評 12/10~12ご投稿分 水無川 渉
お待たせいたしました。12/10~12ご投稿分の評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。ですが、「私」=「作者」の場合はもちろんそのように読み替えて読んでいただければ幸いです。
●松本福広さん「パンダの皮をかぶりたい」
松本さん、こんにちは。パンダのしっぽは本当は白だということを、私も初めて知りました。日常のちょっとした気付きや疑問、「ひっかかり」にこだわるというのは、詩人の特徴の一つではないかと思います。私自身、詩を書くようになってから、それ以前よりずっと身の回りの世界の細部に注意を払うようになったと思います。ですからこの詩はまず着眼点が良いと思いました。
そして、この詩では「白と黒」が鍵となるイメージになっているようです。最初は文字通りパンダの毛色について語られているのですが、いつのまにかそれは抽象的な価値判断を伴った意味を持ち始め、最終行の「私は・・・白ではないようだ」に行き着きます。このような全体的な構成、展開も自然で巧みですね。
この詩のタイトルの意味はよく分かりませんでした。本文に「パンダの皮」は登場せず、代わりに「常識の皮」について語られていますが、後者については日常に潜む小さな真実から目を背ける妥協的な生き方として否定的に捉えられているようですので、語り手である「私」がそれをかぶりたい訳ではないと思います。もしかしたら「私」は今かぶっている「常識の皮」を脱ぎ捨てて、ちゃんと白いしっぽのついた真実なパンダの皮をかぶりたいのだろうか、と思いました。
箸置きの写真もありがとうございました。ここからは蛇足ですが、調べてみますと、昔パンダのイラストやキャラクターデザインを手掛けた人々が、しっぽが黒い方が可愛く見えるということで、黒いしっぽのパンダを描くようになったことから広がったようです。でも確かにしっぽが黒いほうが何となく可愛いと感じてしまうのは不思議ですね。そして多くの人々のイメージの中では、しっぽの黒いパンダのほうが「リアル」な存在なのかもしれません。
それが良いことなのか悪いことかはよく分かりません。たとえば特定の人種の人々の身体的特徴をデフォルメしてその「野蛮さ」や「他者性」を強調するような表現は決して許されるものではないでしょう。しかし同時に、客観的事実の正確な描写だけが「リアル」ではない、ということもまた言えるのかもしれません。詩という世界においては、しっぽの黒いパンダもまた、ある意味ではしっぽの白いパンダ以上にリアルな存在でもありうるのではないか・・そんなことを考えました。
日常のちょっとした気付きから読者を様々な思索にいざなう、興味深い作品でした。評価は佳作です。
●温泉郷さん「守り神」
温泉郷さん、こんにちは。子どもにとって、夜の家というのはいろいろな想像をかき立てる未知の世界ですね。私自身、布団の中から薄暗い豆電球に照らされた天井を眺めていると、羽目板の木目が得体のしれない怪物の顔のように見えてきて恐ろしかったのを覚えています。
この作品はそんな子どもの心理を巧みに描いた詩ですね。でもこの詩では、天井裏に潜む「何か」は実は恐ろしい存在ではなく、「子ども」を見守り助ける「守り神」だったという展開が意外でもあり、心を和ませる内容になっています。しかも、その「何か」が良い存在なのか悪い存在なのかは最終連に至るまで明かされず、サスペンスが持続する構成になっているのが効果的です。「守り神」というタイトルで最初に種明かしがされているとも言えますが、逆にこれがないとどういうことなのかわからずに終わってしまう可能性もありますので、このタイトルはこれで良いと思います。
子どもは成長するにつれて、かつてその実在を信じていた幻想的な世界に興味を失い、恐怖も感じなくなる。けれどもその「何か」は子どもの心の中に生き続け、しかも成人した後も人生の中で時々助けを与えてくれる・・。その「守り神」が実在する何かであれ、子どもの心の中だけに存在する想像上のものであれ、そういうことはあるのかもしれませんね。だれの心の中にも、そういった「守り神」はいるのかもしれません。
一つだけコメントさせていただきますと、最終連で突如「君」が登場します。これが前の連まで一貫して言及されてきた「子ども」であるのはすぐ分かるのですが、やや唐突な感じがしますので、この行「成長した君を」を「かつて子どもだった君を」としてはどうかと思いました。もちろん「成長した」でも同じことを言っているのですが、「かつて子どもだった」の方がややつながりが自然かと思います。ご一考ください。
懐かしさを感じるとともにどこか心温まる、素敵な詩でした。評価は佳作です。
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以上、2篇でした。2024年もあとわずかですね。今年もたくさんの素敵な詩に出会うことができて感謝しています。島様はじめ、皆様には大変お世話になりました。どうぞ良いお年をお迎えください。