感想と評 12/13~12/16 ご投稿分 三浦志郎 12/21
1 相野零次さん 「生きる音」 12/13
この詩にはふたつのトピックスがあるように思います。
ひとつはオノマトペのことです。
たとえば冒頭の心臓の音。実際の生活では音はまず聴こえないのですが、このように言葉で表すことができる。ここに言葉の恩恵を感じます。特に日本語はオノマトペが多い言語だと聞いています。ここでのそれはごく普通で(失礼!)、特に奇を衒ったものはありません。いや、むしろ奇抜なものをひねり出すと、この詩のナチュラルさには合わなくなる。結果、好感。これでいいのです。
ふたつはー
「人間の耳には聴こえないだけできっと世界は生きる音の洪水で溢れている」
から想起されることどもです。たとえば物理学的なアプローチで音を捉えると、人間聴覚が捉える範囲は決まっていて(なんとか~という単位)、逆論理で言えば、それ以外は存在するが、人間は把握していないことになる。そういった科学的なもろもろも含めて、この詩は各種現象を文学的・詩的に”翻訳“しているとみることができる。結果、見事な終連に至ることができる。これはそういった詩にして佳作、と。
2 上田一眞さん 「緋連雀」 12/14
まずは地図で「八幡馬場・周南市・きらら浜」の位置関係を把握しました。山口赤十字病院という大病院があり、そこが文中「山口日赤」の現在の姿と思われます。
二部構成で「昭和十九年」を現在形に起こして、(母の娘時代の)独白形式です。これにより、読み手は当時の感覚を生で味わうような気分になる。ここで見ておきたいこと。当時、一億全てが「戦争に向けてまっしぐら」といったイメージを我々は抱きがちですが、
けっしてそればかりではない。もちろん、その覚悟はあるのですが、いっぽうで、その独白にもある通り庶民感情としての自己の意識はちゃんとあった。偽らざるホンネというか。この詩にはそれが書かれている。それを見ておきたい。
「噂では沖縄に行かされるようだ」―個人的にはここが一番気になります。この話を昭和十九年の十二月と仮定すると、沖縄戦は翌年の三月から。そう考えると、その噂には実に真実味があるということです。もし行っていたらどうなったか?おそらく生きては帰れなかったでしょう。そうすると(失礼ながら)上田さんも存在しなかったことになります。それを考えたい。付記すると、「緋連雀・くろがねもち・はったい粉」などのアクセサリーも情趣を添えています。どころか、詩の準主役を担っています。
転じて現在。ここでは緋連雀が主役に踊り出る。タイトルとして定着する。母の好きだった鳥、母の想い出に連なる鳥だからでしょう。その鳥を見ることによって、今は亡き母を見ている。
最後に構成のことに触れます。
1部……過去を現在型にしての個人独白。
2部……現在を作者が通常の書き方で表現。
発話者と時制。その並行と交差で味わいあるロマンを醸しています。僕も大好きな手法です。
これはまさしく詩ではありますが、そのアプローチは小説的でもあります。上席佳作。
3 荒木章太郎さん 「塩になる」 12/14
荒木さんらしい面白いタイトルの付け方です。
冒頭「パティシエ⇔バリスタ」「甘さ⇔塩」「安らぎ⇔苦み」の対比の中で、この詩の何がしかの始まりを暗示しています。「甘さと塩」は僕も頷くところがあります。「お汁粉に塩」「子供時分にスイカ、とうもろこしに塩」。この詩は、そういった作用への追求と推測されます。海が出て来るのは塩から連想されたものでしょうか。わかる部分、わからない部分込みで推測されるのは、二人が互いに切磋琢磨しながら、味を追求していく。その喜びと悲しみのようなもの?途中「消費者の~」の連はけっこう重要な気がしています。技術は知らないが人気や流行を左右する一般消費者という怪物。技術には精通したプロフェッショナルが彼らに翻弄されてしまう、その狭間のようなもの、そこに存する課題のようなもの、を感じていました。それでも彼らは試行錯誤する。味も詩と同様、数学のような絶対的正解がない。好みほど恐ろしいものはない。そんな中にあっても、主人公は新たなものを求めて自己の信じる道を進むでしょう。
終連のことです。ここには求道者とも言えるような意志が見られます。タイトルもその一環と見られます。佳作を。
4 司 龍之介さん 「花男」 12/15
まずタイトルがユニークですね。この人、今は「失敗中、敗北中」なのかもしれない。ただ息の根を止められたわけではなさそう。
そこが突破口、一条の光……失敗し、敗北し、転んで起き上がる、その起き上がりに少しづつ、ムクムクと大きくなっていく。少なくとも、そう思いたい。むしろ失敗すら必要不可欠と捉えているフシもある。そんな自己鼓舞の詩として読みました。その道程を花になぞらえている。
