★3日連続・年末スペシャル★「囚われの地名」(下)12/29 三浦志郎
五 「後年」
ルイス・ザンペリーニのことである。彼は大船に約一年間留め置かれた。ここでは異例の長さである。彼が大船に長く拘留されたのには理由がありそうだ。正規の収容所に移せば、国際赤十字に国籍・軍籍・階級・人名が申告され、初めて“正式な捕虜”として本国に通知される。非正規の大船に留め置くことは、”行方不明“であることを意味する。ある意味、著名人のザンペリーニを行方不明状態におくことで、アメリカ人に不安を与え、戦意を挫く狙いがあったらしい。その後 東京の大森収容所(今の平和島付近)に移された。彼の捕虜生活は、さらに過酷になっていった。が、運は彼を見放さない。やがて日本の降伏。
終戦後 彼はある男を憎んでいた
移転先の東京・大森収容所で彼を執拗に虐待した日本人
その男には任務を越えて
ある種 嗜虐癖があった
ここでは名を伏せよう
男は終戦後逃亡し続け戦犯をのがれ
結果として平成十五年まで生きた
ザンペリーニは終戦後 結婚して一家を成し
終生 静かな一市民であり続けた
その男とザンペリーニ
戦後という同じ時間を生きながら
その生き方の違いは一体どういうことだろう?
だが
彼は時の流れと持ち前の信仰心で
(今はあの男を許そう)
その日本人への気持ちである
時の流れとは
穏やかな方向に向かうものらしい
彼はその日本人に
面会を求めたが
男は拒み続けた
(仕方あるまい)
二人は戦後ついに会うことはなかった
不幸かもしれない あるいは
人生のひとつの姿なのかもしれない
ルイス・ザンペリーニは
その名から連想するようにイタリア系アメリカ人である
大船収容所時代に小学校運動会に呼ばれ
模範の走りを見せたあの男
彼は世界が認める優れたランナーだったのだ
遥かな後年
戦後五十三年
平成十年の冬季長野オリンピックの聖火ランナーに選ばれた
来日して新潟県上越市内で見事な走りを披露した
その大役を果たした彼には
ぜひとも訪れたい場所があった
かつて捕虜として一年を過ごした鎌倉市大船
その今を見届けたかったのだ
収容所は跡形もない
大部分が住宅地になっている
その変わりように彼はやや茫然とした
のどかだった
裏山だけが当時を語るように残っている
その山に収容所で死んだ六名が埋められたが
終戦と共に故国に帰還 改葬された
彼は道路隔てた向かいにある龍宝寺を訪ねた
この地で亡くなった六名の捕虜の霊を弔っているという
ポツンと一本 卒塔婆だけが立っている
花を手向け拝礼
六名の中に彼の部下がいたのだ
(ドナルド“フィーリー”ジョーンズ軍曹 おれだよ ザンペリーニだ 会いに来たぞ)
ここは玉縄小学校の校庭
戦時中 彼・ザンペリーニが模範に走った運動場だ
(ああ ここはよく憶えている
ゴールした後
子ども達が盛んに拍手してくれた
小さな女の子が出てきて賞品を渡してくれた
ひととき 戦争のことは忘れたのだ
SWEET POTATO 日本でいう“さつまいも”
そのプレゼントの貧相には驚いたが
甘くて旨かった記憶はあるな)
「SATSUMAIMO サツマイ~モ サツマ~イモ!」
彼は何度かその言葉を言ってみる
なぜか可笑しみと親しみがわくような気がした
(手渡しに来てくれた女の子
すごく小さくてショートヘア
敵国人でいかつい私が恐かったのだろう
貰ってすぐに
頬にキスしてあげた
渡してすぐに
振り向きもせず駆け去った
その後ろ姿が妙に可愛く
今も懐かしく想い出される)
(その子 名も知らず
今は顔もわからないが
どうしているだろう いくつになった?
幸せならばいいのだが―)
この地を再訪したザンペリーニは
“あの時間”へのピルグリム(巡礼者)でもあったろう
日本での過去と現在の
時間全てを受け入れ
彼は帰国の途に就いた
六 「私自身」
時代はさらに下って
戦後七十九年
私自身
この地域を歩き回った
ザンペリーニはじめ
この地で戦争に翻弄された人々を思っていた
すでに史跡としては跡形もない
石碑ひとつない
収容所跡は住宅地でしかない
この”何もなさ“は
(国にとっての不都合は全て消し去ろう)
私にはそんな思惑が働いたように思われてならない
今 私はその寺にいる
龍宝寺という
外国人捕虜六名の卒塔婆をお参りした
合掌
か細い花が供えられていた
それがかえって哀れを誘うようだった
このたった一本の木札によって
全ての贖罪が終わったとでもいうのか?
それとも この一本に
心からの謝罪を込めたのか?
私にはわからない
が 年に一度 お盆には
供養されるのは幸いだろう
今はのどかなこの地に
かつて 人間の尊厳を問われる
重大施設・重大事件があったのだ
(多くの人がこの歴史を知らない)
そのことに心を残しつつ
私は寺を去った
ついこの間まで私自身も知らなかったのだ
もう一人の自分がつぶやく
(おまえは何のために この地に産まれ 今まで生きてきたのだ!?)
完
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〇付記。
この作品に登場したルイス・ザンペリーニの伝記映画が存在する。アンジェリーナ・ジョリー監督作品
「不屈の男アンブロークン」である。 アメリカではヒットしたが、日本では上映か否かで賛否が分かれた為、規模縮小して
2016年2月に公開された。
本作は妻のちょっとしたPC打ちミスがきっかけだったが、このひとつの土地に多くの周辺事情が横たわっていたのを実感した。
さながらドラマのようだった。
本作の登場人物の名前はルイス・ザンペリーニ以外、全て架空です。
実在の人物とは一切関係ありません。地理・地名・背景等は全て実在です。
長々とスペースを取って、ご迷惑をおかけ致しました。
本作は島 秀生氏の許可・協賛を頂き、掲載致しました。 ありがとうございました。
皆様 今年一年、誠にありがとうございました。 では、また。 どうぞ、よいお年を。