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スレッドNo.4956

焼失或いは喪失  上田一眞

(昭和四十年十二月)

中市(なかいち)の米屋の横に     *1
本家があった
お使いで
本家に行くときは少しだけ緊張したが
楽しみでもあった

  おばあ様 一眞です
  お餅を届けに参りました

   まあ かず〜さんいつもありがとう
   上がって上がって
   お茶を差し上げましょう
   お饅頭もあるのよ

独り暮らしの優しいおばあ様
小顔で和服が似合い
気品がある
出石(いずし)の出身だと聞く  *2

でも 名前を覚えてもらえない
かずまさんでなく
いつも かず〜さん

  おばあ様 かず〜さんはやめて
  かず〜さんって
  物乞いに歩く人のことですよ


今は亡き当主であるおじい様は
元外交官
在ブラジル日本領事館に奉職されていた

この家は宝の山だ
いつ訪れてもワクワク

広い屋敷の二階にあがると
黒ずんだ壁に
黒い大礼服と
ナポレオン風の弓の形をした帽子が
ぞろりと掛けてあった

書架には和洋の
分厚い書籍がずらり並ぶ
壮観だ

陣笠や槍 大脇差しもあった
裃も…
井桁に木瓜の家紋はわが家と同じだ

おばあ様は目を細め 往時の
おじい様との日々を思い出すように
語った

   あの人は
   外国で珍しいものを見つけると
   必ず送ってくれました
   蝶を集める趣味を持っていましたのよ
   標本にして飾っていました
   とても綺麗でした

   かず〜さん
   いつも来てくれてありがとう
   あなたは優しいし
   明石にいる孫に
   雰囲気がとてもよく似ているの
   



(他の親戚にお餅を届けた帰り道)

あっ 鼬が走った
鼠も道に飛び出して来た

    火事だぁ
    火事だぁ!

と叫ぶ声
みるみるうちに火が廻り
本家は
煙と火炎に包まれた

僕は叫んだ

  ああ 大変だ 中に
  おばあ様がいるんだ
  ・・・

乾燥しきった大気に
メラメラと燃え上がる紅蓮の炎

消火はいっこうに捗らない
火が風を呼び
家屋は昼夜燃え続けた  




(それから三年の後)

故郷を後にする 前の日
僕は本家の火災現場に立った
焼け跡は片づけられ
屋敷の姿・形はない

火に巻き込まれ
亡くなったおばあ様
そして
あの宝物もすべて灰になってしまった

おそらく
明治の藩閥政治に繫がっていただろう本家
貴重な遺産が失われた
火事が憎い


焼け跡に
無常の風が吹く

鶺鴒が一羽 昏きところより
ちょこちょこと走り出た

 ピピピ〜ィピッピ
 ピピピ〜ィピッピ

  あれぇ あの顔 あの目
  おばあ様に似てらぁ
  鶺鴒に姿を借りて
  僕に会いに来てくれたんだな

改めて深い喪失感に襲われ
眩暈で
地べたにしゃがみ込んだ
そして 瞑目して囁いた

  さよなら さよなら
  おばあ様 
  一眞もこの地を離れます
  どうぞ安らかに
  お眠り下さい

優しく
慈愛に満ちた貴婦人
忘れ得ぬ人の一人だ




*1 中市 山口県防府市富海の中心地区
*2 出石 兵庫県豊岡市の城下町

編集・削除(編集済: 2024年12月28日 05:14)

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