孤独の舞踏 佐々木礫
憂いなく、平生な心象の暇を捉えては、
過去を覗く、俺のこの目に映るのは、懐かしき田舎の少女の姿。
小麦色の肌の彼女の髪は、日差しに晒され、乾いていたが、その山暮らしの風貌は、誇り高き、快活さの象徴。
彼女の、滑らかな額の奥に息づいているのは、リン酸カルシウム、アミノ酸?
しかし、俺の悪い目に、微細な組成など見えやしない!
または、微生物の集合か?
細胞内共生説と、マイクロバイオーム的人間像に、ロマンを感じることもあるが、
化学を学ぶ熱心さはなく、俺はどのみち、錆びた時計の歯車を回すように、荒削りの観念体系を働かせ、美的解釈を絞り出すだけだ。
ああ、濁りえない、あの高貴。
彼女にこそ、俺の観念の主要な住人、「人間」という言葉は躍る。
その言葉は、それまでしかめっ面で、部屋の隅っこで足を抱えて座っていたのに、「今日は君が来る」と伝えれば、庭先でせっせと踊り始めた!
まったく、ただの強精剤、酒の代わり、脳世界の湯浴み、そういうものだと俺が言っても聞きやしない。
本当に、彼女が来ると勘違いして、粋なウェルカム・ダンスを撒き散らす。
***
今日も思春期を振り返り、
うわ言ばかり呟いている。
果たして俺は「厨二病」?
しかし病人の見る景色、それは儚く美的な世界!
俺は「嘘つき」の代名詞?
ありもしないことわんさかと、それは人類の代名詞!
あるいは「無能」?
いや待て、俺はしっかりと生きている。爛々とした、この双眼!
真正の詐欺師は目が澄んでいる?
はて、死体の目玉は濁ると言うが、あなたの目を良く見せてくれ!
その時、小さな礫が一つ、街ゆく群衆の中から俺の頭に飛んできた。かゆい、と頭を掻いた時、「こどく」と誰かが呟いた。
俺は束の間、微動だにせず耳を澄ました。すると、彼らの会話が鮮明に聞こえて来た。
「そんなことを、言ってはいけない」
と真面目な声で男が言った。
それに同調するように、
「そうだよ」
と申し訳なさを滲ませた声で女が言った。
しかし、(いや、そして、と言うべきか、)クスクスと、そこに含まれた無意識の嘲笑は群衆中に広まった。
(ひとりね、ひとりだ、あの人、ひとりよ。)
被害妄想。そう片づけるのは簡単だ。しかし真実!これを前にして俺はどうする。
身体を滅茶苦茶に捻りながら号泣するか?
それとも、「孤独で結構」と、大見得を切って闊歩する?
いいや、何も聞かなかったことにして、怪人百面相よろしく、彼らの顔を盗もうか!そしていつしか自分の顔を、忘れ去るまでひたすらに待つ。
(Nonsence !)
徹底抗戦。
俺の血液は沸騰し、この弱虫を消し去ろうと、この口から出る言葉は怒りに満ちた。
そして、ああ、肌には火傷の水膨れ。その熱は、俺の身体の根幹を蝕み、隔離されるべき感染症患者の様相を呈した。
これが、
「自らの内に燃える炎こそが、明るい希望の象徴なのだ!」
と、拳を握り強気に笑った、あの無邪気な、十六歳の少年の結末だった。
(今や、俺が消火しようにも受け付けず、水を掛けても無駄なのだ。今も隔離された別世界から、彼が油を注いでいる!)
そして、
既に焼き切れた恐怖感覚は働かず、「遠のく現実」に失望し、死ぬべき時を考えだした。
「炎の中に希望を見出す人間の、唯一の誉れある死に様は、火達磨として、勇敢の内に死にゆくことだ!」
そんな掛け声に、熱心に耳を傾けた。
***
大人よ、支配者よ、卑小な者よ!
俺は一人で詩を書いた。意気揚々と詩を書くが、
その喜びを、あなた方と共有することはできなかった!
あなた方は感情の中で随一に、
生まれたときから息をしている敏感な嫉妬で、
誇り高き子供らを、ゆっくりと解体していく。
しんみりと、それはしんみりと、
「死んだふりも、死ぬまで続ければ、いつかはものになるものです」
なんて、言い出す時も近いかな?
狂気の沙汰だ、俺と同じかそれ以上!
そんな俺の不機嫌を見て、
「それでも生きることが大事」
なんて寝言をほざきやがる。
話をそらすな。生きていることは前提だ!どこだ、お前の生を彩るための、感情的な理性は。そんな、パンに生えたカビのような侘しい理性ではなく、熱い血液を伴う理性!
俺は、矛盾も虚言も恐れはしない。
だから、
あなた方をも恐れず、
言うべきことは言っておこう!
あなた方は、自己防衛の手段を厭わない。
正しき者の振りさえする。
批判、否定、しかめっ面。
笑わせる!真面目ぶった、その表情!
寺の鐘を溶かして兵器にするように、
俺の天才をも溶かして、あなた方は、
いったい何を創り出そうと言うのだ!
そんなことを宣う俺を、憐みの目で見つめたな?
ああ、その本性は血も涙もない能面の癖に、汚れた涙を流してからに!
「その憐憫、表現すべからず」とは、人間世界の最初の規律。
それを破った貴様らは、
討たれた獣の死に様と、喰らう獣の無慈悲さを、
端から「野蛮」と煙たがり、その血の誉れを知らずにいるのだ!
***
ああ、疲れた。
その無質量にも関わらず、言葉は重い。
「ただより高いものはない」
そんな金言を、思い出さずにはいられない。
午前3時を犠牲にして、
これだけ「吐き切った」と思っても、
小麦色の肌の彼女が、
きらりと光る眼で俺を見ながら、
その細い首を僅かでも傾げたならば、
俺は笑ってこの詩を破り捨て、漫画の話を切り出すだろう。
ここまで重く、かつ無価値なものが他にあるか?
俺は思う。
もう詩は止めて、愉快な踊りでも踊りたい。
黒い帽子に黒い靴、黒いズボンに白いシャツ、俺は衣装に身を包み、練習した必死なタップダンスを、彼女に見せてあげるのだ。
「変な踊り」
と彼女が笑ったなら、調子に乗ってタップを早める。
その後は、二人で流麗なワルツを踏んで、時の流れを共に愛そう。過去の出会いと、共有されたひと時の時間と空間、それらを思い出しながら、今また触れ合うことの喜びを、回転動作に乗せて表そう。
最後は、そうだな。
俺の激しい太鼓に合わせ、彼女がサンバを踊るのだ!
そして、心行くまで愉しんだなら、
「疲れたね」
と一緒に笑い、青天井を仰げたら、
他の全部を諦めたって、釣りが来る。
***
ああ、
「君がいないのに踊っている」
そんなことは、あいつに言われるまでもなく知っているんだ。
僕はむしろ、
「君がいないから踊っている」
架空のダンス、
その最中はなんだってできる。
しかし、その後に来る息切れは、
どうしようもなく空しいものだ。
余韻と共に薄まるその顔を、
僕はもうすぐ忘れてしまう。
「また会えるよね」
と聞く朧げな君の顔を見て、
頷くこともできないままで、
問と解の箱庭、
単純明快な現実世界、
孤独の舞踏へ舞い降りる。