだろうな
そうなると
社内のコミュニケーションも ますます
取りづらくなっていくような気がする
誰も彼もメールとかリモートワークに頼って
直接顔を合わせて話す機会が
ずいぶん減ってるからね
いや、問題は会社だけじゃない
世の中ぜんたいに
接着剤になれる人間が
不足してるように思うな
若いもんにとっても
こんな具合で話しを聞いてくれる
相手がいないので
さっきの話じゃないけど
闇バイトのリクルーターなんかが
そういった こころのスキに
つけ込んでくるんじゃないかな
まぁ、こんな年寄りでも
また機会があったら
話し相手になるから、よろしく
さて、だいぶ遅くなったな
お先に失礼するよ
おやじさん、おあいそ!
あと、こいつの分の勘定も
いっしょに払うから
えっ、見ず知らずの人に申し訳ない、だって?
いいってことよ、
こんな年寄りの
無駄話を聞いてくれたんだから
縁があったらまた呑もう!