切子の器 静間安夫
ひとり裏町の路地を
散策している途中
たまたま立ち寄った古道具屋の
奥まった棚の上で
それは煌めいていた…
「クリスタル江戸切子
矢来紋 酒器三点揃」
いったいいつから
そこにあったのだろう―
まるでわたしが見つけるのを
待っていたかのよう
江戸の情緒を豊かに纏った
瑠璃色の器に
わたしはすっかり
魅入られてしまった
財布の中身を
あらかた はたいて買い求めると
大急ぎで、けれども
大切に割らないように
それこそ細心の注意を払いながら
アパートの部屋に持ち帰り
こうして
座卓に置いて眺めている
窓から差し込む
冬の夕陽は
刻一刻と衰えていくけれど
かえって
切子の瑠璃色は深まり
いっそう温かみを増してくる
殺風景な ひとり暮らしの
わたしの部屋に
ほのかな香りと彩りが
添えられたよう―
いつまで眺めても
見飽きることはなさそうだ
今、このときも
ついさっき点けられた
蛍光灯の明かりを受けて
矢来紋の周りに
光の煌めきが
幾つも幾つも戯れている―
夕陽に照らされていたときとは
まったく別の姿に見えるのだ
ガラスであるがゆえの
この変幻自在の美しさこそ
切子の器の本領ではなかろうか?
些細な衝撃で
粉々に砕けてしまうかもしれない
不安と引き換えに
切子が手にしている
脆くて危うい美の有り様なのだ
わたしが こうまで
この器に惹かれる理由も
そこにある
老境にさしかかった
孤独な寄る辺ない
不安な毎日を
せめて心豊かに
潔く生きようとしている
わたし自身の姿を
重ね合わせているから…
さぁ
そろそろ
いい頃合いだ
とっておきの地酒を
新しい器に注ぐとしよう
―待てよ、ここまできて
はじめて気がついた―
ひとり暮らしのわたしには
お猪口がひとつ余計だと…
しかし
構うものか
わたしの連れ合いは
わたしの孤独、
それで結構だ
孤独とさしで
切子に満たした
馥郁たる酒の香りを
ゆっくり楽しむことにしよう