1/28〜1/30 ご投稿分の感想です。 紗野玲空
都合によりお先に失礼いたします。1/28〜1/30にご投稿いただいた作品の感想・評でございます。
素敵な詩をありがとうございました。
一所懸命、拝読させていただきました。
しかしながら、作者の意図を読み取れていない部分も多々あるかと存じます。
的外れな感想を述べてしまっているかも知れませんが、詩の味わい方の一つとして、お考えいただけたら幸いです。
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☆「屋上の砂」 樺里ゆうさま
樺里ゆう様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
とても素直な詩文で、読みやすい作品でした。
詩句は、テーマとされている「砂」のように、さらさらと静かに心に降り積もるようでした。
私はこの砂のことが、個人的にとても気になってしまいました。
ゆうさんは、出雲市の方と記憶しています。
私事で恐縮ですが、実は出雲を旅した折、稲佐の浜でお砂をいただき、出雲大社にお納めし、神社のお砂をいただいてまいりました。拝読しながら、なぜかそのことが思われたのです。
ゆうさんは、私のそんな事情を知るべくもなく…。
けれどもゆうさんの詩によって、斯様に、心が温かくなる思い出を呼び覚ましていただけたことがとても嬉しかったです。
ありがとうございました。
私もそんな詩を書いてみたいです。
読み手自身の思い出に結びつけてもらえる詩…作者の意図と離れても読み手の中にその人の思い出と重なることができるような詩を書けることは詩を書く者にとって、一つの大きな喜びではないでしょうか。
ですから、ゆうさんの詩のお砂は、私にはとても神聖な感じがいたしました。
詩全体に漂う静けさが更に、砂の持つ神秘性を高めているように思いました。それは終連にそのまま留められていますね。
どこで生まれて、どこから来て、
そしてどこへ還ってゆくのか
結局わからないままだったけれど、
ただあの頃の私は、
それを 謎のままにしておきたかったのでした。
とても素敵な、静かな終わり方だと思います。
「還って」…「還」は多くの地点を経由したり、複雑な過程を経て、最終的に起源や根源に戻る状況を表します。
白い砂は、ゆうさんの中を旅しているようでもあり、ゆうさんの意識を司る分身のような気もしました。
更には、
「みんなどこへ行ったのでしょうね?」
「それを 謎のままにしておきたかったのでした。」
と疑問を提示し、謎のままにする終わり方は、砂の行く方を読者に委ねることにもなり、この詩の終わり方に相応しく思います。
しかし一方で、ゆうさんは砂がどこへ行ったのかを追い、謎のままにしておきたくない時が来るのではないかと感じました。
あの頃の私でない私が書かれる詩に、期待せずにはいられません。
大きな岩が微細な砂になる過程を稲佐の浜に思った記憶がふと頭を過ぎり、誠に勝手ながらそんな思いも浮かびました。
砂の行く方、楽しみにしています。
最後にほんの少し、詩の構成について思う処を述べさせていただきますね。
冒頭の1行、私ならば迷いながらも省くかも知れません。
次の連の扱いもとても難しいと思います。
毎度毎度…に始まる連から書き起こし、掃除の話はその後に軽く織り交ぜる形式はどうかしら…とも考えてみました。
一案として頭の片隅においていただけたら幸いです。
素敵な佳き作品でした。
ありがとうございました。
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☆「団地の窪み」 佐々木礫さま
佐々木礫様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
拝読していて頭に浮かんだのは、封建時代の身分制度において、最下層に位置づけられた人々が住んでいた地域のことです。
権威を守るために為政者が形成した身分差別により、一部の国民が経済的、社会的、文化的…に虐げられ、不当な差別を受け続けた問題があります。タブー視され、時代と共に薄れていくようでありながら、それらは未だに続いており、その根深い差別を、私自身、詩でどう表現すべきかはわかりません。
一軒家に登場するのは男一人ですが、土地の描き方、軽自動車、バイク三台の描写の裏に、男個人の話だけにとどまらぬ、切り取られた集落の一部の問題を垣間見たようにも感じ、拝読させていただきました。
詩は恐らく、礫さんの実体験そのままかと察せられます。
「人の世の敗残者」
敗残者とは、戦いに負けて生き残った人を指します。
「敗残」にはやぶれ損なわれること。この世に生き残ってはいるが、身も心も衰え損なわれること。の意があるようです。
齢十二の俺が男を「人の世の敗残者」とみたのでしょうか…。
終連に着目いたしました。
その揺れの奥に浮かぶのは、
あの敗残者の影法師
俺の中には、十二の時に見た男の姿が影法師…影のように心に残っているのでしょう。
