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スレッドNo.5033

感想と評 1/10~1/13 ご投稿分 三浦志郎 1/20

1 上田一眞さん 「雪の華」 1/11

久し振りに純粋抒情詩系が来ました。風景としては3連と4連で変化がつきます。白と赤のコントラストも映像的に浮かんで来るでしょう。雪にも多彩な側面がありそうですが、ここでは、その「閉ざされ感」「寂寥感」に人の世と人生の儚さのようなものを託しているようです。「人生ははぐれ路」は、ちょっと演歌のタイトルのようで面白いです(あ、失礼しました)。やはりこの詩の基調となるのは終わり2連と推測できます。正統的な抒情であり、ややオールドファションド。それが良い方向に働いて、味わいになっているのは確かです。(年輪とでもいうのかな?)少し地味な気はしますが、こういった詩に地味も派手もないでしょうから問題ないです。佳作を。


2 森山 遼さん 「大審問官」 1/11

僕は不勉強ながら「カラマーゾフの兄弟」を読んだことがなく、従って、それに所収された大審問官
も無知で、この評を書くことはひとつの調べと勉強でありました。ふたつに分けて考えます。

1 「全世界に広がった」まで。  2「それ以降」。

1はほぼ、この叙事詩のあらすじに沿って書かれたと言えます。すなわち、大審問官がキリスト教のはらんでいる矛盾を突き、その怒りと絶望、さらには自説披瀝に長広舌を振るいます。キリストを相手に、です。にもかかわらず、キリスト教は広く布教され、矛盾・苦悩を抱えながらも全世界を覆うに至る。このあたりの展開も極めて常識的であり正道を踏んだ解釈であり記述です。難しいのは、2、で、僕の勝手な解釈では、多くの場合、対句によって成立しているようです。すなわち「救い⇔崩壊」「意味⇔存在」「喜ぶ⇔泣く」などです。このパートこそ森山さんの思考・主張と目されるのですが、ここがなかなか難しい。極端に言ってしまうと「意味=教義」は空疎で、キリスト教という名としての存在が残る、と取れなくもない。「相克⇔超克」をはらみながらも、良くも悪くも人類は未来を目指す。そんな感覚を受け取っています。最後は仏教概念で締めたのが面白い。ここにも「因⇔縁」の二大構成要素がある。結局、本質は全て「空」である、が結論なのかどうか?なんだか自分でもよくわからなくなってきたので(笑)、この辺で。壮大なテーマなので、書き切れていない部分もあるのでしょうが、その雄大に挑んだ志、諒としたいです。甘め佳作を。

アフターアワーズ。
他の読み手の皆さんへ。
大審問官がキリストに対して説教したのは小説「カラマーゾフの兄弟」の中のフィクションです。


3 山田貴志さん 「諦めるな」 1/11 初めてのかたなので今回は感想のみ書かせて頂きます。

まず書き方として、タイトルと名前を「新規投稿フォーム」の上から3段目「タイトル」の項目に説明の通りに書いて頂き、「メッセージ」の項目には、いきなり本文から始めてもらえばいいと思います。

エッセイ寄りの詩と見ました。かく言う評者もなかなかの老人でして、この詩を読んで頷くことしきり、でありました。この詩を読んで逆算すると、若さとは全ての美徳の源、そんな気がします。しかし不幸にも!(涙) もはやそうではないから、の終わり2連という気がします。
「無理しない」と「我慢しない」は時と場合によっては対立概念になる場合もあるでしょうが、これらを並立させたのも面白いです。終連は大事ですね。タイトルの付け方が面白いですね。少し詩的濃度を加えて、また書いてみてください。

アフターアワーズ。
僕の場合、もうひとつ加わります。「余計なことはしない!」。あと、月1回、医者にかかってますが、運動はいつも勧められますね。
御詩の通りです。


4 佐々木礫さん 「孤独の舞踏」 1/12

便宜上「***」毎に区切って連番を振ります。

1……少女(=彼女)の属性、彼女への(俺の)想い、期待が綴られる。この詩の主題とも言うべき「4、5」と繋がり、導入であり前振りであり順接部分。

2・3……僕には何のことか、理解できませんでした。過去(思春期の頃?)へのちょっと乱暴な回想・他者や世界との自己の関係性・大人世界への反逆。そういったことをわずかに感じました。
詩行に正調な脈絡がなく、奇妙に拡散するばかりの気がします。あるいは、これらもタイトルの如く「精神の孤独の舞踏」といった隠喩であるかどうか?いずれにせよ、これらの連で読み手をどのくらい引っ張って来れるかは甚だ疑問で、この詩全体にとって心配になりますね。

4・5……これら連こそが、この詩の主題であり、「1」と直接、連結されるべきだと僕は考えています。ただ、その際には「4」冒頭の3行くらいは連結用アレンジが必要になるかもしれません。
結局「俺」はその「彼女」とは会っていない。会った時のことを想像世界にして層々と築きあげている。だからこその「孤独の舞踏」。ところで「5」に出てくる人物すなわち「君・僕・あいつ」ですが……、

君……「彼女」のことを直接セリフで言い換えた→納得。
僕……今まで「俺」と言っていたのに、「僕」とある奇妙。
あいつ……突然登場。そも、何者か?

