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スレッドNo.4957

★3日連続・年末スペシャル★「囚われの地名」(中)12/28 三浦志郎

三 「ひとつのエピソード」

世界に存在する光と影
人間社会にあり続けるアメとムチ
この捕虜収容所も例外ではない
これは小さな”光とアメ“のはなし

捕虜の一人にベルリンオリンピック長距離走で入賞した者がいた
ルイス・ザンペリーニという将校 元B24爆撃機の乗員
収容所の命令で近隣小学校の運動会で
模範の走りをすることになった
他の捕虜たちも見学を許された
子どもたちはその堂々とした走行姿に感動し
大きな拍手を送ったという
彼に賞品が贈られた
粗末な皿にのった二本のさつまいもだった


あたし 先生に
走ったがいこくのへいたいさんに
おいもをわたすようにいわれた
からだがすっごく大きくてこわかったけど
あたし うんとがんばってわたした
そしたら そのへいたいさん
「アリガ~~ト」って そういってわらってた
だから ちょっとあんしんした
そしたら そのへいたいさん 
あたしのほっぺにいきなり口つけてきたの!
あたし びっくりして 
こわくなって
べそかいてもどった!


高い塀と有刺鉄線に覆われた内側
過酷な尋問と制裁
その外側では
ささやかながらも住民との触れ合いはあった
この落差は一体何であったろう
いくつかのエピソードが
土地の古老によって今も語り継がれているようだ



四 「解放」

ザンペリーニ運動会出場の例のように、ごくまれに訪れる外界との触れ合い。収容所に対して“従順で協力的な”者には江ノ島や鎌倉大仏への遠出も許された。もちろん所員の同行・監視付きだが。行楽と虐待。塀の内側にもアメとムチはあった。そして、この奇妙で悲惨な生活にも終止符が打たれる時がやって来る。


時の使者が彼らに朗報
解放を告げにやって来る

すなわち昭和二十年八月十五日
終戦 日本の降伏
所員と捕虜の
立場も運命も逆転した

一枚の写真がある
咥えタバコに憮然とした表情で出所する元捕虜
昨日までの支配者が深々と頭を下げ謝罪している
気の荒い者はその謝罪の頭を蹴り上げたかもしれない
人間として けっして美しい光景ではない
世界がその浅ましさを見つめる

一枚の写真がある
大船駅構内
元捕虜がタバコを吸いながら電車を待っているようだ
表情は軽やか
電車を乗り継いで厚木に行き
そこから味方輸送機で帰還の途に就くのだろうか
かなりの拷問を受けたエルビン・コゾフィー大尉も無事帰国しただろうか?


この収容所での死者は六名で他所と比べ多くはない。さりとて許されるべきものではないが。ここはひとつの収容所としては、三十名近くの戦争犯罪人を出した。異例である。おそらくこの施設が国際的に無届け、極秘だったのがその原因と思われる。現場の所員が虐待に手を下したのは、もとより罪ではあるが、彼らは上官の命令に従ったに過ぎない。抗命したり手加減すれば罰せられるのは自分たちだ。真に断罪されるべきは、施設を極秘にし虐待を命令した軍上層部であるのは間違いない。「大船収容所事件」。この国が持った不正の意志である。



                                      *厚木……神奈川県中央部に位置する市。
                                           終戦後、マッカーサーが降り立った
                                           土地。


                                                   つづく。

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