これ、けっこう現代にも通じる心の状態を表しているようにも思えるのです。「薪をくべろ」「酒を酒をここへ」がちょっとおもしろい。何かの背景的特殊性がありそう。
余談。中国史に漢の劉邦という人がいたんですが、ライバル楚の項羽に常に負けて負けて負け続けた、が、最後の勝利を得た。結果、漢の大帝国の始祖になりました。結局勝敗を分けたのは人望だったようです。そんな事情も感じさせる文中でありタイトルでもありそうです。佳作を。
5 静間安夫さん 「接着剤」 12/16
まずは内容を。この語り手、いいキャラですよねー。フランク、フレンドリー、優しく親身、愛嬌もありそう、最後に太っ腹。なおかつ物事の核心を衝いている。「他者のいないところで叱る→真に本人の成長を考えている」「社会の集団の接着剤的役割を果たす人=周旋役、コミュニケーション役」このふたつが主旨になるわけです。舞台は現代ですが、このお年寄りはおそらく昭和の“牧歌的、古き良き時代”をまだたっぷりと残しているのを感じさせます。人呼んで「好々爺」ということになるでしょう。ここまでの人が、この行き詰ったような現代にいるかどうか?しかしあらゆる現象、事態は「個人差」という便利な言葉で説明がつくので、設定に、まあ、無理はないでしょう。このじいさんの説くところは同時に静間さんが思い、信じ、実行してきたことだと充分推測しうるのです。
次に、趣向というか文体というか構成のことです。
ひとりの語り手が他者を交えず、全篇ソロパートで進行するもの。これは割とある文体です。
以下は私見なので、全く無視されても構いません。
進行上、どうしても相手の話をオウム返しに書かざるを得ない。いわゆる「なに、なに?~~だって?」ってヤツです。僕はこのパートがどうしても、不自然、違和感、カッコよさが落ちる気がしちゃうんですね。これは静間さんのせいでは全くなくて、この種の文体の持つ慢性的な弱点のように思われるのです。
これはあくまで参考ですが、話者A・話者Bでダイアログ(対話)形式の展開にするか、A、B+場面、情景等を語らせる、第三者的文字通りの語り手、ト書き者を設けても可。そんな策も検討可能でしょう。佳作一歩前で。
6 まるまるさん 「笑えていなかったけど」 12/16
それにしても、冒頭からずいぶんな言い方の息子さんですなー。ま、冗談半分でしょうけど。
普段の自分とその周辺を描いた生活詩という感じです。比率としては自分のことが多いですね。
良いこと、良くないこと、全部一緒にして考えてる。そのタッチはあくまで軽めですね。「あっけらかん」といった言葉が似あいそうです。それと家族の件。家族と言えど、多かれ少なかれ、どこも問題は抱えているわけです。そんな中での、「妻、母、女性」としての役割の共存共栄、そのアプローチの仕方、そういった主旨は感じるわけです。男の立場でも同じですけどね。そういった事柄への陽気で前向きなフィーリングを感じる詩ですね。深刻さはないです。純粋な詩の観点で言うと佳作一歩前でしょうね。
7 白猫の夜さん 「夜のごあいさつ」 12/16 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。
よろしくお願い致します。
この詩もオノマトペ活用が目を惹きます。同時に生き物の難しい漢字がありました(笑)。
貉(むじな)……アナグマ・タヌキ・ハクビシンの類。 鼬(いたち) でしょうか。
連毎に、その動物に合わせた個性的な詩行が考えられています。害獣にあたるものもいそうだけど詩はあくまで好意的。共通するのはタイトルにもある通り、比較的夜行性なのかもしれない。各連もさることながら、終連が趣深いですね。「周りにざわわ」と「今日も今日とて」の言葉使いが面白いです。民話・伝承とも縁が深い動物のイメージと古びた日本家屋、里山の風景まで浮かんで来る心地がします(ハクビシンのみ、やや新顔。外来種、移入時期は不明)。どこか可愛らしく、好意的でのんびりした感覚が漂って好感が持てます。また書いてみてください。
アフターアワーズ。
オノマトペについて。ちょっと面白い発見がありました。好きな音楽に合わせて動物の足音を想像しながら両手で机でも叩いてみてください。楽しいですよ!(笑)
テテトト(右右 左左) テテトト(右右 左左) トタタ(右 左左) トタタ(右 左左)
評のおわりに。
評においては、今回が今年最後になります。今年一年、お付き合い頂き、誠にありがとうございました。
実作においては、12/27からを予定しております。では、また。