「自身の影に少し重なり」とありますから、 「影法師」は影武者的な意味も宿しているのだと推察します。
憧憬にも似た心象を得る。
(俺は大人になったのだ)
憧憬にも似た心象と、俺は大人になったとの心の叫びは何を意味しているのか、礫さんは何を訴えたいのか、私なりに考えてみました。
不当な差別を受けながら生きる男は、しかし、紛うことなく己の人生を懸命に生きているのであり…
大人になりゆく過程で人目を偲(忍の字…かしら)ぶように生きてきた俺は、「敗残者」という言葉を仲介として、男の中に共通するものを見いだしたのでしょうか。
母親の言葉や外観からの判断によることなく…、他者の基準とは関係なく生きている男の姿(男の影法師の中に見出した)に憧憬を抱き、男の生き様の真実を知り得た気付きから、俺は大人になったとの心の叫びはうまれたのでしょうか…。
疼く痛みと懐古と共に
団地の窪みを想って悟る。
詩の着地は素晴らしいですが、悟った内容を膨らませていただき、更に深く読んでみたいように感じました。
水平社の闘いの歴史は続いています。
とても難しいテーマだと思います。
(私が想像している問題と異なるとしても、登場した男が受けていた差別は、同様の問題を含んでいるように思います)
最後に、このような差別を受ける地区のお父様がご長男誕生の日によまれたという詩を見つけたのでご紹介します(2007年、福田雅子氏インタビュー記事より)。
「…吾子よ
お前には胸張ってふるさとを
名のらせたい
瞳をあげ何のためらいもなく
これがわたしのふるさとです と
名のらせたい」
私自身、学び直しを考えさせられる佳き作品でした。
ありがとうございました。
また、私の想像が行き過ぎたもので、更にこの問題に関する不勉強により、どなたかを傷つけるような発言をしておりましたらご指摘ください。
申し訳ありません。
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☆「神様になるための修行」 上原有栖さま
上原有栖様、こんにちは。御投稿ありがとうございます。
僕は神様になるための修行をしている
???を頭にたくさん抱えながら拝読させていただきました。
読み進めるにつれて、?の数は減ってゆきますが、なぜそんなに厳しく辛い修行をしなければならないのか…
詩の半ばを過ぎて、ようやく理由がわかります。
君を救う神様になりたいんだ
白い部屋に君は今日も横になっている
君は病いで入院しているのでしょう。その君を救いたいがために神様になりたい…深刻な願いの意外な理由に読み手は驚かされます。
「あの日、君の手を掴めなかった僕」ですから、過去、僕には君の何らかの大切な思いを受け止められなかった後悔があるようです。
君を救いたい僕の切実な思い、前半の過酷な修行の理由がわかったところで、
今度は神様になって君を救ってみせるから
だからあと少し待っていて
もうすぐ僕は神様になるよ
僕の願いが語られ、詩としてきれいに着地をされていると思います。
君を救いたい→僕は神様になるその思いは読み手に十分伝わると思います。
これは好みの問題かもしれませんが、もう少し早く「君を救う神様になりたいんだ」を記した方がいいかもしれません。極端なことを申すならば、冒頭で宣言するのも一つの手法かと存じます。
或いは、神様になるための修行の過酷さよりも、僕はなぜそれ程までに君を救いたいのか、君がどれ程僕にとって大切な存在なのか…に比重を移してもいいのかも知れません。
また、年若い僕の空想の物語にも読めました。
大好きな君が病気だとする→僕は神様になるんだ→そのために僕は辛い修行をこんなにこんなに…。
そんな恋する少年を描いた詩なのかしらとも思いました。
様々に解釈ができるのは詩の良さでもありますが、伝えたいことをよりくっきりと浮き上がらせようと考えるならば、連分けなどを施し、伝えたいことを連の中で明確にしていくことも詩の紡ぎ方の手法として有効かと思います。
「君を救う神様になりたいんだ」
言われてみたいですね〜
印象的な素敵なセリフを詩文の中に埋もれさせては勿体ないです。
先にも述べましたが、ポイントとなる詩文を活かすように工夫することにより、更に素敵な作品になるのではと感じました。
キュンとさせられる素敵な佳き作品でした。
ありがとうございました。
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以上、3作品、御投稿いただき、誠にありがとうございました。
それぞれに、素晴らしい作品でした。
十分に読み取れていなかった部分も多かったかと存じます。
読み違いはご指摘いただけたら嬉しいです。
1月も終わり、もうすぐ立春ですが、厳しい寒さは続き、相変わらず風邪など流行っているようです。私も12月から風邪を何度もぶり返してしまいました。
花粉の話題もちらほら…皆様、くれぐれも御自愛くださいませ。
年の始めから、力作ぞろい…勉強させていただきました。
ありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
紗野玲空