妄想の海 相野零次
男は日々 何もしたいことがなかった
だから男は 妄想の海の底に沈んでしまいたかった
だがそれは出来ぬ相談だった
どう足掻いても浮き上がってしまうのだ 目が覚めてしまうのだ
意識の覚醒は男にとって喜びではなかった
いつまでも微睡んでいたかった
詩を書いたり読んだりすることが男は好きであった
脳の深い底の方が刺激されるようで
その感覚が心地よかった
しかしそれも一日中できなかった
とても疲れるからだ
疲れたなら休めばよい
詩を書いては読んでは疲れて眠る
それが男の休日の主な過ごし方であった
妄想の海へ飛び込む毎日のなかで
男は何かを考えている
その何かが男にはわからない
未知なるものが秘められている
その秘められた何かを掴むことこそが
妄想の海での役割だ
男には他の生きとし生けるもの全員がそうであるように
この世で与えられた役割を背負っている
その重みからは逃れられない
だからこそ妄想の海へ沈むことができるのだ
その重みが無ければ男には永遠の覚醒が待っているのだろう
それはあるいは死と呼べるものかもしれない
男は生きている
役割を背負って生きている
そのなかで妄想の海へ飛び込むことは
男のささやかなしかし大いなる喜びなのだ