この件については謎、疑問として残るわけです。
再度、戻って「2・3」。このパートはこの詩に何をもたらしているのか、が僕にはどうしてもわからない。別の話柄、これらで別のもうひとつの詩にしたほうがいいように思えるのです。
せっかく懸命に書いてくれて気の毒ですが、僕だったら削除して別途作品、別途機会にします。
ただし、あくまで参考意見です。スルーされても問題ありません。記述、表現は極めて巧みでユニークなものです。その運用が少し違う、というのが僕の意見で、佳作二歩前です。


5 詩詠犬さん 「ひとコマ」 1/12

“ひと”言で言うならば、この詩は人・物・事・時間・世界を形成する“ひとつの成分”を思考していると言えます。ひとつが無ければ全部は成り立ち難い。そのことを言っています。大事なことです。
その意味では、この詩は真理を言っていると言ってもいい。とりわけ終わり2連はこの詩の華になります。過去と現在を繋いできた時間の一粒一粒。そして未来へと始まる新たな「ひとコマ」のことです。次いで文体について書きます。僕は理由なきひとマス空けの多用には否定的です。コアなフレーズにならないからです。それが多いということ。が、同時にこうも考えています。
「タイトル“ひとコマ”を意識し演出するが為に多用した」。それならば、受け入れられるのです。
要はその人なりの理由が欲しいのです。あと「生まれ 出ずる」 「きた」 「始まろうとしている」の×2、ですが、何か言い換えをして、バリエーションを増やしたい気はするのです。ただしこれは多分に個人趣味的なことですので、あまり気にせずにー。 佳作一歩前で。


6 静間安夫さん 「存在」 1/13

存在といった概念を具体的光景によって語る。しかし、それが実際に何であるかは敢えて語られない。そこがこの詩の肝でしょうね。詩の流れからして、たぶん鳥だったのでしょうね。しかしそれだけでは詩として面白くない。そこで静間さんが目を付けたのは、以下のような思考ではないかと想像されます。
「飛ぶ、歩く、走る、行動する。それらが何者であれ、不明である以上、もはや”存在“としか呼びようがない。すでに一瞬の過去に属し永久の謎に属する。そしてその不明存在は人間の感受性に大いに刺激を与える。特に詩人に、静間さんに。それは余韻であり、想像力である」―こんな感じですかね。僕はここに出て来る音も、ひとつの存在証明になっていると思うんですね。佳作を。


7 飴山瑛さん 「水ぶくれ」 1/13  初めてのかたなので今回のみ感想だけ書かせて頂きます。

よろしくお願い致します。この1作だけを見る限りでは、少し抽象寄りのかたでしょうね。
この評を書くにあたり少し条件があります。以下のようなものです。「抽象」という言葉もあくまで便宜的に使います。

〇 抽象部分とは、読み手は感覚読みすれど、その感想を言葉にするのはなかなか難しい。
〇 評者の自己解釈(主観)である点

このふたつを踏まえて(違うな……)と思ったらスルーしてください。 では以下が本文です。

この詩は意外と叙景されているんです。下記のようにー。
寝覚め→樹々と光→山の佇まい→外に出て歩き出す(枯葉・雪)……といった具合です。
で、面白いのは、自己の状態や想いの部分は(便宜的に言って)抽象化傾向にあり、多くの場合、連の後半に随伴している。「この部屋は/ぬるいまま」。「影の形~冷たいままに」「心臓だけが~立ちつくしている」「輪郭は~ひとり」「指先が~よろこぶ」、などです。これはなかなか面白い構図と言えます。いっぽう4連は前半部分にあって、極めて独立的なのですが、僕の解釈では、終わり2連への(あなたへの)伏線と見ます。ここまで書いて来て、僕の中で少し変化が起こりました。
初見時、(これは抽象だな)と思っていたのですが、今は(意外と抒情だな)と思い始めた点なんです。こういった変化というのは読み手(評者)の中で割と起こることなんです。してみると、上記した後半の例は抒情エリア内での「極めて現代性を帯びた表現個性」。僕はこれを「無関係性の中に生じる関係性」と呼んでいます。これを差し当っての結論としようと思います。タイトルの付け方も面白い。総じてなかなかいいと思います。また書いてみてください。


8 樺里ゆうさん 「青い川」 1/13

「青い川」といった形容は相対的であり、それゆえ主観も大いに入ってくるでしょう。しかし作者さんがそれを感じ詩にしたのですから、この文脈で読みましょう。「まさしく空を映した鏡のようだ」―この感動を梃にして味わいましょう。空と完全に一体化してしまった川の美のありようでしょう。
「そう/平野を流れる広い川は/空の色を正直に映し出すのだ」―このあたり、ややメカニズム的な理由付けになりそうです。なるほど、広く長い川を俯瞰的に見ると、より青みを増す可能性がありそうです。転勤のこと、出張のことなどから、この詩は全て事実に違いありません。してみると、仕事の身も心和むことでしょう。 久し振りということなので、今回は感想のみで、これにて―。
また書いてみてください。

アフターアワーズ。
斐伊川を調べると出雲市らしく神話もあり、代表的な天井川(川底が地面よりも高くなる)だそうです。画像も見ましたが、なるほど青く見えるものも多く、まあ、フツーに見えるものもありました(笑)。


評のおわりに。

先日、ある詩人主宰の研究会に行ってきました。合評会+テーマを決めての座談会でした。
そのテーマはズバリ 「谷川俊太郎」! 僕は彼の短詩形のみ集めた「ミニマル」についての興味を発言してみました。
「短詩こそ難しい」と言われる中での谷川氏の方法論です。そこから言葉の磁場というか影響力を受けられるような気がしたからです。  
では、また。

編集・削除(編集済: 2025年01月21日 18:25)

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