★3日連続・年末スペシャル★「囚われの地名」(上) 12/27 三浦志郎
―この歴史を教えてくれた妻の機転と配慮
そしてこの地で生死した外国人のために―。
一 「きっかけ」
戦国期 小田原北条一族の
ゆかりの寺のひとつである
今 私はその寺にいる
龍宝寺という
この寺のもうひとつの歴史
奇妙なもの
日本の寺ながら
外国人の為の卒塔婆がある
供養されている
ここから始まる「詩」物語
妻がパソコンで地元ネットスーパーの記事を探していた。いろいろ見て回るうちに、手許が狂ったのだろう。あらぬ地元記事を引いてしまった。この町に戦時中にあった施設の事である。妻は私が歴史に興味あることを知っているので、その記事を知らせてくれたのだ。「ねえ、こんな記事、出ちゃったんだけど、知ってた?」―こう書かれていた。
「戦時中、神奈川県鎌倉市大船に“秘密”の捕虜収容所があった」
衝撃だった。私はこの地に生まれて今まで七十年近くを過ごして来たが、その事を知ったのは初めてだった。
そして強く思った。 恥ずかしいことだ。こんな風に―。
(自分は何のために、この地に産まれ、今まで生きてきたのだ!?)
私はこの収容所の事を調べた事実で書きたい。余地ある部分のみフィクションを用いよう。それもなるべく大筋を外さず、
“あったかもしれない”ものでありたい。歴史小説の手法を、詩の世界に活かすつもりで―。
二 「虐待」
現在 この地
神奈川県鎌倉市 大船駅西口側
大船観音の背後にあたる地域
少し歩けば もう横浜市
近くには
小田原北条氏が築いた玉縄城祉
そして くだんの龍宝寺
近くに 栄光学園 清泉女学院といった名門校あり
いわば郊外
歴史地区・文教地区・住宅地区
そんな土地柄である
*
(通訳 同席)
B29爆撃機機長・エルビン・コゾフィー大尉……だな?
正直に答えよ
B29一機の爆弾種類と搭載量はいかほどか?
私の認識番号は「11-246-375 BLOOD TYPE A」
そんなことは聞いとらん! 爆弾のことだ!
質問を変えよう 無事でいたいなら吐くことだ
たとえば サイパン島でのB29の標準配備機数は?
私の認識番号は― (以下 何度か同じような問答の繰り返し)
馬鹿者! わしを愚弄するか!
命惜しさに捕虜になりおって 笑止千万 恥を知れ!
ボカッ!(大尉を殴る)
ムム ウウウ……ワタシ…の ニ・ン・シ・キ・……
こいつ しぶといな
おい ムチで打て 独房行きだ 吐くまでメシは与えるな!
軍医殿―
ジョーンズ軍曹ら数名が熱を出していますがー
ヤツらめ 知恵熱か そのうち下がるじゃろ
大丈夫でありますか?
下士官は大した情報は持っとらん
氷嚢でもぶら下げておけ
捕虜はどいつもこいつも図体だけはでかくて頑健じゃ
そのうち熱も下がるじゃろ
心得ました!
おい 炊事人―
捕虜どもが「我々に木の根を食わすのか!」と騒いでおるぞ
ここには肉などないですよ ごぼうは日本伝統の食い物だと言ってやって下さい
俗に「大船捕虜収容所」。対外的な名称は「横須賀海軍警備隊植木分遣隊」
(「植木」とは大船の一地区。住所から取っている)。龍宝寺という寺の向かい側にあった。 昭和十七年四月開設。国際法上、無届けの収容所だった為、秘密とされた。そんな事情が表向きの名称にも表れている。ここは普通の収容所と違い、捕虜から軍事機密を供述させる為の、いわば「“吐かせる”施設」と言ってもいい。二~三か月の拘留が多く、供述後は別の収容所に送られた。黙秘や偽証言をした捕虜への虐待は峻烈だった。加えて食事と医療に怠慢だった為、六名の死者を出した。捕虜収容所と言えど人間生活の場である。
必要最低限のものはあった。大部屋と独房。トイレ・シャワー室・洗濯場・その他バレーボールコートなど。昼間は外で過ごすよう命令された。下士官は防空壕掘りなどの労働、将校は尋問。洗濯や体操・バレーボール・コーラス練習などで過ごした。温暖な地とはいえ、冬は寒かったことだろう。あとは虐待。それは精神面にも及んだ。ささいな事での平手打ちなど日常的に行われた。この施設に関わった多くの日本人が戦後横浜軍事裁判で有罪となった。その中には主任尋問官で判決後、約十二年の刑期を終え著名な戦記作家となった男がいた。軍令部員の彼が捕虜虐待を命じたことはまず間違いない。
つづく。